北のはげおやじの徒然日記

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夏タイヤ交換と平均燃費

2014-04-25 12:47:00 | 

4月21日にDrで夏タイヤに交換し、22日・23日と街乗りは妻の車で出かけ、

天気に誘われて、3日ぶりにクラウンに乗って近郊のドライブをして来ました。

まだ、若葉の芽吹きはまだまだの感じですが、外気温も17度くらいまで上昇し、気持ちのいいドライブをして来ました。

この時期の北海道は、雪は解けたものの、「蕗の薹」や「つくし」などが目につくくらいで、春を待ちわびた木々の息吹を感じることはできません。

どこ行く宛のないドライブになりましたが、近郊の道の駅に出かけようと思い立ち、「新篠津」(しんしのつ)を目指しました。

田舎道で片道20Km程度です。

冬タイヤの高速利用などで長距離運転時の平均燃費は、9.5Km程度でしたが、ご覧のように11.5kmと2kmほど伸びました。

田舎道の所為もありますが、まあまあの成績だと思います。


平均燃費11.5km 走行距離1,937km​

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暑寒別岳方面​の山並み

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夏タイヤはトーヨーのクラウン用に開発されたものとDrの担当者は言っておりました。

静粛性、乗り心地、省燃費性も良さそうに感じました。


何故か特集ペーッジを選択できません。​


旅行記(その4、完)

2014-04-20 14:52:00 | 

第6日【4月11日(金)】

 

 ペンションのオーナーに記念写真を撮って頂き、早速次の目的地に向け出発する。時間は9時頃だったろうか。向かう先は、川越市である。ガズともであったある方がしきりに紹介するので、いつか立ち寄ってみたいと考えていたところ。ある方とは、そうMakotommaさん。

 

 Makotommaさんのブログは、川越に対する郷土愛に溢れていた。

 

 水上温泉から川越までは134.4km、およそ2時間の行程である。渋滞やトラブルに巻き込まれるようなこともなく、順調に運転を続け、11時前には目的とする界隈に到着することができた。

 

 ちょうど良いところに駐車場があったので中に入ると、係の方が、「市役所に御用の方ですか」と尋ねる。「いや、違います」とこたえると、「今日は平日なので、市役所に用務のある方以外は利用できないことになっています。申し訳ありませんが、この先に民間駐車場がありますので、そちらをご利用下さい。」と丁寧に説明し、決してぞんざいだったり、素っ気ない態度ではない。観光で訪れた人に対する配慮を感じさせる。

 

 市役所駐車場の通りは混んでいた。すぐそばに信号があり、赤信号で止まっている車が列をなして、その列は途切れない。駐車場から道路に出るのに苦労しそうな予感があったが、意に反して、信号が青になると、私の車が出ようとするとすぐに道を譲ってくれた。私が、そのような場合には、必ず譲るようにしているが、いざ、自分が譲られる立場になると、その行為はとてもありがたく嬉しい。それがよく実感できた。おそらく、川越の人々は、気持ちにゆとりがあり、人との接触を大切にしようと心掛ける人が多いのではないかと、勝手ではあるが、想像した。

 

 無人の駐車場に車を停め、早速、蔵造りの町並みの通りへ出てみた。出てみた途端、妻の目に飛び込んで来たのはちりめん屋さん。ちりめんで作った人形やハンカチ、リュックサックから衣類まで、ちりめん製品を展示販売しているお店。そこに20分くらいいただろうか。もともと、和装に造詣が深く、和装が好きな妻なので、和装に関することには殊の外、関心が深い。

 

 その後、向かいにある川越まつり会館​に入った。この会館には、利用者向けに駐車場が完備され、利用者は2時間無料らしいが、それは後からわかったこと。市役所の係の人も、そのことは教えてくれなかった。私たち夫婦が入った時には、ほかに入場者はないようで、説明の担当(祭りの法被を着た)の方は、殊の外親切に対応してくれた。

 

 最初の係の人は、祭りの故事来歴から他の祭りと異なるところなどを説明してくれた。川越まつりでは、威勢良く神輿を担いだりすることはしないそうである。神輿は神様が乗るものなので、揺らしたりはせず、車に乗せて、神社関係者が引いて通るものとのことであった。350​年の歴史があり、国の指定する無形民俗文化財だそうである。ついで、山車の展示スペースに移り、実物を見学し、あわせて6分間程度の動画を拝聴した。ナレーションは松平定知氏であった。動画鑑賞の後、山車に関する説明を受け、他に見学者もいないことから、私どもからも質問をさせて頂き、懇切にお教えいただいた。あっという間に、時間が過ぎ、懇切な説明にお礼を述べたところ、係の人から逆に、「熱心に説明を聞いて頂き、ありがとうございました」とお礼を言われてしまった。​


実際のまつりで使用されてる山車(2〜3ヶ月毎に、それぞれの町内が持っているものを

順に展示しているそうである。その入れ替えも大変だと想像される)

