季節外れの大型で強い勢力の台風8号が、九州に接近している。既に2日前から沖縄周辺では、暴風雨や高波の被害が発生し、その様子はトップニュースとして報道されている。山形県には11日(金)から12日(土)にかけて、接近しそうな予想になっている。12日の朝上京するため、既に新幹線やホテルの予約を2週間前に完了しているが、とても気がかりだ。台風の勢力が弱くなり、何事もなく過ぎ去って行くよう祈るのみである。
朝から雷を伴う雨が断続的に降り止まない。丁度米沢上空付近に梅雨前線が停滞しているのが原因らしい。昼前、激しい雨の中道路横断中の歩行者が軽自動車に衝突されるという交通事故があった。救急車のサイレンで気付いた。まさかこんな見通しの良いところでと思うが、雨で車はワイパーに気を取られ、歩行者は傘を差し視界が狭くなっているので、油断は禁物である。
小学生も雨の中、集団で下校している。いつものはしゃいで元気な声が、今日は少し心なしか湿っている。
6月29日の朝、富山県砺波(となみ)駅前のホテル7階の部屋の窓から、真下を見ると変わったディスプレイの電車が止まっていた。子供たちに人気があるのだろうか、忍者はっとりくんのキャラクターだった。
朝食前に、昨晩一杯飲んだ砺波駅前の居酒屋(へほへの茂平治)の近くに行ってみた。一夜干しのイカ焼き、湯豆腐、もつ煮込み、生ビール、地酒立山の熱燗2合、とても美味しかった。
ところで7月2日上越の夜は、ホテルで近くにある国道8号線沿いの食堂で夕食を食べた。ホテルから晩酌セットの割引券がもらえたからだった。一品料理や日本酒も追加注文したが、とても貧弱で愕然とした。砺波の居酒屋とは雲泥の差だった。
※ 北陸一人旅[番外編]について
6月28日(土)から7月3日(木)まで、約1140kmのドライブをした。車にはパノートソコンを積んでいったので、夜または朝にホテルでブログを書いていた。しかしながら、膨大な写真と思い出が一杯あり、その期間中だけでは書けなかったので、米沢に戻ってから[番外編]として、5日(土)以降4・5回に分けて書くことにした。
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思いがけない、ブログに出会う楽しみがあります。
夢グループ主催千昌夫&大川栄策ビッグショーを見て来た。米沢市民文化会館、午後2時に開始、あっという間の1時間40分だった。前半の大川栄策は、きのうの昼、NHKののど自慢のゲストとして長崎県五島列島に行っていたのを、TVで見た。季節外れの非常に強い台風8号が日本に接近中のため、下手をすれば米沢に来れなくなることも、あり得ない話ではなかった。千昌夫はきのうの内に米沢に来て、上杉神社を訪れたり、鷹山の湯にも行って来たとのことだった。
さざんかの宿、北国の春、星影のワルツ、夕焼け雲、津軽平野、カラオケでも時々歌うことがあるが、プロ歌手本人の熱唱を聴いて、さらにこれらの歌が好きになった様な気がする。
ショーが終了し、ロビーの混雑した人波を掻き分けて外に出ると、土砂降りの雨だった。送迎の車が文化会館の北の通りを埋め尽くし、混乱が収まるのに20分以上かかった。しばらく雨宿りをしてから自宅に戻った。
尼御前(あまごぜん)S.A. 福井県境に近い石川県の温泉郷、加賀市にちょっと気になる名前の高速道路のサービスエリアがあった。米沢に戻ってからネットで調べて納得できた。
参考:「KAGA 旅・まちネット」より
この尼御前にはいくつかの伝説があります。そのひとつに、義経一行が都落ちの際にこの海岸を通った時、足手まといになることを憂いた尼御前が海岸から身を投げたという伝説があり、この地名の由来とされています。
ところで、このサービスエリアにも芭蕉の句碑があった。[7月4日のブログにも北陸道のS.A.に建っている3つの句碑を掲載しています。]
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ホテルと民宿は旅行の2日前にインターネットで予約を完了した。最初の2日間、砺波と加賀はアパホテルチェーンを利用した。料金は他のビジネスホテルより少し高めだったが、チェックインの時朝食バイキングの割引券を勧められて購入しておいて、大変良かった。
加賀市は温泉地なのでホテルの最上階に大浴場があり、温泉気分を味わえた。バブル崩壊、リーマンショック、さらに東日本大震災と、観光地のホテルや旅館の経営は大変厳しいらしい。30日(月)能登半島に行く前に、山代温泉街に立ち寄った。かつてテレビでも「ホテル百万石」の宣伝をよく見たが、最近は見かけないと思ったら2年前に休業に追い込まれ、倒産していた。
4・5日目の高岡と上越のビジネスホテルは、料金も6千円以下で部屋も広くゆったり出来て、とても良かった。
