ぐうたら里山記

兵庫の西の端でただのほんと田舎暮らしをしています。ぐうたらです。のん兵衛です。

いかん!

2011年02月10日 18時18分30秒 | 酒の話
い、いかん!
酒がなくなった!!
あわてて焼酎を買いにいった。
酒が切れるとすっかり心の中まで貧しくなり、心の中までいじけてしまう。
そして「どうせ俺なんか・・・・いてもいなくても、どうでもいい人間なのだから・・・」とぐじぐじひがむ。
逆に満タンの酒瓶が並ぶと急に気持ちが大きくなって、
「うんうんそうなんだよね、人生悪いことばかりじゃないよ。そう、まあなんとかなるもんだよ。」

たいていの人は毎日風呂に入って体を清める。
でも本当に大切なのは外面ではなく内面、そう大切なのは体の中を清めること。
そのためにも毎日体の中のアルコール消毒は欠かせない。
もちろん体調が悪いときなど、今日は止めようかな・・・なんて思うこともたまにはあるけど、
そんな軟弱なことを言ってはいけない。
毎日体の中まで清めて清く正しく生きていかなければいけないのだ。

こうなると、もはや「求道者」とでも言うほかは無い。
傍目には短なる酔っ払いと見えても、そんな誹謗中傷にめげずただただひたすらに道を求めているのだ。
でも・・・やっぱり誰もわかってくれない。
それはとっても寂しいことだけど、求道者というものはそういうもの。
かくも厳しいものなのだ。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メダカ

2011年02月09日 09時20分37秒 | 田舎暮らし
この数日暖かい日が続いている。
メダカも水面でちらほら泳ぎだした。
それで久しぶりに餌をやった。
冬は何も食べないで水底でじっとひたすら耐えているメダカ。
きっと誰よりも春を一番待ち望んでいるのだろう。
いつも食べることしか頭に無く、冬でもがつがつ食べまくる山羊も
少しはメダカを見習ってほしい。

久しぶりに雨が降った。
畑にはうれしい雨だ。
でも明日からまた寒くなりそう。
冬はまだまだ続く。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クロウコッケイ

2011年02月09日 09時19分10秒 | 田舎暮らし
ついに抱くのを止めさせて、5個の卵を回収した。
卵を割ってみたらみなひよこが入っていた。でもみな死んでいた。
もう羽も生えすぐにも生まれるところだったのに・・・
寒さにやられたのだろう。
やっぱり冬に孵すのは無理なようだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クロウコッケイ

2011年02月08日 08時27分40秒 | 田舎暮らし

黒ウコッケイがまだ卵を抱いている。
年末から抱き始めて、年明けにせっかく抱いた卵を他の鶏から食べられてしまった。
かわりに他の卵を抱かせたら、もう1ヶ月も抱き続けている。
この寒波のためか、5個も普通の鶏の卵を抱かせたのが多すぎたのか、21日たっても孵らない。
そしてとうとう1ヶ月。
もう孵る見込みは無いだろう。
それでも黒ウコッケイはまだ抱き続けている。
はやく抱くのを止めさせようと思いながらも、
一生懸命に抱いてる姿を見るとなかなか決心がつかない。
もしかしたら奇跡的に孵るかもなんて考えたらさらに決心がつかない。
でもやっぱり止めさせたほうがいいだろうな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田舎暮らし断想~良かったこと

2011年02月07日 19時07分58秒 | 田舎暮らし

田舎暮らしをして良かったこと。
・自分のペースで仕事ができる
やりたくなかったら休んでもいいし、のばしてもやめてもいい。
しかしそうはいってもいつも自然に追いかけられている。
自然は待ってはくれない。
それで土日も無くいつも動き回っている。
田舎暮らしはいそがしい!
それでも気分的にはとっても楽だ。

・人を選ぶことができる
付き合いたくない人間とは別に付き合わなくてもかまわない。
(ある程度)人を選ぶことができる。
たまに買い物に行く以外誰にも会わなくても家と畑だけで暮らしていける。

・人との付き合いが広がった
都会にいたころは会社関係以外ほとんど人との交流がなかった。
休みの日に人が訪ねてくることも、人の家を訪ねることもなかった。
でも今ではいろんな人がいっぱいやってくる。
交流の輪もずいぶん広がった。
もともとぜんぜん社交的な人間ではないのに・・・
それにとっても人見知りして、今でも人の家を訪ねるのはとっても苦手なのに・・・