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まつり会館に結構な時間を割いたため、時間に余裕がなくなり、町並みをバックに写真を撮影し、会館の隣にあった道路から奥に向かって何軒ものお店が入っている建物の中程にあったラーメン屋でラーメンを注文する。結構お年を召されたご主人が「昔ながらの中華そば、醤油ラーメンだよ」と説明。ほどなく、提供されたラーメンを口に含むと、とても美味しい。「美味しいね」と主人に言うと、「テレビで3度ほど取り上げられた」と自慢実にではなく、言っていた。カウンターだけの店ではあるが、それなりに注目されているということを言外ににおわす発言であったように思う。本当に美味しかった。


蔵づくりの町並みの通り

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 今日は、旅行の最終日、大洗港に到着しなければならない時間は決められている。前日までのように、遅くなれば、宿泊先にそのことを伝えれば済むというわけにはいかない。川越から大洗まで161.5km2時間半程度の行程であるが、地理不案内で、万一の事態を想定し、時間に余裕を持たせて行動することを考え、13時に川越を出発した。後は高速の乗り継ぎで大洗港へ向かうだけである。途中、霞ヶ浦の風景が見たくなり、高速をおりて、湖畔に車を停めたが、

曇り空で、風が吹き、湖面に白波が立って、寂しさを感じさせる印象であった。

霞ヶ浦は初めて訪れたが、微風快晴の時に眺めることができると、違った表情を見せてくれるのではないかと想像した。霞ヶ浦と言えば、私には「潮来花嫁さん」が連想される。

 

 大洗港に到着したのが16時ころ。既に何台もの乗用車が並んでいた。乗船手続きを済ませたが、今度は急いで下船する必要がないため、一般の方々と同列に扱って頂くことにした。そうはいっても、身障者とわかる表示(黄色)をダッシュボードの上に表示しているため、上船に当たっては、エレベーターの直近に駐車できるように係員の方が配慮してくれた。

 

 この船もデラックスルームを手配したが、料金は40,650円である。苫小牧〜仙台の料金が39,300円であったから、差は1,350円。運行距離数を考慮すると、前者の方が割安感がある。

 

 割安感はあるものの、船旅の優雅さや楽しいものであると印象づけてくれる内装やスタッフの方々の気配りなどの面では、苫小牧〜仙台を利用した太平洋フェリーが数段上の印象であった。大洗〜苫小牧の三井商船フェリーのサンフラワー号は、建造年数が古いのではないだろうか、人やものを運ぶという基本性能に設計思想がいき、船旅の楽しさを演出したりリッチな気分にさせる造作と言ったことには、配慮が足りないような印象であった。

 レストランで出されるバイキング料理の質、スタッフの方々の人数、レストランそのものの造りや飾り付けなど、どれをとっても今一の印象が拭えない。

 

 そんな中、旅の疲れを落とすため、上船後と翌朝の2回、展望風呂に入ったが、船の中で入るお風呂はまた格別である。旅の疲れをいやすのにとても心地よかった。因に、お風呂の中でも、私と同年輩かもう少し若いのかなと思われる方でも、お腹の出ている人は少ないように見受けられた。贅肉が少ないすっきりした体型の方が多いように見受けられた。トラックなどの長距離運転などをされる方かもしれないと眺めていた。

 

第7日【4月12日(土)】

 

 行きもそうであったが、太平洋にしては珍しく、うねりのない海原を行く航海であった。殆ど揺れを感じない。

 

 わたしは、車の振動(大型バスを含めて)には強く、乗り物酔いを経験することは全くなかったが、船は別である。若いときから、釣りの船はもとより、青函連絡船や大型フェリーなどの乗った時にも、船酔いがして船に乗っている時間は苦痛であった。しかし、ここ十年くらいは、船に乗っても酔わなくなって来た。それは、老化に伴い、三半規管の感度が鈍ってくるからだそうである。老化は、喪失の積み重ねと思っていたが、このときばかりは悪いことばかりでないと思わせてくれる。

 

 朝食をいただいたが、取り立ててレポする内容もないので省略。殆ど、読書をしながら、時間をつぶす。タマーに、テレビで航路位置がわかるチャンネルがあるので、どの辺りを走っているのか確認すると、12時過ぎには、大分苫小牧に近づいていた。展望デッキにでて、撮った写真がこれである。


樽前山が見えて来た。

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 樽前山が見えて来た。そして、13時頃には苫小牧港に入港した。予定通りである。ここでも、おやと思ったことに、太平洋フェリーの時には、「車に乗り込んでください」などの案内が館内放送を通してあったのだが、それが、聞こえない。勝手に、時間だと思い、ロビーに行くと、一般乗客の方々の下船が始まっていた。われわれも、それに従い、車のところへ行ってもいいのか女性の係員に確認すると、「改めて案内するので、待っていてください」とのこと。ところが、待っていても誰も案内してくれない。再度、係の女性(私たちが待っている目の前にずーっといるのに)に、車のところに行ってもいいのかを確認すると、「皆さん、もう行っていますよ」とのこと。なんじゃこれはと思わせる出来事であった。これでは、「サービスが悪い」「スタッフ教育がなっていない。」「客離れが進んでしまう」のではないかと思われた。

 

 14時近くに下船して、一路、我が家へ向けて出発し、途中、夕食の材料(手間のかからない焼き肉)を買い、17時頃に無事に我が家に到着した。

 

