東京は、ようやく夏本来の暑さが戻ってきました。お昼にTully'sでアイスジンジャーミルクティーとフォカッチャでランチしながら、土屋賢二センセイの「貧相ですが、何か?」を再読しておりました。あまり難しい本は、暑さと老化で溶けかかっているワタクシの脳では消化しきれないので、最近はもっぱら土屋センセイのエッセイを読んでおります。国立大学の哲学科教授というと、いつも眉間にしわを寄せて難しいことを考えているイメージがありますが、実際はともかく、このエッセイ集の中の土屋センセイは、ご自分がいかに妻や助手、学生、同僚の女性教官等に虐げられているかを切々と訴えられておられます。ジャズピアニスト界の貴公子になることを断念する前に、ご自分が死んでしまうのではないかと憂いてもいらっしゃいます。ちなみに、漫画家の柴門ふみさんは土屋センセイの教え子なのだそうです。
先生は、ご自分の虐げられた生活に反論することもなく(というか、反論しても勝ち目はないらしい)、いかに中年女が恐いものかを綴っておられます。ワタクシもどっぷり中年女なので、読んでいて思わず笑ってしまうこともありますが、先生の周囲の女性の皆さまがこれをお読みになって、よくクレームがつかないものだとミョーに感心してしまいます。おそらくは、9割ぐらいデフォルメされていると思われるので、書かれても自分のことだと気がつかない場合もあるだろうし、特に、奥さまに関する記述は土屋センセイのネタだったりもするのだろうと推察しております。お茶の水女子大学を無事退官されて、今はお茶の水女子大学名誉教授という肩書のセンセイですが、雑誌で人生相談も始められたそうです。哲学など自分とは全然縁のない世界ですが、一連のエッセイ集で、哲学がちょっと身近なものになりました。
「貧相ですが、何か?」は、センセイがお茶大文教育学部長だったころから、学部長の座を退かれるぐらいの時期のことが書かれております。学長を筆頭とする大物女性幹部と、副学長以下の小物男性幹部という色分けがされていて、さすがに国立の女子大学だなと思いました。ワタクシは共学の学校に通っていたので、学生は全部女子という環境は結構な違和感があるのですが、この本を読むと、大多数の女性に囲まれている男性もいろいろ大変なのだと同情してしまうのです。
先生は、ご自分の虐げられた生活に反論することもなく(というか、反論しても勝ち目はないらしい)、いかに中年女が恐いものかを綴っておられます。ワタクシもどっぷり中年女なので、読んでいて思わず笑ってしまうこともありますが、先生の周囲の女性の皆さまがこれをお読みになって、よくクレームがつかないものだとミョーに感心してしまいます。おそらくは、9割ぐらいデフォルメされていると思われるので、書かれても自分のことだと気がつかない場合もあるだろうし、特に、奥さまに関する記述は土屋センセイのネタだったりもするのだろうと推察しております。お茶の水女子大学を無事退官されて、今はお茶の水女子大学名誉教授という肩書のセンセイですが、雑誌で人生相談も始められたそうです。哲学など自分とは全然縁のない世界ですが、一連のエッセイ集で、哲学がちょっと身近なものになりました。
「貧相ですが、何か?」は、センセイがお茶大文教育学部長だったころから、学部長の座を退かれるぐらいの時期のことが書かれております。学長を筆頭とする大物女性幹部と、副学長以下の小物男性幹部という色分けがされていて、さすがに国立の女子大学だなと思いました。ワタクシは共学の学校に通っていたので、学生は全部女子という環境は結構な違和感があるのですが、この本を読むと、大多数の女性に囲まれている男性もいろいろ大変なのだと同情してしまうのです。