何でもない日々

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妥協の糸説

2022-12-11 21:07:17 | 詩はあいまいな哲学
自分ではない別個の人間同士も親子間でも
へその緒で繋がれていた事実は確実にあって
途切れてしまっても全ての細胞のDNAの中で繋がっている。

別個の人間の中にも見えない”赤い糸説”というロマンはあって
容姿端麗、知能明晰な男女同士での結婚であったなら
誰もが異を唱えることなく幸せに余生を送れるものとなる。
だが、何故か?浮気性の男性というのは奥さんが美人であることも多い(個人的人生経験では)
結ばれる運命と呼べる赤い糸は
どんなに不似合いで距離や格差やがあろうと
奇跡的に結ばれる運命を持って巡り合い見えない赤い糸で結ばれる(相性)は実際時間を共に過ごせてから手に掴ものなので
上下関係でや、ある権力に“押し切られた”とか
”妥協した”とか”溺れる者は藁をも掴む”とか
誰かを守るための“擬態”と同意であることに留意すると
仮に見えないが存在していた赤い糸というのは
後付けの不平等からの弁護に過ぎない。
(続く)

ゴスペラーズ - ひとり / THE FIRST TAKE
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