TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

鮭を見習う

2010年12月27日 | インポート
 クリスマスのイルミネーションが、取り払われたなと思っていたら、
早くも、町には、正月用品の露店が並んでいる。

 わたしの家は、親戚が集まるわけでもなし、
正月と言って、特別にあつらえるものと言ったら、松飾と、お煮しめ中心の正月料理、
そして雑煮である。

 この雑煮、地方によって、家によって、こだわりや味付けが違うものらしい。
 横須賀に勤務していたころ、このあたりでは、男性が雑煮を作るのだと同僚が、教えてくれた。
多くの場合、夫の実家の味付けを、奥さんが受け継ぐものと聞いた。
 
 わたしの家では、澄まし汁風である。
大根、ニンジン、ホウレンソウをコブダシでゆで、ブリの煮汁に合わせる。
 その中にモチを入れ、甘辛く煮たブリを載せる。

 父にとって、雑煮には、モチとブリがあれば、それでいいらしい。
偏食家の彼にとって、野菜は邪魔者でしかないのだ。
 正月が近づくと、
「ブリはもう買ったのか、何匹買ったのか」
と、しきりに気にし始める。
 モチの数も、元旦に○個、2日に○個、3日に○個、と綿密に算段し、不足がないように
整えておこうとする。
 縁起ものという意識があるらしく、食べるモチの数が多ければ多いほど、いいらしいのである。
 普段、食事の量にあれこれ口出ししない父であるが、ことモチの数に関してだけは、
「なんだ、たった一個なのか、おまえは」
「おれは、7個も食ったぞ」
と自慢げである。

 今や、年末に買いだめしなくとも、スーパーは正月から開いている。
 もしも足りなくなれば、すぐに買いに走ればいいのである。
あまりにも、ブリブリとしつこいので、
 「んも~、ブリブリブリブリ、言わないでちょうだい」
とうんざり顔の母とのやりとりが、繰り広げられる。 
 今の時期、恒例である。
 

 先日、夢の中に、父がブリの切り身になって、現れた。
隣の皿に並ぶのは、鮭の切り身になった母。
 目の前の皿を眺めて、わたしは、悔いている。
 「こんな姿になる前に、意思疎通できるうちに、どうしてもっと親切にしなかったんだろう」―。
 皿の上の切り身が父であり、母であるとなぜ、わかるのか。
 繰り広げられる場面は、非現実的でも、そこで味わう感情は、
妙にリアルである。
 悔いているのは、夢の中のわたしなのだが、その感覚は、
目覚めても、布団の中の現実と、違和感なく、つながっている。

 
 鮭は、産卵期を迎えると、誰に教わったのでもないのに、
必死に川を上り、ボロボロになってたどり着き、
そこで卵を産んで、息絶える。
「あんたを生んだ時は、こ~んなに大変だったのよ」
などと、いつまでも、愚痴る暇もない。
遺伝子に組み込まれたプログラムに沿って、ひたすらに川を上る。

 これこそ、見返りを求めない愛。
生き物の見本。
子供の方も、そんな親の苦労を知るべくもなく、気付けば自分も親と同じように、
産卵場所を求めて、必死に川を上る……。

 散々世話になっておいて、お返しのひとつもしない自分自身に対して、
わたしは、両親に対して、どこかやましさがあるのだろう。
見返りを求められたわけでもないのに、そのやましさを償うように、
頭の中で、言い訳することがある。
 「鮭を見習えばいいのよ」

 無意識の底にしまわれていたものが、
ある日ふと、鮭になり、ブリとなって夢の中に、形をとって現れる。
 これらは、どんなメッセージを送っているのか。
知りたくもあり、知りたくもなし。

  さて来年の初夢は、一体どんなものなのか。
大抵は、見たことさえ、忘れているのですけどね。

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犬の話

2010年12月22日 | インポート
 駅から職場までは、歩いて、15分ほどである。

 朝夕の通勤時刻には、犬の散歩によく出くわす。
敷地の広い邸宅が多い土地柄、大型犬が多い。
背丈は、小柄なわたしの半身ぐらいは、優にある。
 毎日散歩していると、犬友達というのができるらしく、
同じようなサイズの犬どうしが、飼い主に連れられて、
歩道いっぱいに歩いているさまは、圧倒されるものがある。

