貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

郡山市安積山公園②花かつみをヒメシャガと天覧!

2024-11-30 14:07:58 | 日記
令和6年11月30日(土)
郡山市安積山公園②

<芭蕉の小径への出入り門>

 花かつみという花は、
ヒメシャガのこと。

 芭蕉達がこの花を探した動機は、 
『古今和歌集』にある。      
「みちのくの 
  あさかのぬまの 
   花かつみ 
  かつみる人に 
   恋ひやわたらん」
という歌が起因。
 歌の意味は、
「みちのくの安積の沼の
花かつみの名の、
かつみというように、
かつがつに不満足ながら、
ともかくも、
ちょっと逢ったばかりの人なのに、
恋しく思って、
永く月日を暮らすことであろうか。」
 この歌により、
「花かつみ」は
陸奥国の安積の沼の名物となる。
 多くの歌にも
詠まれるようになったという経緯。

『奥の細道』には、
「等窮が宅を出て五里斗、
檜皮(ひはだ)の宿を離れて
あさか山有。
 路より近し。
 此あたり沼多し。
かつみ刈比もやゝ近うなれば、
いづれの草を
花かつみとは云ぞと、
人々に尋侍れども更知人なし。
 沼を尋、人にとひ、
かつみかつみと尋ねありきて、
日は山の端に かゝりぬ。」
と記されている。
 どうも花かつみには、
古より諸説があり、
幻の花とされていたようだ。

 そして、
明治9年6月17日、
明治天皇の東北巡幸の折、
日和田の安積山の麓、
横森新田のご休息所で、
花かつみを
「菖蒲に似て最(いと)
些小(ちいさ)き花」
なるヒメシャガを
花かつみとして天覧に供する。
 以降、
「ヒメシャガ」が「花かつみ」
とされ、
昭和49年、郡山市の花に
制定される。

~つづく。

郡山市日和田町: 安積山公園 ①芭蕉の小径から花かつみ観賞!

2024-11-29 15:19:32 | 日記
令和6年11月29日(金)
郡山市日和田町: 安積山公園 ①   
<安積山公園碑>

 野球場があり、
丁度試合開始!
 ちょっと観戦。
 皆さん高校などで
本格的にやっていたようで、
見応えがある。
 0対0のまま
3回ぐらいまで観ていたが、
お腹もすいてきたので、
頂上付近で昼食とする。
<草刈り呉之公園で昼食>

 その後、芭蕉の小径を下る。

 花かつみの表示を見つける。
 花かつみは、
芭蕉と曾良が、郡山に着いた時、
必死にこの花を探し求めた。
 しかし、
土地の人も分からず
残念無念の日々をおくった
という花。
<花かつみの説明>

 花かつみという花は、
ヒメシャガのこと。
<花かつみ>


 芭蕉達がこの花を探した動機は、 
『古今和歌集』にある。  
~つづく。

安積町天性寺②暴れ地蔵と芭蕉句碑そして鄭重な対応!

2024-11-28 11:01:23 | 日記
令和6年11月28日(木)
安積町天性寺②
 「暴れ地蔵」の小冊子を下さる。

「その昔、
地区を流れる阿武隈川が
洪水になった時、
川上から数多くの木が流れてきた。
 一人の百姓が
その木を持ち帰り、
薪割りの台に使っていたところ、
いつの間にかその木が神棚に
上がっている。
 よく見ると、
かすかながら目と鼻が刻まれている。
 庄屋さまに見てもらったところ、
お地蔵様に間違いないというので、
これをお寺に納めたところ、
村で流行っていた病気が収まり、
お地蔵様が信仰の対象となる。」
という話。
<戴いた小冊子と新聞のコピー>

 いつの頃からか、
このお地蔵様を村中に引き回す
風習が生まれ、
お地蔵様も子どもたちと
暴れるのを喜んでいるよう。   
 やがて親しみを込め、
「あばれ地蔵」
と呼ばれるようになる。
 今年も11月2日に
子どもたち6名で、
家内安全、交通安全を祈願して、
地蔵の周り打ちをする。
その後、
一軒一軒廻るそうだ。
「そう言えば、先日NHKで、
暴れ地蔵と子どもたちのことを
観ました。
こちらのことだったんですね。」
とお話すると、
「よかったら、11月2日に
いらっしてください。」
とお誘いを受ける。
 芭蕉句碑のことをお話すると、
「住職に聞いてきます。」
と社務所の方へ行かれた。
「読経が始まるので‥・。」
ということで、
住職さんとは渡り廊下の
窓越しで挨拶。
 その後、
副住職さんが、
郡山版の「碑散策」の記事の
コピーを持って来て、
句碑まで丁重に案内して下さる。
<芭蕉句碑>

 芭蕉の句は、
「万遊者記(まゆはき)を 
 俤(おもかげ)にして 
   紅粉の花」 。  
 尾花沢から立石寺への途中の作。
                      
※化粧に縁のある眉掃きを思わせる、
よく似た恰好に紅の花が
咲いているよ、
という意。 
 この寺にも、
健康十訓の碑がある。

 健康志向の強い現代の
為せる技?


安積町: 天 性 寺① 若い住職さんと暴れ地蔵堂!

2024-11-27 11:59:20 | 日記
令和6年11月27日(水)
安積町: 天 性 寺①               
 もの凄く広い駐車場。

 何処もよく整備されている。    
 昨日訪れた大慈寺と
縁があるという。
 やはり、お導きかな?
<本堂>

 若い副住職さんもいいなあ。                                      
 その方が草木に
水まきをされている。
<居眠り小僧さん>

 笹川の暴れ地蔵堂を
参拝していると、気さくに、
「開けましょう。」と声をかけ、
「暴れ地蔵」の小冊子を下さる。
<暴れ地蔵堂>

~つづく。

郡山市湖南町: 麓山神社1時間以上の無防備な登山となったが・・・!

2024-11-26 15:03:52 | 日記
令和6年11月26日(火)
郡山市湖南町: 麓山神社      
 猪苗代湖見たさに
麓山神社へ。 

 
 1時間以上のドライブとなる。
 碌山神社の立派な石碑もあり、

階段状の鳥居を潜れば
社殿が…!?と、
手ぶらで登る。

 あにはからんや、
何にもない。
 麓と銘打っているから、
少し登れば平地がある?
と勝手に思い描いたのが
間違いの源。
 杉っ葉がいっぱい
落ちていたり、
小さな花が咲いていたり、

藤の花が垂れ下がっていたり、
今少し、今少しと
登っているうちに、
こりゃ、頂上にあるんだと、
登山準備を怠った自分を反省。

 結局、
曲がりくねる急坂を、
運動靴で1時間以上、
登った所でUターン。

 木々の間から見える
猪苗代湖を折々に堪能。

 芭蕉の句碑があれば、
「雲折り々 
  人をやすむる 
     月見哉」
の句。
 初めての句碑だったのに、
残念。
※ 折々雲がかかって、
月光を遮り、
一心に見入っている自分を
ほっとさせることだわな、
の意。