八月もあと十日を切りました。最近は涼しくなってきましたが、九月になって暑さがぶりかえすことのないようにしてもらいたいものです。夏の暑い時期には、あまり聴きたくない音楽というのは、ありますよね。例えば、マーラーなんてちょっと勘弁してほしいと思いませんか。交響曲「大地の歌」、これも夏には暑くなってしまうような曲ではないでしょうか。だから少々構えてしまうのです。しかし、この曲のピアノ版はそうでもないのです。
「大地の歌」には、マーラー自身によるピアノ版があって、1989年に出版され、同年東京でサヴァリッシュのピアノで世界初演されています。私も以前(かなり前です)に神戸学院大学のグリーンフェスティバルでの演奏を聴いたことがあります。確か伊原直子さんと畑儀文さんのソロ(間違っていたらごめんなさい)だったことを覚えています。なかなか伊原さんがよかったのですが、やはり管弦楽の表現力にはかなわないな、と思いました。そんな中、先日岡山でピアノ版のCDを入手しました。ブリギッテ・ファスベンダーとトーマス・モーザー、そして、シプリアン・カツァリスのピアノです。1989年の録音です。
そんなわけで、聴いてみますと…。元来、2・4・6楽章の女声の方を好むのですが、この演奏でも、同じですね。ファスベンダーのチャーミングな声(個人的には、この人を声を聴くと、ばらの騎士のカンカンが浮かんできます)ががなかなかいいです。2楽章、4楽章といいぞ、と思いながら聴きます。そして、6楽章、いいんです。後半の間奏の部分、ピアノもなかなかいいねえと思っています。で最後まで…。うーん、やっぱり告別では物足りないなあ、という気がせんでもない。やっぱり、この曲にあるマーラーの情念というか、苦悩というか、そんなものが、ピアノではもう一つかなあ、って思います。そんな風に思い出すと、それをもっと感じるのが、男声の方かな。男声の楽章は、難しいなあって、いつも感じるんですね。それが、ピアノになると、もっと感じて、ほんとにあっさりとした印象が大変強くなる。てな具合になってきて、やっぱり管弦楽版のほうだ、となってしまうのですが、いやいやちょっと待て。ピアノ版の方が、だんぜんまた聴こうという気になるんですね。管弦楽版の方は、もうええやろ、って思うときがある。そう考えると、頭ではいろいろ思いがあったが、感覚的には、けっこう好きなんだ!と思うのです。
マーラーの音楽には、強烈な個性とたまに不快感を感じるような響きが散りばめられて、それがいいんですが、時には激しい嫌悪感を感じるとこもありますね。その点このピアノ版はそれをほとんど感じません。ピアノの均一的な音が、それらの問題点を解消させているようです。嫌悪感どころか、ピアノの演奏によって、逆にこんな音だったんだとか、これまで気がつかなかったところまで、明らかにされていくようです。そんなところが、このピアノ版、大いにおもしろく聴けて、むしろ、こっちの方がいいねえ、何て思ってしまいます。そして、カツァリスのピアノも、私はよく考えて弾いてはるなあ、と強く思っています。
1989年の東京でのサヴァリッシュなどによる初演は、確かカセットテープに録音しました。しかし、私のにはカセットは聴けないんですね。デッキが壊れたまま。むかし、娘が小さいときに触りまくって、壊しました。古いウォークマンで聴くしかないんですね。困ったもんですね。
(TELDEC 2292-46276-2 1990 輸入盤)
「大地の歌」には、マーラー自身によるピアノ版があって、1989年に出版され、同年東京でサヴァリッシュのピアノで世界初演されています。私も以前(かなり前です)に神戸学院大学のグリーンフェスティバルでの演奏を聴いたことがあります。確か伊原直子さんと畑儀文さんのソロ(間違っていたらごめんなさい)だったことを覚えています。なかなか伊原さんがよかったのですが、やはり管弦楽の表現力にはかなわないな、と思いました。そんな中、先日岡山でピアノ版のCDを入手しました。ブリギッテ・ファスベンダーとトーマス・モーザー、そして、シプリアン・カツァリスのピアノです。1989年の録音です。
そんなわけで、聴いてみますと…。元来、2・4・6楽章の女声の方を好むのですが、この演奏でも、同じですね。ファスベンダーのチャーミングな声(個人的には、この人を声を聴くと、ばらの騎士のカンカンが浮かんできます)ががなかなかいいです。2楽章、4楽章といいぞ、と思いながら聴きます。そして、6楽章、いいんです。後半の間奏の部分、ピアノもなかなかいいねえと思っています。で最後まで…。うーん、やっぱり告別では物足りないなあ、という気がせんでもない。やっぱり、この曲にあるマーラーの情念というか、苦悩というか、そんなものが、ピアノではもう一つかなあ、って思います。そんな風に思い出すと、それをもっと感じるのが、男声の方かな。男声の楽章は、難しいなあって、いつも感じるんですね。それが、ピアノになると、もっと感じて、ほんとにあっさりとした印象が大変強くなる。てな具合になってきて、やっぱり管弦楽版のほうだ、となってしまうのですが、いやいやちょっと待て。ピアノ版の方が、だんぜんまた聴こうという気になるんですね。管弦楽版の方は、もうええやろ、って思うときがある。そう考えると、頭ではいろいろ思いがあったが、感覚的には、けっこう好きなんだ!と思うのです。
マーラーの音楽には、強烈な個性とたまに不快感を感じるような響きが散りばめられて、それがいいんですが、時には激しい嫌悪感を感じるとこもありますね。その点このピアノ版はそれをほとんど感じません。ピアノの均一的な音が、それらの問題点を解消させているようです。嫌悪感どころか、ピアノの演奏によって、逆にこんな音だったんだとか、これまで気がつかなかったところまで、明らかにされていくようです。そんなところが、このピアノ版、大いにおもしろく聴けて、むしろ、こっちの方がいいねえ、何て思ってしまいます。そして、カツァリスのピアノも、私はよく考えて弾いてはるなあ、と強く思っています。
1989年の東京でのサヴァリッシュなどによる初演は、確かカセットテープに録音しました。しかし、私のにはカセットは聴けないんですね。デッキが壊れたまま。むかし、娘が小さいときに触りまくって、壊しました。古いウォークマンで聴くしかないんですね。困ったもんですね。
(TELDEC 2292-46276-2 1990 輸入盤)
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