私達が一定のルールに従うのには尤もな理由が有る。米テキサス州の教育委員会の会合で、保護者の男性がマスク着用の義務化をそう訴えた。訴えるだけならまだしも、発言中にやおら脱ぎ始めて海パン一丁になると云う「ルールに従わない行為」の実演に及んだのが思い切りアメリカンである。笑ってはもらえた様であるが、説得に成功したかは伝えられていない。予め海パンを着用していて、最後の一線を超える覚悟が感じられなかったかも知れない。実際問題として、自由と我儘の境界は曖昧である。自他の我儘が衝突し勝ち得た範囲を自由と呼んでも良いのかも知れないが、それが罷り通るヒャッハーな社会が健全であるとも思えない。そう云う世紀末的無秩序に陥らない様、我儘の最低限の妥協点を明文化したものが法律であり、努力義務とされるのが規範・倫理・慣例なのだろうが、尤もな理由が有れば誰もが従うのが当然とならないのがヨノナカの味わい深い所なのである。