死者は、死後の行き先は
自分で選ぶことができない。
生前の行いと、家族や子孫の供養の内容により
霊界での行き場が決まるのです。
しっかり供養を受けられた故人は、
修行でも苦労の少ないコースにまわしてもらえると聞きます。
昔から、「地獄のさたも金次第。」と言われますよね。
死ぬという事は、霊界で魂を磨き直すということです。
この世での修行が終わり、再び霊界での修行に戻るのです。
その修行はただではありません。
我々生きている者が供養をすることは、
霊界で修行(勉強)する為の仕送りを送っているのです。
死後、ご自分の生前の行いを
後悔する霊の多いこと。
当山のご相談に来られる施主様には、
必ず供養を受けたいという
故人様が一緒に来られ、
「私はこのお寺の霊界施餓鬼一粒萬福法要を
して欲しくてお願いしに参りました」
私は、霊界施餓鬼一粒萬福法要を
された方から施しを受けることができ、
ここの和上様が、大変な修行をされて
見えない世界の霊神様より
お授けいただいた
こんな有難い供養があることを
初めて知りました。
供養を受けた瞬間から霊格が上がり、
なおかつ
霊界でお腹を空かせている多くの餓鬼を
救うことのできる有難い供養であること。
現在も未だに厳しい修行を
続けられているこのような素晴らしい
御仁様より供養を受けたい。
私は生前、良い行いを
しておりませんでしたので、
死んでから後悔ばかりでした。
しかし、霊界でも人(霊)助けを
できる素晴らしい供養があると知り、是非、
私も供養を受けたいと
お願いに参りました。」
というお話をしてくださいます。
お願いが叶い、
ご供養を受けられた故人様は、
皆様一同に、涙を流され、
満面の笑みで霊界にお帰りになられます。
山主がこだわって
霊界施餓鬼一粒萬福法要をされるのは、
「大喜びされた故人様方の笑顔を
見られることが私の最大の喜びであり、
そして、施主様の皆様にも
この喜びごとのお陰をいただかれ、
幸せになって欲しい」
という一心でお勤めしております。
合掌