毎日、ランニングを始めて丸一年になります。最近では8㎞、仕事から帰宅してから頑張っています。少し前までは至極マジメに走り、1㎞のペースが5分を切った!と喜んでいたのですが、足がやはり痛いんです。膝のあたりがパンパンに張ってます。先達に聞くと、別に速く走ることを考えなくもいいのでは、と言われ、それもそうだ、ということで、最近はゆっくり走るようにしています。でも、根がいらちなので…(笑)。足は、筋肉を鍛えないと膝を悪くしそうです…。
そんなこんなで、今回もブラームス。季節的にはまだ早いのですが、なぜかよく聴いている昨今であります。ブラームスはいいですねえ。曲の奥深さも一筋縄ではいきませんし、室内楽から交響曲まで、多彩な曲がたっぷり。正にドイツ音楽の正統であります。といっても、若いころはそんなこと思いもしなかったのですが、やはり寄る年波か、重厚さと哀愁をしみじみと感じるようになったのでありました。
そんなところで、今回はピアノ協奏曲第2番変ロ長調作品83であります。この曲には名盤が目白押しなんですが、その中からレナード・バーンスタイン指揮VPOとクリスティアン・ツィメルマンのピアノによる演奏です。1984年10月、ウィーンのムジークフェラインでのライブ録音です。しかし、この録音はもう35年も前のものになるんですねえ。今や人気絶頂のツィメルマンも、まだ28才くらい。最晩年のバーンスタインとの共演。このふたりは相性がよかったんですね。ベートーヴェンの3~5番(1・2番は、バーンスタインの逝去で共演できず。ツィメルマンが指揮も兼ねての演奏)、ブラームスも1番とこの2番を共演していますし、近年、ラトルとツィメルマンがバーンスタインの交響曲第2番『不安の時代』も録音しています。
そんな両者の共演によるブラームスですが、率直に言って私は各論絶賛、全体は?というところですかねえ。晩年のバーンスタインらしく、ゆったりとしたテンポで思い切り粘っこい演奏を展開しています。全曲で約51分。バックハウスとベームの演奏が48分ですから、確かにゆっくり。ツィメルマンはバーンスタインに違和感なくできたのですかねえ。バーンスタインの非常にゆったりで表情や感情などの振幅の大きな演奏。それにツィメルマンのピアノもしっかり付いていっております。
第1楽章は、冒頭のホルンからゆったりとたいそう雄大でスケールの大きなブラームズが聴けます。ピアノも美音で、バーンスタイン以上に、バーンスタインの気質が感じられるよう。第二楽章でも、そんな第1楽章に一層の高揚感が加わり、時折の激しい白熱した演奏が心に突き刺さる。そして第3楽章。一転してこれまでの激しさから、ねっとりと旋律を歌い上げる様は、やはりバーンスタインだなあ、と認識させてもらいました。VPOのチェロもむせび泣く美音です。加えた、第4楽章でも今度は愉悦感も含みながら、これほどの喜びを感じながら、写実的でこれまた深い表情の演奏はないかなと思います。それぞれの楽章を個別に聴いていくと、これは凄いし、満腹感一杯でありました。
しかししかし、問題は第4楽章。もうずいぶん前に、この楽章の違和感について述べたことがあります。私、この終楽章の明るさなどが、どうも第三楽章までの重厚さに釣り合わない、といつも思う。この演奏でも、第4楽章は素晴らしい演奏。しかし、これが個別に聴けば、ということなんですね。第1楽章から第4楽章まで通して聴くと、第4楽章で妙に違和感がある。それまでのブラームスとバーンスタインの深く重い音楽が、4楽章になっての突然の明るさがやきらびやかさが、余計他の楽章とは異なる個性となり、妙に気になるようになったのです。それはあたかもマーラーの終楽章になってそれまでの深刻さが、打って変わっての明るさになった、というのと同じように思い出した。そう感じだしたら、それまでの楽章の深い表情が、各楽章の異なるそれぞれ強調された特徴か気になり、うーん、この曲、こんなにバラバラでいいのかと感じるようになったのです。演奏って難しいですねえ。各楽章をそれぞれ深く掘り下げての名演だと思うのですが、それがこんな印象をもってしまったのでありました。またしばらくして聴くと、また違う印象を持つかも知れませんが…。
9月になっても、実に暑い。特に、台風15号の影響で猛暑が続いています。この暑さのせいかもしれません。暴言多謝であります…。
(DG UCCG-70056 2007年)
