ケン太とのprecious days

3度の不登校を経て、なんとか高校を卒業し、社会人になったケン太。社会での成長&安定を見守る母のブログです。

笑うことが目標だって。

2018-03-06 12:54:07 | 感名を受けた話
昨日の午前中からだと思いますが、
皆さんのポチがまったく反映されなくなってしまいました。

閲覧の数はカウントされているんだけどね。

他のブロガーさんは問題ないようです。
私だけ

どうしちゃたんだろう~

ランキングもズルズルと下降気味
このまま消えちゃったりして?

まあ、そうなったらそうなったでいいですけどね。
読んでいただくことにはまったく影響のないことなので。

ちょっと調べてみます。

ポチしていただいた方、反映されていなくて申し訳ありませんん。
いつも、ありがとうございます




昨日、テレビ番組に、一青窈さんが出ていらっしゃいました。

生い立ちや今の生活などのお話をされていました。


お父様が癌の宣告を受けた時、
本人に知らせなかったことで、夫婦関係にヒビが入り、
(お父様は言ってほしかったようです)

お父様がお母様に口を聞かなくなり、
ついには自分の部屋に籠ってしまったそうな。

食事を部屋に届けても食べてくれず、そのまま下げる。
また届けては食べていない食事を下げる。

その繰り返し。

そんな光景をずっと見ていたそうな。


自分の家庭を持った今

「家族皆そろって食事をすること」

これだけは絶対にやりたいと思っていることだそうです。

家族で食事ができることって幸せなことですね。


うちの主人の父親は仕事が忙しく、接待で夜中に帰ってくることも多く、
家族皆で食事をしたという記憶がないんだそうです。

朝もそれぞれ出ていく時間が違うので、
起きたら自分でパンを焼いて食べて出て行くという生活だったそうです。

誰かを待って食事をしたという記憶がないし、
そうするものだ。そうしたいと思ったこともないようです。

お義兄さん達は、そんな感じには見えないんですけどね。

結婚当初、主人が帰ってきて食事を温め直して、
食卓に出すと、出された端から、次々手をつけて
私が準備を終えて席につくと、すでに半分くらい食べ終わっているということも。

「待ってくれないの?一緒に食べようと思って待っていたのに・・・」と言ったことがありますが、

え?ダメなの??という目をしていましたね

私の両親と同居するようになってからは、
皆が揃うのを待ってくれてはいましたが、

「家族って一緒に食事するものなの?他もそうなの?我が家だけじゃない?」ってずっと言っていました


育った環境はその後に影響するものですね。

一緒に食事しなかったから、一緒に食事したいと願うこともあれば、
一緒に食事しないのが普通という認識になる場合も。

それぞれなんですね。


テレビの話に戻りますが・・・

最後のインタビューの言葉です。


人が楽しければ自分も楽しくなる。

目標は常に笑うこと。

この先の10年、20年なんて誰にもわからない。
考えられるのは今のことだけ。

笑うために「何ができるか」だけを考えて生きていきたい。



目標が笑うこと・・だなんて。

いいな~と思いました。

ご両親を早くに亡くされているからこその言葉かもしれません。

笑うことが目標になるのは、いろんなことを乗り越えてきたからだと思います。

そうでなかった日々があったからこそ。

起きてしまうことは起きてしまう。
それは、その時に考えればいいこと。

先の心配をしたって、心配したとおりになるとは限らないしね。

それなら、なるべく今、笑って過ごせるといいですね。




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