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北原みのり おんなの話はありがたい 性被害者の訴えはどこに フラワーデモで見つめ直す、性加害者の「常識」で確定された無罪判決

2022年04月15日 | 事件

AERAdot 2022/04/13

 2019年3月に連続して起きた性暴力無罪判決に抗議するために始まったフラワーデモが、4回目の春を迎えた。花をもって被害者に寄り添い、性加害を告発し、性暴力に抗議しつづけてきたデモは、今回、44都市31都道府県+ロンドンで行われた。フラワーデモの始まりの場となった東京駅の行幸通りには50人ほどが集まった。

 連続した4件の無罪判決のうち、一審で無罪が確定してしまった事件について語ってくれた人がいた(他の3件は全て逆転有罪が確定した)。フラワーデモを語るとき、「無罪判決が逆転有罪になった」と強調してしまうことがあるが、そう語るたびに、一審で無罪が確定してしまった事件への悔しさが募るような気分になる。私自身、フラワーデモを続けるなかで、この事件のことはずっと頭の片隅にあった。あまりにもひどい判決内容(それは他の一審判決全てに共通することだが)だったこと、そしてこの一件だけが、裁判員裁判で行われたからだ。

 無罪が確定した事件は静岡県でおきた。深夜、支払いを済ませるためにコンビニに行った20代の女性が初対面の男性に声をかけられ、帰宅途中で被害にあった。裁判では女性が同意をしていないことが認められていた。身長が男よりも20センチ低く、体重も半分に近いほど体格差があったことから、頭が真っ白になり抵抗を諦めたことも認められている。それでも無罪になってしまったのは、男側の言い分が全て認められたからだ。

 男が見ている世界はひたすら自己中心的なものだった。女性は大声を出したり暴れたりなど強く抵抗したわけでもなかった、口にキスを求めたら嫌がったが頬にキスを求めたらすぐにしてきたのは彼女のほうからだった、無理やり口をあけさせたときに痛がってはいたが求めには応じた……。判決は男側の言い分に優しく寄り添ったものだった。「いわゆるナンパをした女性に対し、相手の反応をうかがいながら、徐々に行動をエスカレートした」とし、男が彼女が同意していなかったことを理解するには「常識に照らして疑問が残る」としたのだった。

 2019年3月に連続した無罪判決のうち、この事件だけが、女性がけがを負ったこともあり傷害事件とされ、裁判員裁判だった。つまり無作為で選ばれた一般人の「常識」が、この判決を導いたのだ。

 フラワーデモでこの事件について話してくれた人は、「常識」とは何だろう、と怒りを込めた静かな口調で言った。深夜、初めて出会った女性に対し自分の都合の良いように解釈しながら性的なことを強いる「常識」とは何だろう。「今すぐに射精したいから俺のために何かしろ」と聞くこともなく(実際に彼がしたのはそういうことだ)、相手の同意を得るような努力も一切せずに(たずねたら断られるのが分かるからだろう)、ただ怖がらせ、相手をフリーズさせ、戸惑わせ、判断力を失っているなかで性的なことを一方的に相手に強いることが、「常識」なのだろうか。

 フラワーデモでは、多くの性被害者が声をあげてきた。性加害者のほとんどが成人男性であり、性被害者のほとんどが子どもと女性である。筋力ではかなわず、社会的な地位や信頼も加害者のほうがある。さらに男性の性に過剰に寛容な文化のなかで、被害者の声がまともに聞かれることは長い間なかった。#MeToo運動とは、そんな「加害者の常識」を、被害者側からみる世界を語ることによって、「被害者の常識」を、「常識」にしようという運動である。

 静岡の事件は、被害者の常識からすれば、まるで違う世界になる。

 深夜のコンビニでいきなり知らない男から声をかけられた。しつこく名前や電話番号を聞き、ついてこようとする。家が知られるのはイヤだから、適当に名前を言って、適当に電話番号を渡せばきっと帰れるだろう。ところが名前を言っても電話番号を教えてもつきまといは終わらない。話をしようと言われ、断ると怖いという思いから仕方ないと諦める。触られて気持ち悪いが、大きな声を出したりしたら何をされるか分からないから黙る。怖くて頭が真っ白になり、逃げ出したいが、自分よりも大きな男に抵抗したら何をされるか分からない。だから全て従い、その時間が過ぎるのを待つ。

「相手の反応をみながらエスカレートさせた」と裁判員たちは判断したが、女性は一度も同意などしていない。ずっと固まっていただけである。それは生きて家に帰るために、明日も生きていくために必要な行為だった。性暴行の末、殺される女性のニュースを私たちはいくつ知っているだろうか。「抵抗したから殺した」と言う犯人の言い分を、私たちはいくつ聞いてきたことだろうか。夜中に知らない男から声をかけられる恐怖、つきまとわれる恐怖を味わったことのない人の考える「常識」が、性暴力を再生産させ続けているのだ。

 被害を受けた女性が取った行為は全て立派だった。自分を守り抜き、きっとすごく怖かったと思うが警察に行き相談し、裁判を最後までがんばった。そういう被害者の訴えを「加害者の常識」に照らして判断することの過ちは繰り返すべきではないのだと思う。

 フラワーデモは4年目になる。デモを終えた行幸通りで、帰りがたい気持ちで残った人たちと話した。「がんばったよね」「私たちえらいよね」、そんなふうに言い合いながら、社会の「常識の壁」に、被害者が怯えない夜を諦めたくないと強く思う。


今日も天氣は良いのだが、空気が冷たい。今朝も氷点下。

サクランボの木が倒れ折れてしまった。

カタクリは明日咲くかな?