・酒をいっぱい呑める!
年とともに酒に弱くなったのに反比例して酒の量が増えた。
でもイベントや村の行事以外、外で酒を飲むことは無い。
田舎では車なしでは移動できないから。
都会では外でよく飲んだ。
それで家で飲むよりも数倍の金がかかる。
というわけでその分家でより多く飲める。
どうして都会にいるころもこんな生活をしなかったのだろう?と今になって思う。
そしたらもっといっぱい飲めたのにな・・・
でもそれは無理というもの、朝になったらきまった時間に家を出て会社に行かないといけない。
だから気分的に休みの前日以外は飲みたいだけ飲むことはできない。
それに会社のストレスを家に持ち帰りたくは無い。
やっぱり外で飲むことになる。
というわけで今ではその日の気分に応じて飲みたいだけ飲む。
そのうち酔が睡に変わり飲みながら眠ってしまう。
家族の顰蹙をあびつつもこれは止められない。
そのうち目覚めない日が来るだろう。
一日が酔いに終わり、一生が酔いに終る
呑んで、眠って、終わって・・・
そんな終り方をしたいものだ。

愛読書のオマルハイヤームの「ルバイヤート」の詩の1節に次のようなものがある。

 不思議なのは酒を売る人がいること
 この良きものを売っていったい何に変えようというのだろう?

これは酒飲みにはとっても説得力のある言葉。
う~んと思わず考え込んでしまう。
そしてもしこれを時間に置き換えてみたらどうだろう?

 不思議なのは時間を売る人がいること
 この良きものを売っていったい何に変えようというのだろう?

みんな自分の時間を人に切り売りして暮らしている。
しかし最も大切なこの時間を人に売っていったい何に変えようというのだろう?
こう考えたとき、田舎暮らしをしてよかったなとつくづく思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キノコの原木伐採

2011年02月07日 09時59分13秒 | 田舎暮らし

近畿中国田舎暮らし交流会の仲間とキノコの原木切りに美作まで行ってきた。
6人集まって70本ほど作った。
ノコギリでしこしこ切るのと違い、さすがチェーンソー、文明の利器!
見る間に木を切り倒していく。
クヌギや桜の木をばさっばさっばさっ!
切るのは気持ちがいいだろうな。
(こちらはもっぱら運び役)
しかしその割には6人で70本?
家でやるときは一人でのこぎりでしこしこ切ってそれでも30本くらいは行くよ。
その原因は休憩時間。
休憩時間が長すぎ~~~!!
でもおかげでそんなに疲れないですんだ。

森の中でみんなで体を使うのは楽しい。
これが一人だととっても不安になる。
海だと一人でも平気だけど、森はにがてだ。
楽しかったのはみんなでやったからばかりではない。
というよりもその主たる原因は・・・
例によって、というか当然のようにこっそり日本酒を飲んで作業したのでとても気分は爽快だったのだ。
やっぱり酒は隠れ酒に限る。
それにたまたま呑んだ酒が美作の地酒でこれが当たった。
美味い酒に出会うととってもうれしくなる。

なんてことはどうでもいいのだけど、
70本では到底足りないのでこのペースだとあと2回はかかりそうだ。
我が家ではもうシイタケ用の原木は用意しているので、他のキノコ、タモギタケ、エノキタケ、ムキタケ、マイタケ用のを5本ずつ作ろうと思って参加した。
シイタケだけでなくいろんなキノコを作ってそのうち我が家が「キノコの里」になったら面白いなと思う。

ところで「近畿中国田舎暮らし交流会」というのは「近畿・中国山羊と暮らす会」と「地恵農和倶楽部」のメンバーが中心となって作った会。
田舎暮らししてる人、田舎暮らししたい人が集まって田舎暮らしを楽しむ会。そして楽しみを通して少しでも田舎のの活性化に役立ったらいいな、という会なのだ。
去年の終わりに結成されたので活動は今年から。
・古民家再生
・ロケットストーブ作り
・小屋作り
・麹作り
・キノコ狩り
・山羊チーズ作り
・土蔵の再生
・露天風呂作り
・燻製作り
・鶏をさばく
などやりたいことはいっぱい!
来月はロケットストーブ作りをする予定だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田舎暮らし断想~農的暮らし(6)

2011年02月05日 14時08分41秒 | 田舎暮らし
農家の人はたいてい農政に批判的だ。
話をするとやっぱり今の農政は悪い!ということに話は落ち着く。
でもさらによく聞くと、結局、もっと補助金を出せ、もっと金をよこせ、と行っているに過ぎない。
いったいいつから農業がこんなこじき商売になってしまったのだろう?
きっと減反政策が始まってからだろう。
働かないご褒美にお金を上げるよ、なんて言われたら誰だってやる気をなくしてしまうだろう。

