五輪は元来、貴族的精神の産物だった。1948年まで「芸術部門」があって、スポーツに因む絵画、彫刻、文学、建築、音楽を競っていたそうで、つまり貴族の余技とか暇潰しとかがその儘競技に持ち込まれていたと推察する。競技人口がそれ程多いとも思えない馬術や射撃が絶対に外されないのもそう云う理由からだろうし、アマチュアリズムも日本ではいたく崇高なものと見做されていた様であるが、それも「働かない人が有利な」ルールだっただけに過ぎない。ショービジネスとしてのスポーツの隆盛によって職業アスリート及び国や企業が支援するセミプロでなければ参加が難しくなった現在の姿からは想像も付かないが、IOCの体質が貴族的なのはその残滓なのかも知れない。視聴率の稼げる(より多くの人が楽しめる、とオブラートに包んでもよい)種目を積極的に取り入れるのも悪くはないが、欧州の貴族的精神は五輪の隠し味として残して欲しいと云うのが私の希望なのである。