【エピソード1

 4月9日に宇都宮の三男のマンションを離れる時に、孫はまだ寝ていたので、お別れの挨拶をしないで出て来た。目が覚めた孫は、われわれ夫婦が寝ていた部屋にきて、いないことに気がつき、母親に、「おじいちゃんとおばあちゃんがいない」「いますぐ追いかけよう。そうしなければ遠くへ行ってしまう」と言って、後を追うように嫁さんに泣いて懇願していたようである。嫁さんからのメールでその模様が知らされた。お別れをしないで出て来たことに後ろ髪(少しだけ、私の後ろ髪はまだ残っている)を引かれる思いをしたが、いとおしい。

 

【エピソード2

 退職前に、仕事上のお付き合いのあった方々が、送別会を開いてくれた。そんな中の一人から、宇都宮へ行かれるのなら、是非【餃子の正嗣(まさし)】で食べてみてくださいと、強く薦められた。そのため、8日の市役所での手続きが終わったところで、妻と嫁さんと孫を連れて、向かった。G-BOOKセンターに探してもらい、ナビに設定して出向いたが、G-BOOKセンターの係の人から、「本日営業しているかどうかの情報が確認できません」というようなアナウンスがあったが、最寄りの駐車場に止めて、仲通の狭い路地の中にある本店を探して、歩いて向かったところ、あいにく、本日休業の張り紙が手書きで張り出されていた。手書きの張り紙であるところを見ると定休日ではないようであったが残念、再度のチャレンジの機会を待つことにした。

 

 以上、6泊7日の今回の旅行のレポを漸く終えることができた。書き出しで、少々事細かに書きすぎたため、手抜きができなくなってしまった。細かく書きすぎたことを失敗したと思ったが、後の祭り。たんなる旅行の出来事の書き列ねなので、面白みに欠けたものになっているのではないか。おつき合いいただいた方々に感謝して、終える。(完)


旅行記(その3)

2014-04-18 11:41:00 | 

この日も快晴の朝を迎えた。二人とも朝風呂(ユニットバス)に入り、NKの朝の連続ドラマを見てから、1階のレストランに出向いて朝食をいただくことにした。


ホテルの窓から長野市内を写す

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 レストランの入り口で係の方に食券を渡そうとしたが、見当たらない。杖を使わないもう片方の手にIPADと携帯電話の間に挟んで食券を持っていたが、どうもエレベーターの中かロビーを歩いているうちにすり抜けて落としてしまったようだ。胸ポケットにでも入れておけば、そのような失態はせずに済んだものを全くドジなものである。食券を落としたことを告げ、探しに戻ろうとした時に、係の人が、「部屋番号をお教え下さい。それでよろしいです。」と対応してくださり、部屋番号を告げてレストラン内に入る。旅行先で不愉快な思いをさせないように配慮してのことと思うが、嬉しかった。

 

 ホテルの朝食バイキングの品揃えは、どこも似たような気がするが、レストラン内に「地元の新鮮な野菜」と書いたポスターが貼ってあり、和食・洋食用の主食、みそ汁、スープ、お惣菜、サラダ、デザート、各種ソフトドリンク、アイスクリームまで揃い、どれを選んだら良いのか迷うほど。今回は、おかゆを中心にお惣菜などを取り揃えいただいた。IPADを開きネットを見ながら(行儀が悪い)、朝日を浴びて心地よく食事ができた。レストラン利用者の2/3は東南アジア系の方々のように見受けられた。

 

 因に、朝食バイキングでは、新橋のホテルコムズ銀座の地下にあるレストランで出しているものが好きである。種類が豊富で好みのものが、品質もよく、コストパフォーマンスに優れていると思う。

 

 食後、部屋に戻り、二人とも用をたしてすっきりしたところで、ホテルを出て善光寺に向かう。ナビで善光寺を設定し、いざ出発。天候はいいものの、長野ではまだ桜は咲いていないようである。どの木も、つぼみであった。ナビに誘導されるまま善光寺本堂脇まできたところで、駐車場を探そうと、お土産物を売っているお店の関係者と思われる若人に、「本堂参拝の後、仲見世を散策したい。駐車場を探している」と伝えたところ、ここに駐車すると、すぐ本堂への入り口があると薦められた。500円を支払って駐車する。料金を受け取りながら若人は、「一応2時間となっているが、何時間でもいいからゆっくり見て来てください」と優しく対応してくれた。

本来なら、山門を通って仲見世を通り、本堂に向かうのだが、今回は、本堂脇から、いきなり本堂に入り、お参りなどした後に、山門を通って、仲見世散策に向かう逆ルートで行動することになった。

 本堂は、流石に大きい。木造の大きな建造物はいろいろなところで見て来た(東大寺大仏殿、出雲大社、知恩院、東本願寺などなど)が、それらに負けない偉容である。創起1400年になるそうだが、現存の本堂は幾多の火災に遭い、1707年に再建されたものであるとのこと。

 

 本堂では、いつものことではあるが、「家内安全」「健康維持」「世界平和」などを祈って手を合わせた。この瞬間ばかりは、旅行気分で浮かれていても、一瞬、厳かな気持ちになるのは、ミーハーな私だけか。

 