今では農業は職業ですらなくなったようだ。アンケートの職業欄に農業が無いので「自営業」にチェックすることが多くなった。
でも果たして農業は自営業なのだろうか?
自営業だったら当然セールスをして客を増やさないといけない。そんな努力をしているだろうか?
それどころか自分で作った米や野菜の値段さえ自分たちで決められないじゃないか。
これじゃ自営業なんて到底いえない。
実のところほとんどの農家は自営業ではなく、農協のあるいは大手流通業者の小作人でしかない。
もっと自営業としてのプライドを持って、直接客に販売する努力をしたらどないやねん、と言いたい。
するとそれがどれほど大変なことかわかるだろう。
そして都会との繋がりを持つことがどれほど大切なことかわかるだろう。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八百長

2011年02月04日 09時43分01秒 | 田舎暮らし
やっぱりねぇ。
みんなわかっているんだよね。
わかってても言わないのが大人っていうものだよ。
相撲ってスポーツではなくて見世物なのだから。

そもそも横綱制度というものがおかしい。
毎場所最低でも12~13勝以上勝ち続けることなんて普通だったらできないよ。
体調が悪い時、ピークを過ぎたとき、それでも12~13勝以上勝ち続けることを求められるなんて。
それで都合が悪くなったら休む。
都合が悪くなったら休んだらよいなんて、こんなスポーツがあるか?
みんなが横綱に虚像を求める限りこれからも八百長は根絶できない。
相撲にがちんこを求めるならまず横綱制度を廃止しないといけない。
でも相撲ファンがそれを望むだろうか?
八百長をわかった上で何も言わない。
それが相撲ファンというものではないだろうか?

それにしても負け越しても休まないでとり続けた大乃国はとても立派な横綱だった。
大乃国だけは八百長をしていないと断言できる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

食の達人

2011年02月04日 09時40分50秒 | 田舎暮らし
農業改良普及センターの「食の達人」の講習に行ってきた。
ここには食の達人がいっぱい、何千人といる。
なんせ年に1~2回の講習に出るだけで「食の達人」に認定されるのだから。
後は米や農薬等の使用実績を提出することになっているけど、無農薬で作っているのでべつにそれも必要ない。
というわけでこのぐうたら百姓も実は「食の達人」なのだ。
これからは「達人」と呼んでほしい。
あるいは「ぐうたら百姓」ではなく「ぐうたら達人」と。
このように「食の達人」はそれはそれは便利で手軽なシステムなのだ。

ところで「食の達人」になって何かいいことがあるかというと、それが何にも無い。
顔写真入りのパスポートをもらうくらいだ。
そしてJAの生産者直販店「旬菜蔵」や道の駅などでパスポートを張り出して紹介されるくらいのもの。
でも我が家では「旬菜蔵」や道の駅に野菜を出していないのでそれも関係ない。

というわけでこの何の役にも立たないシステムを考えた役人はきっと役所では評価されているのだろう
役人の世界では民間企業とは逆に金を使えば使うほど、それも無駄使いすればするほど評価されるのだから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田舎暮らし断想~農的暮らし(5)

2011年02月04日 09時39分44秒 | 田舎暮らし
農業にはいろんな農法がある。
そしてそのどれが正解とはいえない。
農地の規模や目的に合わせた農法を選んだらいいと思う。
最近は自然農法や不耕起栽培がブーム。
特に若い世代では自然農法志向が強い。
自然農法や不耕起栽培の考え方はとてもいいと思っている。
農業でなく農的暮らしには自然農法がよくあっている。
それで、自然農法で稼ごう、という生き方はちょっと違うかなと思う。
「自然」を標榜するならもっとおおらかに生きたいものだ。
それで「自然農法でないとだめだ」、とか、「不耕起栽培でないとだめだ」とか言う人にはついつい、ちょっと違うかな・・・と言いたくもなるのだ。

まず引っかかるのは「自然」という言葉だ。
「自然」は正しく「人工」は悪い?
・・・なんてこといえる?
「自然」は人間のためにあるんじゃないよ。
「自然」は人間にいいこともあれば悪いこともあるよ、それが本当の「自然」じゃない?
自然が正しいならトリカブトをドクウツギを食べたらいい。たちまち死んじゃうよ。
どうして「自然農薬」はよくて人工の「農薬」は悪いといえる?
どちらも使い方次第じゃない?

