貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

平泉市: 毛越寺(もうつうじ) ①『作庭記』を伝える庭園を満喫!

2025-02-23 14:31:07 | 日記
令和7年2月23日(日)
平泉市: 毛越寺(もうつうじ)①  
 
<本殿>
 
  
 浄土庭園とは
仏堂と苑池とが一体として
配された庭園で、
毛越寺では
北に塔山と呼ばれる小山を
背景として、
広々とした苑地美観を
展開している。
<山門>

 大泉が池は浄水をたたえ、
その周辺には、
州浜、荒磯風の水分け、
浪返しにあたる立石、
枯山水風の築山
といった石組みや、
池に水を引き入れる遣水など、
自然の景観が表現されている。
<毛越寺伽藍原図説明>

 日本最古の作庭書
「作庭記」の思想や技法を
今に伝える貴重な庭園として、
八百有余年を経た現在も、
四囲の樹木の景観と相まって、
訪れる人を楽しませている。  
<庭園説明>
         
「特別史跡」・「特別名勝」と、
その文化価値を
国から二重に指定されている
毛越寺。
<庭園>

 境内には
平安時代の堂塔伽藍を
偲ばせる礎石等の遺構が
多数残っている。
<南大門跡>

 20代前半、
横浜時代に友人数名と訪れて以来。
 世界遺産に登録され、
すっかり整備され、
見応え満載!
 ゆったり、じっくり
散策することにする。
~つづく。


登米市: 登米神社 随神門と探索芭蕉句碑!

2025-02-22 15:08:58 | 日記
令和7年2月22日(土)
登米市: 登米神社         
 山の中腹にあり。
 鄙びた閑静な神社。

 奈良時代以前から
この地には
「遠山(とおやま)村」
という村があり、
これが「登米(とよま)」
の語源?
<社殿>

 旧登米町周辺には、
明治時代の建造物が多く、
「みやぎの明治村」
と呼ばれ、
大切に保存されている。
                           
 登米神社の随身門の
随身像も印象に残る。
<随神門>

 芭蕉の句碑は、
見つからず。
 あれば、
「降らずとも 
  竹植うる日は 
    蓑と笠」
 再度、
参拝の御礼と旅の祈願をし、
浄めた心で神社を後にする。



登米市: 水澤県廳記念館  芭蕉一宿庵!

2025-02-21 15:10:31 | 日記
令和7年2月21日(金)
登米市: 水澤県廳記念館   
<水澤県庁記念館入口>
 
 
<その説明>

 戊辰戦争
 (明治元年1868-1869)で
政府軍に敗れた仙台藩は、
領地を没収される。
 廃藩置県などの
改革の変遷にも
大いに影響を受ける。
 その中で、
明治4年現在の宮城県の北部
岩手県の南部を管轄する地域を
「登米県」と称し、
本町に登米県庁舎が
設置されることになる。
 明治8年まで使用される。
 建物の玄関は
堂々たる入母屋造の屋根をかけ、
破(は)風(ふ)には
狐格子を付した純粋な日本建築
となっている。
<入母屋造りの玄関>

 しかし、
本棟は、
洋風な木造平屋建てとなっており、
県内官公衙建築を代表する
貴重な日本独自の洋風建築である。

 元禄2年、
芭蕉翁「奥の細道」行脚の折、
戸伊摩(登米)に一宿せしを記念し、
宝暦の頃、
登米の俳人、
金指紋兵衛が一宿庵を称える。
<芭蕉一宿庵の石碑>

 これは庵を建てたのではなく、
芭蕉翁の一宿の由縁を
伝承する為の庵号にして、
現在二十代に至る。
 町制施行百周年、
『奥の細道』紀行三百年にあたり、
歴代一宿庵の名を掲げ、
これを記すこととする。


登米市: 旧登米高等尋常学校hは教育資料館!

2025-02-20 14:26:52 | 日記
令和7年2月20日(木)
登米市: 旧登米高等尋常学校  
<正門>
 
 芭蕉は、
『心細き長沼にそふて、
戸伊摩と云ふ所に一泊して、
平泉に至る。
 其間廿余里ほどゝ(と)
おぼゆ』
と記す。
 一泊した戸伊摩
という所は、
現在の登米市登米町。
<校舎>

 訪れてみて初めて
町の品格、風格を知る。

 「登米市」は「とめ」、
登米町は、「とよま』と読む。
 「とめし」の
「旧とよま高等尋常小学校」
という呼び方となる。


 幾らかの戸惑いもあるが、
こういうのもまた楽し!
  この館は、
「教育資料館」
でもある。
               

石巻市: 長谷(ちょうこく)寺かやはら祭と芭蕉!

2025-02-19 14:48:21 | 日記
令和7年2月19日(水)
石巻市: 長谷(ちょうこく)寺   
<真野の萱原:長谷寺>
<山門>

 芭蕉は、
「袖の渡り・
 尾ぶちの牧・
 まのゝ萱はらなど
 よそめにみて、
 遙かなる堤を行。」
と、
『奥の細道』
で著しているように、
北上川に沿って行く。
<本殿>

 心細かった心境も
吐露している。
 「かやはら祭り」
の歌謡に、
「芭蕉の跡よ。」
と歌われ、
<長谷寺の由緒>

「長谷寺の由緒」にも
『奥の細道』に 触れている。
<かやはら祭の説明>

 長谷寺は、
「ちょうこくじ」という。
「はせでら」
と呼んでしまう。
<庭園紫陽花の道>

 紫陽花が
きれいに咲いている。
 そして、
馬頭観音や諸々の石碑が
まとめてある。
ひとつひとつに
説明書きがほしい。
<馬頭観音?勢揃い>

 歌碑や句碑等記録は
残っていないのだろう?
<色々な石碑>

 ちょっと口惜しい感あり。
 この田園地帯にも
津波が押し寄せる。
 土塁が数段高く積まれている。
 耕地の三分の一は
畑作に変化。