令和6年3月18日(月)
各務原市脇本陣・坂井家跡②
<芭蕉句碑「ふく志るも・・・」>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/ce/d50c27c1c3c077eba1a690321b2973b4.jpg)
芭蕉は、
「貞享2年(1685)、
野ざらし紀行途中鵜沼を訪れ、
脇本陣坂井家に滞在。
その後貞享5年7月頃
二度目の訪問。
同年8月3度目の訪問。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/a2/187ea2be3f61cb42d136c73783bd1f2b.jpg)
坂井家で菊花酒のもてなしを受け、
主人に求められ即興の句を、
楠の化石に彫る。
「ふく志るも
楠の化石に彫る。
「ふく志るも
喰へは喰せよ
きく乃酒」。
<芭蕉句碑「はらなかや・・・」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/d9/c5e1cf6f393e5f571a0b7b8bee236100.jpg)
その後、
更科紀行に美濃を離れる際に、
「おくられつ
送りつ果ハ
木曽の秋」
と詠み、
と詠み、
美濃の俳人達との別れを
惜しんだと・・・」
と書かれている。
二つ重なる句碑の前は、
桃青の名前で、
後ろは「芭蕉」となっている。
<桃青句碑「波瑠の水・・・」>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/54/1311c6c19b2f7f74b46c6ba7d12f7c65.jpg)
桃青時代の句は、
「汲溜の水
泡たつや
蟬の声」。
芭蕉の句は
「はらなかや
「はらなかや
ものにもつかす
啼くひばり」
である。
である。
この句は、
「原中や
「原中や
物にもつかず
鳴く雲雀」
という句で、
おそらく深川の芭蕉庵の近くの
広い原っぱの中で、
何物にもとらわれず、
空高く舞い上がり囀る雲雀は
いいなあということを
詠ったのだろう。
何物にもとらわれず、
天高く囀る雲雀のような自分に
なれたら
こんな平安はないだろう?
<芭蕉更科紀行首途乃地記念碑>
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/78/97264abe217129201a8815c4ad52db33.jpg)
後世に残していくための
知恵と工夫は、
やはりいつの世も欠かせないこと。
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