そんなこんなで、今回もブラームス。季節的にはまだ早いのですが、なぜかよく聴いている昨今であります。ブラームスはいいですねえ。曲の奥深さも一筋縄ではいきませんし、室内楽から交響曲まで、多彩な曲がたっぷり。正にドイツ音楽の正統であります。といっても、若いころはそんなこと思いもしなかったのですが、やはり寄る年波か、重厚さと哀愁をしみじみと感じるようになったのでありました。
そんなところで、今回はピアノ協奏曲第2番変ロ長調作品83であります。この曲には名盤が目白押しなんですが、その中からレナード・バーンスタイン指揮VPOとクリスティアン・ツィメルマンのピアノによる演奏です。1984年10月、ウィーンのムジークフェラインでのライブ録音です。しかし、この録音はもう35年も前のものになるんですねえ。今や人気絶頂のツィメルマンも、まだ28才くらい。最晩年のバーンスタインとの共演。このふたりは相性がよかったんですね。ベートーヴェンの3~5番(1・2番は、バーンスタインの逝去で共演できず。ツィメルマンが指揮も兼ねての演奏)、ブラームスも1番とこの2番を共演していますし、近年、ラトルとツィメルマンがバーンスタインの交響曲第2番『不安の時代』も録音しています。
そんな両者の共演によるブラームスですが、率直に言って私は各論絶賛、全体は?というところですかねえ。晩年のバーンスタインらしく、ゆったりとしたテンポで思い切り粘っこい演奏を展開しています。全曲で約51分。バックハウスとベームの演奏が48分ですから、確かにゆっくり。ツィメルマンはバーンスタインに違和感なくできたのですかねえ。バーンスタインの非常にゆったりで表情や感情などの振幅の大きな演奏。それにツィメルマンのピアノもしっかり付いていっております。
第1楽章は、冒頭のホルンからゆったりとたいそう雄大でスケールの大きなブラームズが聴けます。ピアノも美音で、バーンスタイン以上に、バーンスタインの気質が感じられるよう。第二楽章でも、そんな第1楽章に一層の高揚感が加わり、時折の激しい白熱した演奏が心に突き刺さる。そして第3楽章。一転してこれまでの激しさから、ねっとりと旋律を歌い上げる様は、やはりバーンスタインだなあ、と認識させてもらいました。VPOのチェロもむせび泣く美音です。加えた、第4楽章でも今度は愉悦感も含みながら、これほどの喜びを感じながら、写実的でこれまた深い表情の演奏はないかなと思います。それぞれの楽章を個別に聴いていくと、これは凄いし、満腹感一杯でありました。
しかししかし、問題は第4楽章。もうずいぶん前に、この楽章の違和感について述べたことがあります。私、この終楽章の明るさなどが、どうも第三楽章までの重厚さに釣り合わない、といつも思う。この演奏でも、第4楽章は素晴らしい演奏。しかし、これが個別に聴けば、ということなんですね。第1楽章から第4楽章まで通して聴くと、第4楽章で妙に違和感がある。それまでのブラームスとバーンスタインの深く重い音楽が、4楽章になっての突然の明るさがやきらびやかさが、余計他の楽章とは異なる個性となり、妙に気になるようになったのです。それはあたかもマーラーの終楽章になってそれまでの深刻さが、打って変わっての明るさになった、というのと同じように思い出した。そう感じだしたら、それまでの楽章の深い表情が、各楽章の異なるそれぞれ強調された特徴か気になり、うーん、この曲、こんなにバラバラでいいのかと感じるようになったのです。演奏って難しいですねえ。各楽章をそれぞれ深く掘り下げての名演だと思うのですが、それがこんな印象をもってしまったのでありました。またしばらくして聴くと、また違う印象を持つかも知れませんが…。
9月になっても、実に暑い。特に、台風15号の影響で猛暑が続いています。この暑さのせいかもしれません。暴言多謝であります…。
(DG UCCG-70056 2007年)
さて、今、こうしてメールを送っていますが、久しぶりです。というのも、私は、台風15号で、被災した、千葉県在住(君津)なのです。自宅が、吹き飛ばされるのでは、と思うほどの、強烈な風雨が吹き付け、5時間くらいは、震度2くらいの地震を、常にうけているような、長い時間でした。そして、もっと長かったのが、停電です。我が家は、断水は免れたのですが、停電は、ほぼ3日間でした。11日の21時頃、復帰しましたが、一番大変だったのが、クーラーが使えない、猛烈な暑さでした。幸い、今は、通常の生活に戻り、家の被害も僅かでしたが、まだまだ、停電、断水、そして、家が、甚大な被害を受けた方々もおりますので、心配です。今回は、風の被害が大きかったのですが、被災者の気持ちが、身に染みて、実感できました。このようなことは、今後、どこでも、起きることなので、どうすれば、いいのでしょうかね?