令和7年1月30日(木)
多賀城市: 寶 国 寺
末の松山の麓にあり、
末の松山の麓にあり、
「末松山」の山号を有す。
<寶国寺入り口>

初めは隣障寺と称したが、
出羽国から当地に移り住んだ
天童頼澄の法名から
寶国寺と改め、
天童氏の菩提寺となる。
<本殿>


『奥の細道』本文に、
「松のあひあひ皆墓はらにて、
はねをかはし枝を
つらぬる契の末も、
終はかくのごときと、
悲しさも増りて、
塩がまの浦に
入相のかねを聞。」
と綴られている。
<建立句碑と歌枕の説明>

曽良は、
「末の松山」について
「塩カマノ巳午ノ方三十丁斗。
八幡村ニ末松山寶国寺
ト云寺ノ後也。
市川村ノ東廿町程也。
仙台ヨリ塩カマヘ行ハ
右ノ方也。
多賀城ヨリ見ユル」
と、名勝備忘録に記している。

<末の松山と芭蕉などの説明>

後に、
正岡子規や与謝野鉄幹なども
訪れている。
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