ふたがみ・かずひと と読む。
先日のドラフトで阪神に一位指名されたピッチャー。
何が俺の興味を引くかといったら、名字と名前が対になっているところだ。
二に対して一、神に対して人である。これだけでもう哲学的というか、
意味もなく苦悩したくなるというか、原罪について考えてしまうというか、
ニーチェっぽいなと知ったかぶりたくなるというか、ドイツあたりの文豪なら、
この名前をモチーフにしただけで作品を一本書いてしまうのではなかろうか。
先日のドラフトで阪神に一位指名されたピッチャー。
何が俺の興味を引くかといったら、名字と名前が対になっているところだ。
二に対して一、神に対して人である。これだけでもう哲学的というか、
意味もなく苦悩したくなるというか、原罪について考えてしまうというか、
ニーチェっぽいなと知ったかぶりたくなるというか、ドイツあたりの文豪なら、
この名前をモチーフにしただけで作品を一本書いてしまうのではなかろうか。
久美でくーみんは無難な反面、せっかく名字に”神”というインパクトのある文字が入ってるので、こちらを上手く活用出来ないものかな?とも思ったり・・・・(笑)。
ところで、FLASH誌11月10日号(通巻1072)の、
”'86に大ヒットしたアイドル&アーティストは今”
は面白い企画だと感心しました。
(この雑誌の創刊の年にスポットを当てた特集記事。)
私は、巷によくあるエイティーズという企画が、あまり好きではないのです。
アイドルで言えば、河合奈保子と浅香唯がテレビ番組で並んでいる所は想像しづらいし、伊藤つかさと菊池桃子はほぼ接点が無いでしょう。
洋楽だと、エア・サプライとガンズを同一項にまとめるのは無理があったり、ワム!がアメリカでブレイクした頃にはカルチャー・クラブはもう下火だったり・・・・とか。
ある特定期間での特集の方が、時代の雰囲気が伝わって来て、自分的には楽しめると思うんですよね。
その「ひとつにされると違和感ありまくり」な感覚はよくわかります。
最近、歌番組がどいつもこいつもナツメロ方向へ走っていて、
そういうところでありがちな「’80年代アイドル」というくくりで、松田聖子や中森明菜とおニャン子、果ては初期の酒井法子まで同じ枠で語られることがあったりしますし。
アイドルが主な対象としている若い層(当時その層に該当していた人)からすると、
「年度のひとつ違いは大違い」ですからねー。
現在から過去を振り返った場合、
「一昨年だったかその一年前だったか」は割とあいまいになることがある反面、
それがリアルタイムで進行していたときはそんなことはあり得ないわけで、
「だいたいでいいだろ」とするくくり方に対して、特定の時期に細かく区切るほうが、思い入れも深まるような気がします。
ブロンディとホイットニー・ヒューストンを「’80年代(にヒットを出したことのある)アーティストだから」という理由で同じ分類にする人っていないでしょうしねぇ。
「FLASH」は、書き手の中に明らかにヲタ寄りな人がいるのか、そこらへんのツボの押さえ方がうまいですよね。
矢神久美、って、昔のオリジナルビデオアニメのヒロインみたいな名前だw