令和5年7月3日(月)
厚木市: 本 立 寺
<本殿>

本殿前にでーんと恰幅のよい青銅像、
日蓮上人かな?
ここは、厚木市猿ヶ島。
昔話に出てきそうな地名。
但し、島ではない。
句碑は参道入り口左側、
句碑は参道入り口左側、
銀杏の下枝に覆われた処にある。

伸び放題の徒長枝を碑の後ろに
祓い、句碑に正対。
比較的新しい二段の台石の上に、
比較的新しい二段の台石の上に、
先端の丸い円柱状の石が立っている。
高さは80センチ程。
<芭蕉句碑>

その右奥に立て札がある。

芭蕉句碑の
説明である。その説明によると、
「郷土の俳人五柏園丈水が、
説明である。その説明によると、
「郷土の俳人五柏園丈水が、
天明八戊申に猿が島と、
申年にちなんで建立した
俳聖松尾 芭蕉の句碑である。
丈水は本名を大塚六左衛門武喜と
稱し申(ママ)州武田の家臣で
猿が島に土着して名主を勤める
など郷土の開発に貢献。」
とある。
『厚木市史』や
『厚木市史』や
『あつぎ子ども風土記』によれば、
丈水は猿ケ島村の名主で、
本名は大塚六左衛門武嘉。
相模国から武蔵国にかけ、
数百人の門人を抱えており、
小林一茶とも交流があったという。
芭蕉の句は、
芭蕉の句は、
「年々や
猿耳きせた類
さ流の面ン」 。
正月の芸能のひとつ、
正月の芸能のひとつ、
猿回しで猿が猿のお面を着けている
様子を見て
「年が明けても人間そのものは
変わらない」
という意。
建立の時、
建立の時、
この句を発句として
『猿墳集』が編まれたという。
これが、「申塚」である。
昔から洪水に悩まされてきた猿ケ島。
これが、「申塚」である。
昔から洪水に悩まされてきた猿ケ島。
苦難の歴史の中でも、
そこには丈水による文化の香りが
息づく。
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