平昌冬季五輪が開幕。熱戦を期待したいですが、いつも思うことがあります。W杯サッカーでも五輪でも、国別対抗戦や個人でも国を代表して戦っていまが、もういいかげん国の呪縛から解放してほしい、のです。この国というものに我々はどれだけエラい目に遭ってきたか。ナショナリズムの高揚は、国粋主義に発展する危険がある…。とまあ、こんなことを言っていても、君が代が流れ日の丸が真ん中に上がると、涙を流すのですがね。ほんとに国というものは厄介です。
さてさて、今回はギュンター・ヴァントの演奏です。先日来、ヴァントの1980年代の演奏を聴くことがありました。ヴァントはご存知のように、1980年代末に俄に注目され、1990年代後半には絶大な支持を得ました。しかし、それ以前もケルン放響と1982年に音楽監督に就任したNDRと、いくつかの録音があります。ケルン放響とのブルックナーやシューベルトの交響曲全集やNDRとのベートーヴェンやブラームスの全集などは有名なものですね。
そんな中で、ブラームスの交響曲です。2009年に3番を取り上げましたが、今回は交響曲第2番二長調作品73です。オケはNDR。1983年3月ハンブルクでの録音。1980年末のブルックナーの8・9番を聴いて、ヴァントを知り、その次ぎに買ったのがこのCDでした。そして3・4番を買って、1番はシカゴ響とのライブが出たのでそれを入手しました。当時はヴァントのブラームスをよく聴いたものでした。CD一枚に、2番40分のみの収録か、少ないなとも思いましたが。
ヴァントの演奏は、たいそう厳格で面白みがまったくない、それは若いころは一層顕著とよく言われます。例えば、このブラ-ムスのあと録音されたベートーヴェンでは、ベートーヴェンの音音楽の厳格さと相俟って、実にそんな傾向が聴かれます。それなら、ブラームスはどうかというと、同様の部分もありますが、そこはブラームスとベートーヴェンの差。ベートーヴェンほど気にならず、私的にはけっこうこの演奏はお気に入りになっているのでありました。
この2番、他のブラームスの交響曲に比べると、寛いだ幸福な気分に満ちていますね。そんな曲ゆえにヴァントの厳しさなどが若干緩和されている気がします。それでも、妥協を許さない厳格な姿勢が全編に貫かれています。それぞれの楽器も甘美な様子はまったくなく、音符を一音たりとも曖昧にしないぞという峻厳な演奏に終始しています。それゆえこの曲のこれまでのイメージとはやはりかなりかけ離れたものになっているのも事実です。そして、初めてこの演奏を聴くと、いやーこれってブラームスの旋律はそっけないし、全体的にも固いし、面白みが全くないし、まったくつまらないなと思ってしまいます。しかし、繰り返して聴くに、これでなくてはならないと確信に満ちた気持ちになってきますね。また、透明さが深いのです。いろんな楽器の音色がしっかりと聴け、他の演奏では聴けなかったものも明確になっている。これには新しい発見もあったりです。そして、厳格な演奏が熱気にまで高まっているのです。随所に聴かれる緊張感や高揚感やスケールの大きな表情などは、心も熱くしてくれます。
第1楽章、冒頭から澄んだ音色でのホルンの伸びやかな演奏、それをこれまた締まった弦が支える。そして全編でのティンパニが存在感を示している。徐々に高揚していき、高まりの波が行ったり来たり。第2楽章、弦の音色はここでも締まった厳しさでとてもいい。これに金管木管が加わるが、固くて少しもスキがない。ここでも緊張感が壮絶な高まりになっている。低い木管の音色もよく聴ける。第3楽章、木管の柔かい音色。しかし艶やかさや豊満さはないが、真摯で落ち着いた響き。他の弦楽器もたいそう美しく妥協のない締まった演奏。そして第4楽章。透明感一杯の高まりが心地よい。ここでもティンパニがいいです。想像以上の熱気と緊張感に心が揺さぶられます。
平昌五輪、高梨沙羅さんと坂本花織さんには頑張ってもらいたいですね。髙梨さんはあまり調子がよくないそうですが、なんとかソチの雪辱を果たしてほしい。坂本さんは兵庫県の高校生なんで応援しています。