 参拝を済ませた後、妻は偉容を誇る山門に登りたいということになり、私は下で待つことになった。境内を目的もなく散策していると、添乗員につれられた一行が目の前を、説明を聞きながら通っていく。添乗員の説明は、私の知らないことが多く、なるほどと思わせる。ずーっと着いていった訳ではないが、添乗員の方の説明が聞こえるような位置で、私も一緒に説明を聞かさせて頂いた。本堂に向かって手前右手に大勧進という建物があるが、そのお堀には古代蓮(大賀蓮)が植えられているそうである。

 

 本堂を背にして、妻の写真を撮ろうとしたところ、若いご夫婦(多分)のご主人が、「よろしければご一緒のところをお撮りしますよ」と親切に申し出てくれた。頼んだ訳でもないのに、親切にお声がけして頂き、お言葉に甘えて、撮って頂いた(妻の意向で写真はアップ致しません。ご了解を)。お返しに、私も若夫婦を撮らせて頂いてお別れした。旅先でのこのようなちょっとした心遣いが、旅をいい意味で印象深いものにしてくれる。


大勧進の橋の上から山門(手前)と本堂(向こう)と一番手前の竹垣に囲われた部分に古代蓮

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山門から仲見世を写す(妻が撮影)

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その後は、仲見世散策である。微風快晴の気持ちのよい天候のもと、ゆっくりした足取りで、一軒一軒道路から覗きながら歩いた。浅草寺の仲見世は、ファッション用品、昔ながらの和装小物、おもちゃからお土産物までバラエティに富んだお店が軒を連ねているが、善光寺のそれは多くが仏事用品を扱う店で、所々にお土産屋さんと飲食店があるような造りである。われわれは、本堂からは一番外れ、入り口の山門を通ってすぐところに建っている「おみそ」を扱うお店で、何人かの知人用にお味噌のセットなどを購入した。お味噌である、結構な数量を購入するとかなり重たくなる。妻に、袋を二つにしてもらい半分ずつもとうと提案したが、妻は、私の膝への負担を考慮して、自分一人で持つといい、私は楽をさせて頂いた。通常、買い物などに私もお供をする(私はスーパーなどで鮮魚などが並んでいるのを見るのが好き)が、いつも(私は)手ぶらで、妻が重い荷物を持つのが我が家の夫婦で行動するときのパターンになっている。

 

 仲見世の散策を終えたのが丁度12時頃、不思議と言おうか、予報が的中と言おうか、初めての経験であるが、前日から「明日は前線の通過により、北陸以北は12時から15時にかけてにわか雨」と予報が出されていたが、まさしくその通り、にわかに曇りだしたかと思うと、車が走り出した頃には、ぽつぽつと雨が降り出した。こんなに予報が的中したことは今まで経験したことがなかった。日本アルプス見物を、前日に切り替えてまさしく正解であった。


入り口の門から本堂方面を写す(「門前みそ」ののれんのお店で、お土産を買った)

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 ナビに案内されるまま、一路水上温泉を目指す。ルートの詳細を確認しないまま走っていると、私が思い描いていた街を通らない。どうも、北回りのルートをナビは選択したようだ。高速利用で南回りコースを選択すると205.4m(所要時間3時間)、一般道で南回りを選択すると147.1Km(所要時間4時間47分)に対して、北回りだと高速と一般道を併用し165.5Km(所要時間4時間29分)となる。所要時間を考えると、距離は伸びても高速利用の南回りコースを通るべきであったが、ナビに誘導させるまま、北回りのコースを通っていることに「ここから新潟」という看板を見て気がついた。お粗末である。しかし、考えようによっては、南魚沼に高校時代の同級生(毎年、魚沼産コシヒカリを送って頂いている)が住んでおり、お会いすることはできないが、どのような町(数年前に群発地震が発生)なのか見る機会となった。

 

 1度も止まることなく、水上温泉に入り、そのはずれにある「ペンション朝ねぼう」(若隠居さんにご紹介いただいた)に16時過ぎに到着した。


ペンション朝ねぼう(ホームページから)

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 8台程度が駐車できる駐車スペースには1台の車もなく、気兼ねすることなく駐車。妻と二人それぞれがキャスター付きのスーツケースを持って、玄関に入る。ご主人が出迎えてくれて、若干の説明のあと、鍵を渡されるが、今日は「ほかに宿泊客はいないので鍵はおかけいただかなくてもいいですよ」とのこと、私は、人との接触を避けるより、求める方なので、若干テンションが下がる。

 

 そう言えば、湯布院に泊まった時にも、宿泊する部屋は、それぞれが独立した離れになっており、部屋に入ってしまうと、二人きりで、人との接触が食事処や共同の露天風呂などに行かなければまるでなかった。見ず知らずの人との接触は煩わしさを感ずる時もあるが、旅の目的には、人との新たな出会いを期待する部分もある。旅先で、地元の居酒屋に入り、店主やお客さんと楽しく会話するのもそう言う出会いを求めるから。それゆえ、離れ形式の宿には、正直泊まりたくないと思ったものだった。

 