「動物性肥料は悪い」、という人に言いたい。
では家畜の糞はどうしたらいいの?
家畜は飼うなというの?
たとえ飼わなくても、あんたたちが食べてる卵や肉に相当する糞がどこかで出ているんだよ。
その糞を川にでも捨てて川を汚染しろというの?
それとも余分なエネルギーを使って焼却しろというの?
自然の中には動物の糞がいっぱい。
あちこち鹿や猪の糞が落ちている。
その糞を養分として草が生えその草を動物が食べる・・・この循環こそ自然というもので、動物性肥料を排除した環境とはまったく人工的な環境でそのどこが「自然」なのだろう?

「不耕起栽培でないとだめだ」という人に言いたい。
森の中で野菜ができるか?
まず木を切り、根を掘り起こし、耕起をして畑になってから野菜が作れるだろう?
不耕起栽培というのは耕起した畑に野菜を作るということ。
まず耕起があって成り立つ農法じゃないの?
それでなぜ「不耕起」といえる?
今の人口を支えているのは「不耕起」ではなく「耕起」なのだ。
耕起によって田畑が広がりそれが今の人口を支えている。
不耕起栽培の歩留まりが慣行農法の7割だとすると、世界の人口の3割の人は死んでもいいと思っている?

自分では循環型農業が一番いいと思っている。
それは山羊や鶏を飼っている環境だからいえること。
しかも自給自足的な農的な暮らしでできることだ。
我が家でも畑を広げたら循環型農業はできなくなった。
山羊や鶏のボカシや堆肥だけでは到底足りなくなったから。
(山羊や鶏を増やしたら自前の餌だけでは飼えなくなるので他所から購入しないといけなくなる)
それで今は無農薬・無化学肥料ではあるけど市販のバーグ堆肥も使っている。

というわけで、農法は規模や環境に合わせて選んだらいい。
農法は信仰ではないのだから。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

腕時計

2011年02月02日 03時36分53秒 | 雑感
腕時計を買った。
昔は貴重品だったけど今では使い捨て。
電池が切れたら買い換える。
もちろんものすごく高価な時計もあるけど、安物だって正確さはほとんど変わらない。

別に野良仕事をしてる分には時計が無くても困らない。
鶏が鳴いたらぼちぼちおきて、山羊が鳴いたら仕事始め、腹が減ったら昼食をとり、日が落ちたら仕事を止める~この繰り返しなのだから。
でも外に出かけるとたまに必要なときもある。
というわけで久しぶりに買った。

高級な、というか普通の時計のコーナーを横目でチラッと見ながらさっさとそこを通り抜けて、安売りコーナーへ。
定価 10500円 販売価格 1800円  ~な、なんじゃこの定価は?!
もっとわざとらしい定価をつけたらどないやねん。
こんなんで喜ぶ人いるのかな?
それともどこかで定価どおりで売っている店があるのだろうか?
あるいは、なんと3割引!なんて言って7000円くらいで売っている店があるかもしれない。

いちおう日本の有名メーカー製。でも裏にはメイド・イン・チャイナ
どうせ使い捨てなのだから中国製でもかまわない。
それに中国製とはいえまさか時計にまで農薬は使っていないだろう。
(それとも使っているかな?)
で買ったのは定価 4000円 販売価格 1800円 の時計。 
この方が少しはわざとらしいと思ったから。
1800円なのに高級に見えるし日付も曜日も出る。
そのうえちゃんと針も動いている。
たいしたものだ。

「ねぇ、中国製に対してなんか悪意持ってない?」
「はい、持ってます」
・・・なんて思いながら、中国製の時計を買って帰る。
実にみみっちいと我ながら思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田舎暮らし断想~古民家

2011年02月01日 20時09分38秒 | 田舎暮らし
沢が凍った!
田舎暮らしを始めた最初の年はものすごく寒かったけど今年はそれ以上に寒い。
沢が凍ったのは初めてだ。
でも最初の年は慣れてなかったのでとりわけ寒く感じた。

田舎暮らしの憧れの住まいはたいていログハウスか古民家。
ログハウスはいいとしても問題は古民家。
これが住んでみるとなかなか厄介なのだ。
夏はとっても涼しい。
縁側で昼寝をしていると風が虫や鳥の鳴き声をのせ家のい中を通り過ぎていく。
野良仕事の合間に縁側でお茶を飲む楽しみも古民家ならでは・・・と思っていると、虫がいっぱい家の中に入ってくる。
それでわざわざ網戸を作り、いつも網戸をしたまま。
それで縁側に腰掛けてお茶なんか飲んだことが無い。
しかし網戸をしててもムカデやカメムシが入ってくる。
天井裏にはネズミやイタチ。
壁の間からは蜂の羽音。

