ほうけんさんのいつ死んでもいいと言うことは、
毎朝、風呂に入り
先ず、身体のすみずみまで洗う。
身体を洗いながら心も清める行をする。
これが、俗にいう湯灌(ゆかん)である。
湯灌というのは、死んだ人に行う行事であるが、
これを365日欠かさずにやっている。
これがいつ死んでもいいと言うことで、
覚悟をするということである。
心を清めるとは、心の中のゴミを捨て去ること。
業(ごう)も煩悩も一緒に捨て去る。
何かに付け「感謝」と「有り難い」という心が育ってくると、
一期一会 刹那の大事というこころも育ってくる。
真剣に生きることにつながってくる。
これが本来の断捨離である。
我が家の家系は若死にの家系である。
祖父は37才。父は49才。いずれにしても皆短命である。
湯灌をするようになって健康に気を付ける様になった。
真に有り難いことである。
ほうけんさんのひとり言
すでに過ぎ去ったことは、全て捨て去れ。
未来に不安をつくること勿(なか)れ。
現在に於いては何事にも執着することなく、
今を一所懸命に励め。