 「露天風呂の準備ができたらお知らせします」と言われたような気がしたが、その知らせがなかなか届かない。利用できる状態になっていることを確認し、18時頃に、ちょっと坂を上ったところにある露天風呂に二人で入る。水温がちょうど良く、長く入っていても湯疲れしにくいいい温度であった。脇に枝垂れ桜が固いつぼみのまま立っていたが、これが咲いた頃には、また、いい雰囲気になることが想像された。いい露天風呂だ。

 夕食は1830分と約束していたので、それに間に合わせて露天風呂を出て、そのまま食堂へ入った。

 

 洋風料理とホームページに出ているが、前菜、パイの包み焼き、鶏もも肉、豚肉料理をメインに、蕗の薹や舞茸の天ぷらなども出て来て、十分な量である。最初に、ドイツワインの甘口の白のハーフボトルを注文し、乾杯。甘めでフルーティーな白はなかなか美味しい。白ワインをほどなく飲み終えて次に頼んだのが、フランスコートドゥローヌ地方のなで肩のボトルに入った赤ワイン(シャトーの名前、ビンテージは確認しなかった)。適度に渋みもあって飲みやすいワインであった。アルコール類は安価で提供して頂けるのはとても良かったが、ワイングラスにはちょっと拘って頂けるとなお良いと思ったのは私の贅沢か。話し好きのご主人がずーっとついてくださり、同じく話し好きの妻と会話を楽しみ、私はワインを飲みながら、主に聞き役。どんな話をしたのか良く覚えていないが、ご主人は昭和24年の早生まれとのこと。私より1学年上のはずだが、ご病気で2年留年しているため、学年は私が上だと話しておられた。実は私も高校3年の時にオートバイ事故で1年留年して卒業しているから、卒業は同年なのだが、説明が面倒なので黙っていた。私が乗ってきた車の話になり、ご主人は2月に車を新しくされたらしく、「白い車を見なかったか」とのこと。実は気がつかなかったが、ボルボのV60を購入したそうだ。セダンも欲しいが、飼っている4匹の大型犬(ゴールデンとラブラドール)を乗せられることが車購入の条件になるため、この車にしたと話しておられた。終わりの方には、調理を終えた奥さんも加わって、長く話し込んだが、3時間を越え、潮時と食事を終えることにした。ご飯とみそ汁もあると言われたが、ワインを飲み干すことで精一杯、満足して部屋へ戻った。

 

 翌朝は、前日午後からの曇天が嘘のように、また晴天である。妻は、一人散歩に出かけ、ペンションの犬を伴ってお散歩。犬舎を開放してやると、人なつこい4匹の犬が、初めてあった妻に従い、まるで主人の後をついてくるようだ。2階の窓から眺めるととても微笑ましい。我が家の柴犬「耕太」は、柴犬特有の警戒心が強く、気ままなところがあり、気にいらない相手には威嚇したりするが、ここの犬には、全くそれがない。散歩から帰って来た妻が、「誰にでも懐いてしまうのはどういうものか」と少々、懐疑的(?)な発言をしていたのが印象的。犬の臭いがついたからと、一人露天風呂に入り、7時30分から朝食をいただいた。パン、サラダ、スープなどのほかいろいろなものがテーブルを飾ったと思うが、思い出せない。今度は奥さんが主に、会話の相手をしてくれた。朝日を浴びて、心地よい。このペンションを継ぐお子さんはおられるのかというような話を妻がしていたように思うが、どういう答えだったのか、忘れてしまった。

 

 9時過ぎに、ペンション前と、私の車とご主人のボルボを並べた駐車場で、写真をご主人に撮って頂き、ペンションを後にした。


旅行記(その2)

2014-04-15 10:45:00 | 

第3日【4月8日(火)】

 この日は、本格的な引っ越しの手伝いである。ダンボールに入った書籍、衣類などを箱から取り出し、所定の位置に納める作業などを行い、昼頃からは、市役所や警察署などを回って、転居に伴う諸届けを行うこととし、私の車で連れて行った。

 市役所では、住民票や育児手当、乳幼児医療費助成制度に伴う手続き、警察署では免許証の住所変更の手続きなどを行ったが、いずれも、転勤シーズンのため、混雑していて、市役所では2時間半程度、警察署でも1時間程度待つことになったが、だいたいの手続きを終えることができて、私の最大の役割は果たすことができたのではないかと思う。私ら夫婦がいない場合には、嫁さんが孫を連れて一人で行うことになり、大変であろうことは想像がつく。

 

 この日も、夕食は外食である。宇都宮駅前のララポートスクエアというビルの中にある百均で、必要なゴミ箱などを購入し、地下にあるしゃぶしゃぶ居酒屋で会食した。大人2200円程度で、食べ放題のメニューであったが、食べ放題用のお肉で、食は進まなかった。

 この日も、孫同伴のためアルコールは抜いた。

 天候には恵まれ、この日も晴天であった。


第4日【4月9日(水)】

  一路、日本アルプスを見るために長野県へ、走行距離数336、6Km

 

 引っ越しの手伝いを終え、今日からはドライブ旅行である。天気予報では、明日、午後に前線が北陸以北を通過するため、明日午後に「にわか雨」があるとのこと。当初のスケジュールでは、今日は、長野に昼頃到着し、善光寺を参詣して1日を終える予定としていたが、天候の具合を考え、まっすぐに、白馬村などへ出向き、日本アルプスを見ることに変更した。

 今回のドライブ計画には、G-BOOKのマイドライブプランシステムを活用し、自宅で、日にち毎のドライブプランを作成し、ドライブ当日、登録しているドライブプランをG-BOOKセンターから呼び出して、ナビにセットするようにしていたが、急遽プランを変更したため、G-BOOKセンターの担当者に連絡し、希望のルートを設定し直してナビにデータを送ってもらうこととした。

 大変便利な機能ではあるが、白馬村近辺では、右左折すべき箇所をうまく認識できなかったため、その地点を通過してしまい、新たなコースをナビが勝手に設定し直しガイドしてくれたが、その道路が、とても山道で車2台が交差できないようなところに2度ほど案内されて困惑したことを経験した。ナビに頼りすぎないで、現地の状況を良く調べてから行動することの必要性を痛感させられた。

 

 最初にたどり着いたのが、小川村である。高山寺に続く「アルプル展望広場」から眺めた日本アルプスの山々の景観、「すばらしい」の一言。神々しさを感じた。つたない写真だが、アップしたのでご覧下さい。言葉は要らないね。

思えば、一昨年7月、富山側から立山の室堂まで登っているので、その反対側から日本アルプスを眺めていることになる。一人感慨に耽った。(笑)

 

 続いて白馬村へ向かった。白馬村にはアルプスのビューポイントは数カ所あり、事前に調べていったのだが、予定変更したため、ビューポイントをナビに設定できず、記憶を頼りに向かうことになり、いいポイントにたどり着くことはできなかった。

 小川村では、山の上から、向かい側の山の背後に雪を抱いたアルプス連峰を遠くに眺めることになるが、白馬村は日本アルプスに近いため、山が迫る感じになる。

 甲乙つけがたいが、強いて言えば、小川村から眺めた日本アルプスの方が、私には好印象であったように思う。


小川村アルプス展望広場から

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白馬村から

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 ナビに従ってドライブを進めたところ、結構な山道ルートに案内されてしまった。白馬村ではオリンピック競技が行われたので、道路整備が進んでいるはずで、長野に向かう道路は、別なルートがあるはずと思いながら、引き返すのもはばかられ、そのまま進んだ。途中、車が交差できないような箇所が何カ所もあるような山道ではあったが、クラウンアスリートのシーケンシャルシフトマチックを多用し、気持ちよくドライブできた。

 長野に到着したのが16時30分頃。宿泊は駅前の「ホテルメトロポリタン長野」である。地下の駐車場に車を停め(平日の所為か、駐車台数は少ない。駐車している車の中に、私と同じ白のクラウンアスリートがあった。思わず、隣に停めて2台並ばせようかとも思ったが、年寄りの遊び心を笑われそうで止めた。)チェックイン。しばし部屋で休憩の後、街にでて食事することにした。そうはいっても、地理不案内なため、ホテル向かいのビルの2階にあった居酒屋で一品料理を頼みながら、会食した。まずはビールで乾杯したが、中二日間アルコールを断っていたため、殊更、最初のビールは美味しかった。その日は、ビール中ジョッキー生2杯と浦霞の純米酒を2合いただいた。量としては、だいたいこんなもんです。

 

 妻もほろ酔いで、二人いい気分でホテルに戻り、就寝前に降圧剤を飲んで、気持ち良く眠りについた。

 

 1日好天に恵まれ、目的の桜と日本アルプスを写すという当初の目的は達成できなかった(小川村や白馬村は高地のため、桜はまだ咲いていなかった)が、晴天のもと、雪をいただいた日本アプルスをカメラに収めることができ、とても満足できた1日であった。


旅行記(その1)

2014-04-14 23:01:00 | 

退職後、最初の旅行は三男の引っ越し手伝いをかねた6泊7日の旅。

 愛車クラウンアスリートに乗り、自宅を出てから戻るまでの総走行距離は1228.2km

 その間、満タン給油は3度。平均燃費計の最高値は11.2kmを計測したが、平均すると9.5km程度、まあまあの数値であった。

 結構なドライブであったと思うが、若隠居さんは昨年1ドライブで2400kmをこなしておられる。それは、私がフェリーで移動した距離を含めたくらいの距離となる。若隠居さんのタフさには、想像しただけで、只々脱毛、いや脱帽だ。(笑)

 通過した県は、宮城⇒福島⇒栃木⇒群馬⇒長野⇒新潟⇒埼玉⇒東京⇒千葉⇒茨城と10県を数える。

 連日晴天に恵まれ、思い出に残るいい旅になった。

 以下に、日ごとの出来事をご紹介。

 

1日【平成26年4月6日(日)】

 愛犬を、いつも預かっていただいている犬のしつけ教室や犬ホテルなどを経営しているご夫婦に、午前中に預け、のんびりと出発の時間まで自宅でくつろぐ。

 15時15分頃、一路苫小牧に向けて出発。

 楽しい状況になることを思い描きながら、一般道をのんびりと運転し、予定の17時頃に苫小牧港フェリー埠頭に到着。

 搭乗手続きを済ませて、乗船を待つ。搭乗手続きに際しては、翌7日14時に宇都宮到着を目指して仙台を出なければならないことを説明し、なるべく早く下船できるように配慮を求め、しかも身体障害者であることをふまえ、エレベーターに近い位置に車を止めるように手配していただき、職員の方々には懇切に対応していただいた。

 行きのフェリーは特等室を利用し、車1台と乗員2名で片道39,300円である。普通のホテルを利用しても、素泊まりで7,000円程度はかかる。寝ている間に苫小牧から仙台まで運んでくれる運賃込みであることを考えると、車の移送費を含めてこの料金はとてもリーズナブルである。勿論、身障者割引が適用され、1種3級障害者の私には、付添人の運賃なども身障者割引の適用になるための価格であるため、健常者の方々の運賃と異なることはご理解いただきたい。(普通に収入を得て来た私が、身体障害者割引の適用になることには、身体障害者手帳を交付していただいた最初の頃(45歳ころ)には、後ろめたさを感じていたが、今は、利用できる限り、積極的に利用させていただくようになった。図々しくなって来たということか。)

 乗船後、18時開店の船内レストランで、バイキング形式の料理をいただきながら、妻と二人で歓談。豪華客船で ないフェリーの船内でいただく料理であることを考えると、まずまずの料理と及第点を与えて楽しく会食した。会食後、案内されるまま、シアターで行われるピアノとエレクトーンの生演奏を聞き、優雅な気分で自室に戻る。

 妻は、その後、展望大浴場に出向き、サウナ風呂などを利用したようだが、元来、風呂好きではない私は、自室で読書をして就寝。残念ながら、フェリーの船内にはワイファイ環境が無いため、ワイファイルーターのついていない私のIPadでは、インターネットを見ることはできない。ガラケイのジョグブラウザアプリでネットを見ることはできるものの、もどかしく、カムリオーナーブログなどへのコメントは、IPadでネットを覗くことができる環境になるまでは、諦めることとした。


第2日【4月7日(月)】

若隠居さんとの再会

 いつものように、4時40分頃目覚める。遮光性の強いカーテンのため、外の明るさはカーテンを開けなければ、わからない。蛍光塗料のついた私の腕時計で時間を確認するも、まだ、早いため、読書灯をつけて、昨日の続きを読み始める。

 5時30分頃になって、一人展望大浴場で汗を流す。やはり、夜間に入浴するよりも、早朝の方が、朝日を浴びて気持ちがいい。つい、気持ちよさと旅心に浮かれて、見ず知らずの同年代の人に、「気持ちいいですね。」と声をかけるも、「そうですね。」と答えが返って来ただけで、会話は続かなかった。

 8時には、レストランが開店する。これも、バイキング形式で、好きなものをチョイス。結構な種類の料理、ドリンク、サラダなどが並び、これを食べるのもフェリーの旅の楽しみと言えるような内容で、また朝日を浴びての朝食は、食欲も進み、とても満足できた。

 時は、あっという間に流れ、9時半くらいになると、車への移動のアナウンスが流れ、車に乗り込み、指示を待つ。そんな9時45分頃、携帯電話が、ハンズフリーのナビを通じて鳴りだした。発信者を見ると「若隠居さん」。驚いたが、フェリー埠頭で私の到着を待っているとのこと。以前、この旅行計画をブログアップした時に、面会のお申し出でをいただいたが、今回は息子の引っ越し手伝いのため、14時に宇都宮に到着しなければならず、面会し、懇談できる時間を取ることが物理的に不可能なので、遠慮させて頂く旨をお伝えし、若隠居さんには、了解して頂いていた。そのため、まさかとは思ったが、実はそうはいっても、このようなことになるかもしれないと、うすうす予感はしていた。(笑)

 寒風ふくフェリーの下船口を出ると、白のクラウンロイヤルが真正面にいた。気がついた私は、思わず、パッシングライトで合図を送る。一番最初に私の車が出てきたので、若隠居さんは驚かれたのではないだろうか。時間が無いことを承知しているため、お互いに下車して握手と挨拶を交わし、数枚の写真をそれぞれが撮り、7月北海道で再会しましょうと告げて、お別れしたが、そんな中で、私が、「禁酒は続いていますか?」と問うたことに、「10日になります」とこたえられたように記憶している。ほんの短い時間に拘らず、わざわざフェリー埠頭までお越しいただいた律儀さに、ただただ感謝してお別れした。


若隠居さんのお写真も撮ったのだが、それは私の妻とのツーショット。妻から「私の写真はブログにアップしないでください。」と念を押されているので、車のみの写真で勘弁願いたい。

左が若隠居さんのクラウンロイヤル

右が私のクラウンアスリート

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宇都宮到着 

 宇都宮には13時45分到着で予定通り。途中「安達太良サービスエリア」で小休憩し、運転を妻と交代。その間ちょっと仮眠をとり、次のPAで再び私に運転を交代し、宇都宮に入った。妻は、知らない土地でのナビ運転はとてもできないと訴え、「安達太良SA」と次のPAまでの間の1区間のみの運転で、以降、車の運転は、私が一切受け持った。


 安達太良サービスエリアにて

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 マンションに到着すると、既に、運送会社のトラックが到着していて、荷物の搬入作業を行っていた。運送会社は日本○運(株)で、実は三男が大学生の時に引っ越しのアルバイトしていた会社であった。三男の話によると、日本○運の引っ越し担当は、安心して任せられると言うことらしい。アルバイトしていた本人が言うのだから、間違いは無いか。

 

 業者の搬入時間に間に合わせて到着したが、実際には、業者の搬入が終わるまでは、業者の搬入の邪魔にならないように、孫(3歳半の女の子)の相手をしているくらいで、特段私のするべき仕事は無かった。孫の相手をしているだけでも、仕事と言えば言えるかもしれないが。

 

 金沢のマンションの時にも感じたが、立派なマンションであることに驚く。金沢の時には無かったエントランスホールの自動ドアは、セキュリティの関係から、鍵がなければ開かない仕組みで、訪問者は、訪問先の部屋番号を入力して、訪問先の人間を呼び出し、訪問先の人間が部屋からボタンを押して開けるようになっている。​


ミニオフ会

 孫の相手をしながら、間取りなどを確認して時を過ごしていると、16時30分になった。はやてこまちさんとのミニオフ会の約束の時間が近づいて来た。ファミリーレストラン「デニーズ」(北海道には無いように思う、息子のマンションから歩いても5分程度の近距離)で、17時の約束である。16時45分頃に、1時間ばかり約束した人との面会があるからと、妻と嫁さんに外出することを告げ、近くではあるが、「クラウンアスリート」に乗って会場へ向かった。広い駐車場に入る。私は、「カムリ」を探していたが、よく考えるとはやてこまちさんは仕事の合間を縫って時間を作ってくれたので、「カムリ」ではなく、「プリウス」で来られているのではないかと気がつく。気がついた途端、「プリウス」の車内で携帯電話をかけているちょっと頭が薄くなりかけ(ごめんなさい)の、写真で見かけた紳士がおられ、向こうも私を認識したようで、目線があって、私は、「プリウス」の隣に駐車する。両者とも、すぐに相手が誰であるかを確信し、外に出て、挨拶と握手を交わす。ちょっと車の話など立ち話をしたように思うが、内容は忘れてしまった。お互いにお土産を交換(私は日本酒と赤ワイン、はやてこまちさんは日本酒和菓子)し、レストランに入る。無理に時間を作って頂いたため、ゆっくりお酒を交わしながら懇談することはできないため、コーヒーを飲みながら1時間程度の雑談となった。二人に共通する話題は、車のこととネット上でやり取りしているガズともの方々のこと。最初は、退職した私の現在の心境などの話をしていたが、当然のごとく、ガズともの方々へと話題は移る。「Settaiさんの髪の毛の豊かさと黒さ」「若隠居さんの無謀な行動スケジュール(?)とバイタリティー」「車好きオヤジさんの博識とユニークさ」「国際的な広がりをもって活動しておられるオジジ〜さん、大雪さん、もみじまんじゅうさん」「大雪さんはどんな職業についておられるのか」「1年生さんが一昨年、北海道オフ会に山口からご両親をお連れして参加されたこと」などなど悪い噂話(笑)を時間が来るまでしていました。7月の北海道オフ会へのエントリーについてお誘いしたが、いろいろ事情があって難しいとのこと。妻や嫁さんと約束した1時間があっという間にきてしまったため、次回は、お酒を酌み交わしながら懇談しましょうと約束し、お別れした。


ファミレス【デニーズ」駐車場にて

プリウス、クラウンとはやてこまちさん

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「おじいちゃんと風呂に入りたい」

 マンションに戻り、妻と嫁さんと孫を連れて、外食に出かけたが、土地不案内のため、ちょっと前にはやてこまちさんと別れたデニーズに再度出向き、4人で外食することになった。この日は、孫同伴のため、アルコールは遠慮した。

 

 外食から帰って、テレビを見ていると、孫が「おじいちゃんとお風呂にはいりたい」と突然言い出し、驚く。何故って、私は子ども3人がすべて男子だったので、女の子とお風呂に入った経験が全くない。嬉しいような、はずかしいような気が頭をかすめたが、妻や嫁さんに促されて、二人でお風呂に入った。一番心配だったのが、孫の頭のシャンプーなどの時に、シャンプーやシャワー水が目などに入り、泣き出したりするのではないかということ。孫は、シャワー水やシャンプーが目にかかったりすると、目についたことを私に告げて、タオルなどで取り払うよう促すが、目の回りについたものを取り除くと、平然としていて、泣きわめくようなことは一切無い。頭から豪快にシャワー水をかけても平気なようで、私との会話を笑いながら、対応していたのには驚いた。もっとも、孫に使用した洗剤は「子どもシャンプー」と表示されていた製品だったので、目に入っても刺激性が少ないものであったのかもしれない。思いがけない孫との体験は、私にいい思い出を作ってくれたように思う。かくして、アルコールを抜いた2日目が終了した。

 仙台は、天候はいいものの寒風吹く気候であったが、南下するにつれて、風も止み、宇都宮到着時には、気温も上がり、晴天の1日となった。


続く