冬はさらに涼しい。
隙間風がびゅ~びゅ~。
床は凍りつくような寒さ。
石油ストーブがいくつあっても足りない。
晴れた日は外のほうがずっと暖かい。

ここから40分ほど山奥に神戸から一人の女性がやってきて古民家暮らしを始めた。
そして一冬で逃げ出した。
その跡を見たらそれはそれはすさまじいものだった。
壁中ベニヤ板を打ち付けて隙間風を防いでいた。
でもそんなもので防ぎきれるものではない。
古民家暮らしはそんなに甘くは無い。
というわけで一冬で都会に戻ってしまった。

今住んでる集落では古民家はもうほとんど残っていない。
みんな普通の家に建て替える。
残しておけばいいのに・・・と思うけど、住んでみると、やっぱりなぁ、とも思う。
古民家に住みたい人は冬に見学することをお勧めする。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田舎暮らし断想~農的暮らし(4)

2011年02月01日 13時41分31秒 | 田舎暮らし
みんなが目指してきた農業は、大きくてやわらかくて甘い野菜や果物を誰よりも早く、たくさん作ること、ではないかと思うし野菜作りの本もたいていそんな立場で書かれている。

・やわらかくて甘い野菜はサラダには向いている。でも煮物には向かないし野菜本来の香り歯ごたえ苦味がない。
大きい野菜を作るためには肥料をたくさん入れ、間引きをし脇芽を摘み取ったりする。
甘い野菜は虫も大好き。歩留まりをあげるためには農薬に頼らざるを得ない。
それに品種も限られてくる。そして同じ品種・同じ味の野菜ばかり出回る。
本当はサラダ向き、煮物向き・・・など料理によってもっといろんな種類が売られててもいいはずなのに。

・消費者はふつう同じ値段なら大きいほうを買う。それで生産者もより大きい野菜を作ろうとする。
そのために一度には食べ切れなくて半分冷蔵庫に入れたり、半分に切った野菜を買ってきたりする。
切っておいておくと野菜や果物は傷む。そして傷んだ野菜をみんな食べる。かぼちゃはもちろんジャガイモもトマトも・・・
わざわざ痛んだ野菜を食べるのでなく一度に一人で食べられるだけの大きさの野菜を食べればいいのにと思うのだけどな。

・誰よりも早く作って高く売るためにはハウスやトンネル栽培をして手間とコストをかける。
でもみんなが早く作ったら結局同じじゃないか、手間だけかかって。
人を抜け駆けして野菜をだまして高く売ろうというその根性がどうにも気に入らない。
一般的には、野菜の種まきは、特に春蒔き野菜は自然の状態よりも1ヶ月以上早い。
そのためになかなか大きくならないし霜にやられたりする。
それで手間をかけてビニールマルチやトンネル栽培をする。
別にそんなに早く作らなくてもいいじゃない・・・といいたくなる。

そこで発想を変えてみる。
小さくて野菜本来の味と香りがするしまった野菜を誰よりも遅く作ろう。
最初から3割は虫にあげると思ったら少々虫にやられてもいいじゃないかと。
こう考えるととっても野菜作りが楽なのだ。
トマトは脇芽を摘み取って1本立ちにする・・・なんてしなくてほったらかしにしておくとミニトマト状の実がいっぱいなる。このほうが病気に強い。
大きいトマトもほしい時は半分くらいの苗は1本立ちにして普通に育てると同じ品種でミニトマトと普通のトマトが収穫できる。
ジャガイモは花を摘み芽柿をする・・・なんてしなかったら小さな芋がいっぱいできる。それでよかったら芽かきなんかする必要は無い。
イチゴはランナーを通路側にそろえて植える・・・なんてことは何千本と植えるイチゴ農家がやることで何十本かしか作っていない時はぜんぜん気にすることは無い。
要するに無茶な言い方をすると野菜の本に書いてあることを守らないでほったらかしにしておいたらいい。
そして手抜きをすることによって生産コストを下げられるのではないか。
野菜作りはせいぜい65歳までと聞いたとき、65歳からできる農業をしてみようと思った。
定年退職をしてから田舎暮らしを始める人にもできる農業を。
そのためには自然のサイクルにあった野菜作りを無理しないでやることではないかと。
売ることを考えなかったらこれくらい楽しいことは無い。

定年退職をして旅行や趣味に明け暮れる人たちに言いたい。
田舎に来て自給自足を始めたら?
自分たちで食べる野菜ぐらい自分たちで作ったら?
遊んでいるということはそれだけ若い人たちに負担をかけているんだよ。
田舎暮らしをして米や野菜を作ったら?
余った野菜を売ったり都会の子供や友達に送ったら、
みんながそんなことをしたら日本の食糧自給率はもっと上がるよ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする