永田町の裏を読むby高野孟
日刊ゲンダイDIGITAL 2022/01/13
年末年始の政治ニュースの中でも、公明党の元衆議院議員で財務副大臣まで務めた遠山清彦の在宅起訴の一件ほど痛ましいものはない。何が「痛ましい」かと言うと、これが単に一政治家の失脚というに到底とどまらず、58年もの歴史をもつ公明党という政党そのものの「死」を象徴する出来事だからである。
党名の由来はもちろん「公明正大」の公明で、辞書で見れば「心にやましいところがなく、堂々と公正に物事が行われるさま」である。政治の次元ではそれは賄賂・汚職・腐敗との戦いで、現に1964年の同党結党時の綱領4項目のひとつに「公明党は、腐敗選挙を徹底的に追放し、腐敗政治と断固戦って、公明なる議会制民主政治を確立することを誓う」と書かれていた(ウィキペディアによる。94年改定の現綱領にはこの文言はない)。
その党の「プリンスと呼ばれ将来を嘱望される存在」だった遠山が、銀座の高級会員制クラブに入り浸りだったというだけならまだしも、そういう場で日本政策金融公庫の中小企業向け融資やコロナ対策特別融資を口利き・斡旋する見返りとして1回に100万円単位の現金封筒入りの賄賂の受け取りを常習的に行っていたというのだから、これはもうお話にならない。
どうしてこんなことになったのかと言えば、90年代末の自自公政権、自公保政権を経て2000年12月の森第2次改造内閣から自公2党の連立政権が20年以上も続く中で、両党の癒着があまりにも深まったためである。
今では自民党は創価学会票を当てにすることなしに選挙を戦えない体質となった。公明党は自民党の与党体質にズッポリ感染して、賄賂・汚職を日常業務とするまでに堕落した。自公連立自体が日本政治のがんであることがいまや明白となった。
「いまや明白となった」?もっと前からわかっていたけど。この人達に「野党連合」をとやかく言う資格はない。