ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

八百長

2011年02月04日 09時43分01秒 | 田舎暮らし
やっぱりねぇ。
みんなわかっているんだよね。
わかってても言わないのが大人っていうものだよ。
相撲ってスポーツではなくて見世物なのだから。

そもそも横綱制度というものがおかしい。
毎場所最低でも12~13勝以上勝ち続けることなんて普通だったらできないよ。
体調が悪い時、ピークを過ぎたとき、それでも12~13勝以上勝ち続けることを求められるなんて。
それで都合が悪くなったら休む。
都合が悪くなったら休んだらよいなんて、こんなスポーツがあるか?
みんなが横綱に虚像を求める限りこれからも八百長は根絶できない。
相撲にがちんこを求めるならまず横綱制度を廃止しないといけない。
でも相撲ファンがそれを望むだろうか?
八百長をわかった上で何も言わない。
それが相撲ファンというものではないだろうか?

それにしても負け越しても休まないでとり続けた大乃国はとても立派な横綱だった。
大乃国だけは八百長をしていないと断言できる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

食の達人

2011年02月04日 09時40分50秒 | 田舎暮らし
農業改良普及センターの「食の達人」の講習に行ってきた。
ここには食の達人がいっぱい、何千人といる。
なんせ年に1~2回の講習に出るだけで「食の達人」に認定されるのだから。
後は米や農薬等の使用実績を提出することになっているけど、無農薬で作っているのでべつにそれも必要ない。
というわけでこのぐうたら百姓も実は「食の達人」なのだ。
これからは「達人」と呼んでほしい。
あるいは「ぐうたら百姓」ではなく「ぐうたら達人」と。
このように「食の達人」はそれはそれは便利で手軽なシステムなのだ。

ところで「食の達人」になって何かいいことがあるかというと、それが何にも無い。
顔写真入りのパスポートをもらうくらいだ。
そしてJAの生産者直販店「旬菜蔵」や道の駅などでパスポートを張り出して紹介されるくらいのもの。
でも我が家では「旬菜蔵」や道の駅に野菜を出していないのでそれも関係ない。

というわけでこの何の役にも立たないシステムを考えた役人はきっと役所では評価されているのだろう
役人の世界では民間企業とは逆に金を使えば使うほど、それも無駄使いすればするほど評価されるのだから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田舎暮らし断想~農的暮らし(5)

2011年02月04日 09時39分44秒 | 田舎暮らし
農業にはいろんな農法がある。
そしてそのどれが正解とはいえない。
農地の規模や目的に合わせた農法を選んだらいいと思う。
最近は自然農法や不耕起栽培がブーム。
特に若い世代では自然農法志向が強い。
自然農法や不耕起栽培の考え方はとてもいいと思っている。
農業でなく農的暮らしには自然農法がよくあっている。
それで、自然農法で稼ごう、という生き方はちょっと違うかなと思う。
「自然」を標榜するならもっとおおらかに生きたいものだ。
それで「自然農法でないとだめだ」、とか、「不耕起栽培でないとだめだ」とか言う人にはついつい、ちょっと違うかな・・・と言いたくもなるのだ。

まず引っかかるのは「自然」という言葉だ。
「自然」は正しく「人工」は悪い?
・・・なんてこといえる?
「自然」は人間のためにあるんじゃないよ。
「自然」は人間にいいこともあれば悪いこともあるよ、それが本当の「自然」じゃない?
自然が正しいならトリカブトをドクウツギを食べたらいい。たちまち死んじゃうよ。
どうして「自然農薬」はよくて人工の「農薬」は悪いといえる?
どちらも使い方次第じゃない?

「動物性肥料は悪い」、という人に言いたい。
では家畜の糞はどうしたらいいの?
家畜は飼うなというの?
たとえ飼わなくても、あんたたちが食べてる卵や肉に相当する糞がどこかで出ているんだよ。
その糞を川にでも捨てて川を汚染しろというの?
それとも余分なエネルギーを使って焼却しろというの?
自然の中には動物の糞がいっぱい。
あちこち鹿や猪の糞が落ちている。
その糞を養分として草が生えその草を動物が食べる・・・この循環こそ自然というもので、動物性肥料を排除した環境とはまったく人工的な環境でそのどこが「自然」なのだろう?

「不耕起栽培でないとだめだ」という人に言いたい。
森の中で野菜ができるか?
まず木を切り、根を掘り起こし、耕起をして畑になってから野菜が作れるだろう?
不耕起栽培というのは耕起した畑に野菜を作るということ。
まず耕起があって成り立つ農法じゃないの?
それでなぜ「不耕起」といえる?
今の人口を支えているのは「不耕起」ではなく「耕起」なのだ。
耕起によって田畑が広がりそれが今の人口を支えている。
不耕起栽培の歩留まりが慣行農法の7割だとすると、世界の人口の3割の人は死んでもいいと思っている?

自分では循環型農業が一番いいと思っている。
それは山羊や鶏を飼っている環境だからいえること。
しかも自給自足的な農的な暮らしでできることだ。
我が家でも畑を広げたら循環型農業はできなくなった。
山羊や鶏のボカシや堆肥だけでは到底足りなくなったから。
(山羊や鶏を増やしたら自前の餌だけでは飼えなくなるので他所から購入しないといけなくなる)
それで今は無農薬・無化学肥料ではあるけど市販のバーグ堆肥も使っている。

というわけで、農法は規模や環境に合わせて選んだらいい。
農法は信仰ではないのだから。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする