たそがれおじさんのぐうたら人生(TOGZ) 

「とかち」をこよなく愛するおじさんが自転車で巡る十勝野風景を発信(晩秋の日高山脈11/8)

今日は ひな祭り

2013年03月03日 | 日記

3月3日

今日はひな祭り

 

我が家にも

お雛様があって

毎年半月前から

 

我が家の

華になっています!

(いつまでこうしていれるのやら......)

 

お飾りのほどは

当初から大きく変化しました

ちゃんとした台座は

アジトの2階もの置き場にあります

 

お内裏様とおひなさま

気品あふれるその姿

見とれてしまいます

(5段飾りを省略しています)

この前テレビで見たら

時代に沿ったお雛様とか言って

おじさんにとっては

??????なお雛様まであるようです

 

そうです

我が家にも

まだありました

こんなのが

 

こんなのも

 

これも

 

極めつけは

お雛様といえるかどうか..............

 

 

 

ひな祭りの「歴史」と「ひな人形」については

Wikipediaから引用しました

歴史 [編集]

「雛祭り」はいつ頃から始まったのか歴史的には判然とせず、その起源説は複数存在している。平安時代京都で既に平安貴族の子女の雅びな「遊びごと」として行われていた記録が現存している。その当時においても、やはり小さな御所風の御殿「屋形」をしつらえ飾ったものと考えられる。初めは「遊びごと」であり、儀式的なものではなく其処に雛あそびの名称の由来があった。しかし平安時代には川へ紙で作った人形を流す「流し雛」があり、「上巳の節句(穢れ払い)」として雛人形は「災厄よけ」の「守り雛」として祀られる様になった。

江戸時代になり女子の「人形遊び」と節物の「節句の儀式」と結びつき、全国に広まり、飾られるようになった。この遊びである「雛あそび」が節句としての「雛祭り」へと変わったのは天正年間以降のことであり、この時代から三月の節句の祓に雛祭りを行うようになったと推測されている。もっとも、この時代には飾り物としての古の形式と、一生の災厄をこの人形に身代りさせるという祭礼的意味合いが強くなり、武家子女など身分の高い女性の嫁入り道具の家財のひとつに数えられるようにもなった。その為、自然と華美になり、より贅沢なものへ流れた。

江戸時代初期は形代の名残を残す立った形の「立雛」や、坐った形の「坐り雛」(寛永雛)が作られていたが、これらは男女一対の内裏雛を飾るだけの物であった。その後時代が下ると人形は精巧さを増し、十二単の装束を着せた「元禄雛」、大型の「享保雛」などが作られたが、これらは豪勢な金箔張りの屏風の前に内裏の人形を並べた立派なものだった。この享保年間から、人々の消費を当時の幕府によって規制するため一時的に大型の雛人形が禁止された。『御触書宝暦集成』十五では、「雛は八寸以下、雛諸道具は蒔絵は不可」という制限が見られる[1]。しかし、この規制を逆手に取り「芥子雛」と呼ばれる精巧を極めた小さな雛人形(わずか数センチの大きさ)が流行することになる。

江戸時代後期には「有職雛」とよばれる宮中の雅びな装束を正確に再現したものが現れ、さらに今日の雛人形につながる「古今雛」が現れた。また、18世紀終わり近くより囃子人形が現れ、幕末までには官女・随身・仕丁などの添え人形が考案された。雛飾りは嫁入り道具や台所の再現、内裏人形につき従う従者人形たちや小道具、御殿や壇飾りなど急速にセットが増え、スケールも大きくなっていった。御殿は江戸では用いられず、関西およびその影響を受けた地方で用いられ台所道具も同様である。

江戸の古今雛には原舟月などの作家ものがあり、ガラス製の玉眼も比較的早く用いられた。京都製に玉眼が入るのは幕末である。

雛人形 [編集]

3段飾りの雛人形

「雛人形」は、宮中の殿上人の装束(平安装束)を模している。「女雛」の髪型は主に「大垂髪(おすべらかし)」と「古典下げ髪(こてんさげがみ)」がある。「大垂髪」は、平安時代からの垂れ髪形式が鎌倉・室町を経て、江戸時代後期に完成された比較的新しい髪型で、ビン(前髪部分)を大きく張った髪型である。「古典下げ髪」は、割り毛とも呼ばれ、平安時代では長く黒い髪が美人の条件とされていたため、髪を全て後ろへ流し、わずかに垂らした両頬の毛を切りそろえた髪型で、顔を髪の毛で三方から包むことで面長に見せ、肌色の白さを強調し、より美しく見せるためとされる。「古典下げ髪」は、「大垂髪」よりも結髪の技法が難しく、結髪師の技量が問われるため現在は希少となっている。


信州ツーリング始動

2013年03月03日 | 自転車

おじさんがお世話になっている

火曜サイクリングクラブと本州の同好者

 

今年は

信州ツーリングと名うって開催

 

十勝のメンバーのお世話役をしてくださっている

帯広 Iさんから「信州ツーリング情報1号」が届きました

タイトル

「北アルプスの風になって」(写真は昨年の九州横断の阿蘇大観峯)

4枚つづり

 

 

もうすでに行った気分です

本州組の人数が今少し流動的と聞いていますが

12名以上でのツーリングになりそうです

 

5月の北アルプス

どんな姿を見せてくれるのか(くれないのか)

わくわく...........

 

ちなみに

今回初参加の

安平町Kさんご夫妻

 

昨年の

上士幌町「おっぱい山サイクリング」にも参加し

火曜サイクリングのメンバーとも

わずかな時間の交流場面があったので

記憶よよみがえれ!

3段目

帯広Tさん、帯広N女史

その左横にKさん奥様、Kさんと続いています

 

そうそう

もっと身近で交流してました

火曜サイクリングクラブを除く2人が

Kさん夫妻

 

今年のツーリング

北海道組は

少し人数も増え

華もあって...........

 

たのしみ!!