3日目は、奥能登の珠洲市の民宿に泊まった。最近は、あらゆる物に口コミ情報が溢れている。若い世代の人達は、スマホでお店選びなどに利用するらしいが、自分は殆ど利用したことがない。老眼のため小さい文字は見えないので、電話とメールぐらいしかしたことがない。後日、民宿の口コミ情報を見たところ、大変良かったと言うのと、がっかりだっと言うのとの2種類だった。口コミ情報とはそういうものらしい。良くもなく、悪くもなければわさわさ書き込みはしない。自分も前もって見ておけばよかったのだが、あとの祭りになった。
旅には新しい発見がある。一人旅には一人旅の良さがある。家族旅行や職場の団体旅行では、普段の生活空間を旅先まで持って行ってしまう。それは旅行であって、旅とは言い難い。旅とは命に宿した心(魂)の洗たくをし行く場かも知れない。自分も含め、多くの人は日々の喧騒の中で、知らず知らずの内、心に汚れや垢を溜め混んでいる。時々、心をきれいに洗って乾かすことが、特に定年後は、体の健康維持と同じく大切なことの様に思う。
我が人生の旅も還暦を過ぎて、今まで目の前にあってもこれまでよく見ていなかったことに、ふと気付くようになり始めた。東日本大震災をきっかけに、3年前に始めたこのブログもまた、この世に生を受けた命の証として残す、我が四半生の旅の記録(終活)である。
芭蕉が江戸を出発して、松島や平泉を巡ってから山形県に入り、最上川を下り、酒田から日本海沿岸の多くの難所を越えた旅を通して、数多くの日本人なら誰でも知っている有名な俳句を残している。それら奥の細道終盤の句碑が、高速道路のサービスエリアやパーキングエリアの片隅に建っていた。多くの人達は句碑には目もくれず、日本海の展望台の方に向かう。四方山に囲まれた盆地に住んでいる自分も、穏やかな海を見ていると、心が和らいでくる。この6日間、能登からも北陸道からも、海が霞んで残念ながら佐渡を見ることはなかった。2・3年以内に佐渡にも一人旅に出掛けてみたい。
越後 出雲崎(いずもざき)
荒海や 佐渡によこたふ 天の河
市振(いちぶり)の関
一家(ひとつや)に 遊女もねたり 萩と月
有磯海(ありそうみ)
早稲の香や分け入る右は有磯海
これまで上杉藩の城下町米沢に住んでいながら、上杉家発祥の地、上越になかなか来ることが出来なかったが、今回の旅でようやく胸の閊えが取れたような気がする。
朝一番に高田公園内にある小林古径記念美術館を見学に出掛けた。残念なことに、古径の作品は展示していなく、別の企画展の展示をしていた。係の人の話によると、夏と冬は日本画の痛みを最小限に防ぐため、例年展示していないとのことだった。いつの日か、春か秋に来てみたいと思う。100m程離れた所まで歩き、文化庁の登録有形文化財に指定されている、古径のかつて住んでいた家と、絵を描くために使っていた離れの建物を見学した。広い公園はかつて高田城があった所で、お堀は蓮の葉で埋まっていた。7月末から8月にかけて花一杯になる頃、盛大に蓮祭りが行われているとのことだった。
今日は旅の最後の日、上越から会津、米沢と上杉藩の変遷を辿りながら5日振りに4時過ぎ帰宅し、孫の笑顔を見てほっとした。今夜からまた、現実の世界引き戻された日々がつづく。
留守中、家族には迷惑をかけたたが、26年振りのとてもいい一人旅だった。
富山県第二の都市高岡市はとてもきれいな街だった。朝30分ほど駅の周辺を散歩した。行き交う人はみんな忙しそうに足早に動いている。北陸新幹線開業間近(来年の春)ということもあり、駅はきれいにリニューアルされていた。宿泊したビジネスホテルは、価格帯が5・6千円前後で軽めの朝食サービスもあり、一人旅には打って付けの所だった。今日泊まる上越のホテルも、部屋も広くゆっくりとくつろぐことが出来た。
富山県と新潟県境の4・50kmは、50以上のトンネルの連続で、真夏の強い日差しの中、高速を飛ばしていると運転に疲れるため、30~40分毎にパーキングやサービスエリアで休憩し上越に向かった。有磯海S.Aのテラスで、富山名物マスの押し寿司を食べた。厚さ1cm程に薄く押しつぶしているので、一見ご飯の量が少なく感じたが、食べるとお腹一杯になった。
午後から上越市にある上杉謙信の居城、春日山城跡を見学した。見学をしたと言うよりは、山登りをしたと言った方がいいくらいだった。狭く険しい山道を登ると本丸跡にようやくたどり着いた。山城だったので、上越市から柏崎方面までとてもいい眺めだった。今は稼働を停止している原発の建屋も見えた。広い日本海の青さと、異質な空間が垣間見えて何とも複雑な心境だった。約1時間ほど歩いたので、茶屋で飲んだ冷やし甘酒がとても美味しかった。
7月になり、いよいよ北陸一人旅の後半に入った。珠洲(すず)市内の珠洲焼資料館、見附島を見学して距離約120km、一路富山県高岡市に向かった。旅の疲れが溜まり肩こりや胃もたれがするので、午後4時前に早めのチェックインを済ませた。
珠洲焼資料館は一番乗りでゆっくり見学できた。写真を撮る許可がもらえたので、沢山の貴重な焼き物の写真を撮った。素朴で力強い焼き物だった。帰り際、2番目の見学者が入ってきた。地元の小学校(3年生あるいは4年生ぐらい)の20名前後のの団体だった。係員からの説明に熱心に耳を傾けていた。
見附島も平日のせいか、観光客は大変まばらだった。海の中に20・30mの奇岩がそそり立っていた。