(RCA BVCC-5139 1990年)
さてさて、今回はギュンター・ヴァントの演奏です。先日来、ヴァントの1980年代の演奏を聴くことがありました。ヴァントはご存知のように、1980年代末に俄に注目され、1990年代後半には絶大な支持を得ました。しかし、それ以前もケルン放響と1982年に音楽監督に就任したNDRと、いくつかの録音があります。ケルン放響とのブルックナーやシューベルトの交響曲全集やNDRとのベートーヴェンやブラームスの全集などは有名なものですね。
そんな中で、ブラームスの交響曲です。2009年に3番を取り上げましたが、今回は交響曲第2番二長調作品73です。オケはNDR。1983年3月ハンブルクでの録音。1980年末のブルックナーの8・9番を聴いて、ヴァントを知り、その次ぎに買ったのがこのCDでした。そして3・4番を買って、1番はシカゴ響とのライブが出たのでそれを入手しました。当時はヴァントのブラームスをよく聴いたものでした。CD一枚に、2番40分のみの収録か、少ないなとも思いましたが。
ヴァントの演奏は、たいそう厳格で面白みがまったくない、それは若いころは一層顕著とよく言われます。例えば、このブラ-ムスのあと録音されたベートーヴェンでは、ベートーヴェンの音音楽の厳格さと相俟って、実にそんな傾向が聴かれます。それなら、ブラームスはどうかというと、同様の部分もありますが、そこはブラームスとベートーヴェンの差。ベートーヴェンほど気にならず、私的にはけっこうこの演奏はお気に入りになっているのでありました。
この2番、他のブラームスの交響曲に比べると、寛いだ幸福な気分に満ちていますね。そんな曲ゆえにヴァントの厳しさなどが若干緩和されている気がします。それでも、妥協を許さない厳格な姿勢が全編に貫かれています。それぞれの楽器も甘美な様子はまったくなく、音符を一音たりとも曖昧にしないぞという峻厳な演奏に終始しています。それゆえこの曲のこれまでのイメージとはやはりかなりかけ離れたものになっているのも事実です。そして、初めてこの演奏を聴くと、いやーこれってブラームスの旋律はそっけないし、全体的にも固いし、面白みが全くないし、まったくつまらないなと思ってしまいます。しかし、繰り返して聴くに、これでなくてはならないと確信に満ちた気持ちになってきますね。また、透明さが深いのです。いろんな楽器の音色がしっかりと聴け、他の演奏では聴けなかったものも明確になっている。これには新しい発見もあったりです。そして、厳格な演奏が熱気にまで高まっているのです。随所に聴かれる緊張感や高揚感やスケールの大きな表情などは、心も熱くしてくれます。
第1楽章、冒頭から澄んだ音色でのホルンの伸びやかな演奏、それをこれまた締まった弦が支える。そして全編でのティンパニが存在感を示している。徐々に高揚していき、高まりの波が行ったり来たり。第2楽章、弦の音色はここでも締まった厳しさでとてもいい。これに金管木管が加わるが、固くて少しもスキがない。ここでも緊張感が壮絶な高まりになっている。低い木管の音色もよく聴ける。第3楽章、木管の柔かい音色。しかし艶やかさや豊満さはないが、真摯で落ち着いた響き。他の弦楽器もたいそう美しく妥協のない締まった演奏。そして第4楽章。透明感一杯の高まりが心地よい。ここでもティンパニがいいです。想像以上の熱気と緊張感に心が揺さぶられます。
平昌五輪、高梨沙羅さんと坂本花織さんには頑張ってもらいたいですね。髙梨さんはあまり調子がよくないそうですが、なんとかソチの雪辱を果たしてほしい。坂本さんは兵庫県の高校生なんで応援しています。
(RCA BVCC-5139 1990年)
始まるとやっぱりついつい観てしまいます。
ナショナリズム、国粋主義になってはいけませんがやっぱり大切でしょうか。個人的にはナショナリズムをジャーナリズムが過剰に煽ること。これが怖いと思っています。
ジャーナリズムといえば、メダルへの期待を必要以上にこれまた煽っていて、選手(特に高梨選手)には気の毒に思います。頑張って欲しいとは思いますが・・・。
寒いです。お身体お気を付けください。