先週の新聞記事「水曜討論」。
「核ごみ地層処分 安全か」ってタイトルが付けられていましたけど。
実際のところどうなんですか。
「岩盤厚く、さほど危険ない。」
危険に「さほど」の付くレベルで考えて良いのですね。
かたや「技術過信、自然の変化軽視。」
確かに10万年先のことなど誰にもわからないんだもの。
まあ討論だから、ある程度の対極にならなきゃ読む楽しさも起きませんから。
高レベル放射性廃棄物の最終処分場問題は、地表から深いところに埋めてしまう方法が選択されていますが、それも絶対安全というものでも無さそうな…。
だからと言ってそれに代わる妙案も無し。
10万年先まで閉じ込めなければならない危険物を今の世代で扱い切れるのかどうか。
何を根拠に、誰を信じて進もうとしているのか。
次の世代に責任を押し付けてはいけない。
確かに今を生きる人たちで結論を出そう、って考え方に異論はありません。しなけりゃならないことなのは間違い無いし。
でもね、原子力の活用が、そこを抜きにここまで進められて来たことへの総括ってのはされないんですか。
そこのところの責任ってのは、誰が負うべきものだったのですか。
福島の原発事故の処理は道半ば。
復興の道が見えて来たかと思えば、今後は汚染水の放流が議論されるのです。
漁民の皆さんの心情は穏やかではありませんな。
ワタクシは原発そのものに反対だったけど…。
今でも廃止する方向で進むべきだと思っています。
でもね、電力の安定と引き替えにこれほど危険なものを手にしてしまったのなら、諦めて運命共同体になるしか道は無いのでしょ。
始めてしまったものは後には戻れない。
その責任を問い詰めたところで何も解決しないんだから。
そう、今の日本は責任などとらずに済む国。
それで良ければ頑張りましょう。
未来永劫、幸せであることを祈ります。