「縁は異なもの味なもの」
これは男女の縁は不思議なもので、
何処でどう結ばれるか分からないというコトワザですが、
男女だけでなく、人の出会いの不思議さにも使われます。
本日ご来寺になった方もまさしく「縁」に導かれた方でした。
縁は「えにし」とも読みます。仏教用語では
「巡り合い、何かが生まれる原因と成るもの」
という意味もあるそうです。
人との出逢いは偶然ではなく、必然です。
逢うべき人に逢うべき時に逢う場所で出会う。
その出会いは良い出会いも有れば、悪い出会いの場合も有ります。
この必然性は私達にはわからない「見えない力」により起こります。
そして、この「見えない力」がどんな力なのかは、
その人のもつ「因縁」によって違います。
私達は皆、自分でも知らない、わからない先祖から脈々と
良くも悪くも因縁を引き継いでいます。
今、貴方が苦しんだり、辛い目に遭っているその姿が先祖の姿です。
貴方ならわかってくれる、気づいてくれるという思いで
貴方の苦しみ、辛さとなって助けを求めています。
幸せになりたいと思うのであれば、ますご先祖様を幸せにすることです。
貴方が知らなくても、先祖は知っています。
南無大師遍照金剛