過去を追うなかれ、また未来を願うなかれ。
過去は今すでに去り行きしもの
未来は未だ、来ぬもの、故に思うわずらうことなかれ。
今すでにここに存在する現象を、よく観察せよ。
心は平常にして
揺らぐことなかれ、動じることなかれ。
これを不動心と言う。
命光不動尊
過去を追うなかれ、また未来を願うなかれ。
過去は今すでに去り行きしもの
未来は未だ、来ぬもの、故に思うわずらうことなかれ。
今すでにここに存在する現象を、よく観察せよ。
心は平常にして
揺らぐことなかれ、動じることなかれ。
これを不動心と言う。
命光不動尊
人のしていることを見ていると
なんでも簡単にできると勘違いしてしまう。
いざ、自分がやろうとしても????
になってしまうことが多いですね。
これから新しい仕事につく人たち。
新しい土地で一人暮らしをされる方、
何でも簡単にできると思っていませんか?
教わることができる人がそばにいる間に
しっかり見て聞いて出来るようになってください。
のちに、ご自分の宝になりますから。
頑張ってください。
合掌
自分で蒔いた種は、自分で刈りとる。
悪いことをしたら、自分が裁きを受けるということ。
では、良いことをしたら、良いことが自分に還ってくる。
どちらも自分のしたことが還ってくるのです。
自分の行いによる結果です。
でも、悪い事をしても捕まらないのはなぜ?
このような人は、「我」が強すぎて、神仏からの天罰も
「我」の力で跳ねのけてしまうそうです。
じゃあ、悪い事をしても
「我」を強くすれば、大丈夫でしょうか?
いいえ、ことわざに
「天網恢恢疎にして漏らさず(てんもうかいかいにしてもらさず」
という言葉があるように悪い事をしたら
死後の世界では、必ず罰せられます。
死後の世界は、生前の行いをにより
地獄にいくのか、極楽浄土にいくのか・
の裁きをうけるのです。
合掌
弘法大師様は
「一切の生けるものは、みな自分の両親であり先生である」
と言われました。
このお言葉は
「自分以外、みな人生の師匠なり」
ということになります。
要するに学ぼうという気持ちが大切であり
そうでないとどんな言葉も耳に入りません。
「馬の耳に念仏」では困ります。
向上する人は
自分より下の人でも師匠と仰いで学び取ります。
目下の人だけでなく
目上も目横も自分自身も
さらに言えば犬や猫など動物や草花
そして、そこらに転がってる石ころをも師匠と仰ぎます。
師匠を多くもてる人ほど向上できているのです。
合掌
お寺の玄関を開けると・・・
ニャーっとお出迎え。
前に当山で飼っていたセンちゃんの兄弟
シロちゃん(メス)です。
とってもお行儀の良い佇まいで
シロちゃんがいる時は、
ごはんが欲しい時。
ごはんをくれるまで私帰らないからね!
と言うように後を付いてきます。
ちょっと待って~とごはんを後回しにしている時には、
お寺の玄関の中で座って待っている事もあります(笑)
お寺に出入りしている人たちと
そうじゃない人たちを
しっかり見分けているシロちゃんです。