 朝は、始業時刻ギリギリ、夕方は、できるだけ早い電車を目指しているわたしは、いつも急ぎ足である。
 そういう時に彼らに出くわすと、先を追い越すことができずに、焦れることがある。
 犬が、地面のあれやこれやに気をとられ、歩をゆるめた隙に、追い抜くのだが、
しばらくすると、トトトトッという独特の足音が近づいてきて、再び追い抜かれる。
 いっそのことずっと先に行ってくれればいいのだが、ハタとまた立ち止る。
 そこで、再び、追い抜く。
 また追い越される。
 どうにも、落ち着かない。
追い越しざまに、ガブリとやられるのではないかと、心のどこかで、警戒している。
気まぐれで、じゃれついてくるぐらいのことは、ありそうである。
 犬のサイズに比べて、連れている人間様の方が、小ぶりで華奢だったりすると、いざというとき、
コントロールできるのだろうかと、不安になる。
  そう、わたしは犬が苦手なのである。

 近所を歩いていると、たまに、”ひとり歩き”している犬を見かけることがある。
そういう時は、わざわざ迂回して、進路を変える。
 やれやれと思っていると、なんと犬の方でも、進路を変えていて、再び、ばったりと出くわすことがある。

 走ったら追いかけてくるという話は、おそらく子供の頃に植え込まれた、まことしやかな教えである。
実際試したことはないが、今も、その教えは、真実味を帯びて、有効である。
 走るだけでなく、そっちを見てもいけない、さりげなく、何気なく、やり過ごさなくてはいけない……
 わたしが挑発しなくても、庭先の犬に吠えられて、いつなんどき、機嫌を損ねるか
わかったものではない。
 結局、小走りになってしまう。

 犬は、犬好きの人のことが、わかるという。
犬好きの人も、気軽になで回し、お手などしたりして、
おまけに、顔中なめまわされて、平気である。
 それほどに好かれれば、冥利につきるというものなのであろうが、わたしは何よりも、
この、顔中ベロンベロンというのも、ダメなのである。
 ムツゴロウさんが、よだれのすだれができているカバの口に頭を
突っ込んで、エヘラエヘラ笑っている映像を見た時は、信じ難い気がした。

 人間同士の場合でも、この人、どうも苦手だなあ、と思っていると、その気持ちは相手に伝わり、
ネガティブな態度が、こちらに返ってくる。
 犬もそれと同じ。
 犬の中にも、”人が悪い犬”というのがいて、(この場合、”犬が悪い犬”とでも言うのかしら)、
「こいつ、オレのこと怖がってるな、いっちょ脅かしてやろうか」
 などと、思わないこともないのだろう。

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隣の芝生

2010年12月20日 | インポート
 昨日、通信大学のサークルで、クリスマス会があった。

食事のあとは、演芸会とプレゼント交換である。
年齢層から考えても、演芸会という呼び名はふさわしい。

 クリスマス会というのも、久しぶりなら、プレゼント交換という響きも懐かしい。

 昔、音楽教室に通っていたころ、クリスマス会があった。
みんなで輪になり、バックミュージックが止まったところで、
手にしていたプレゼントをもらえるというしくみになっていた。

 子供というもの、(というか、今だにそうなのだが)サイズの大きいもの、
ラッピングの華やかさに惑わされる。
 サンタの包装紙に、リボンのひとつでもかかったものが当たると、ワクワクした。
中身をあけて、それが、非実用的でも、一度も使わずに、
結局押入れの中に半永久的にしまいこまれることになったとしても、
しばらくの間は、余韻に浸ることができた。

 さて、今回はくじを引き、その番号と同じ番号の品物をいただけることになっている。
順番に番号が読み上げられ、ひとりひとり受け取りに行く。
 すでにあちこちで、開けてみては、盛り上がっている。

 わたしが引いたのは、6番である、
何だろう。
いそいそと受け取りに行く。
真っ黄色の紙袋に白い大きな鳩の図柄。
中身はもう見なくてもわかる。
 確かにこのサブレは美味しいし、好きなのだが、それでも、
中身はなんだろな~と思いながら、包みをはがすという楽しみが、早くも失われる。

 ビンゴゲームにせよ、こうしたプレゼント交換にせよ、
わたしは、自分のいただいたものに心底、満足したためしがない。
我ながら、卑しいなあと思うのだが、どうしても他人がもらったものと比べてしまうのである。

「○○さん、中身何でしたか?」
「あら、オシャレ」
などと無邪気を装いながら、そっちの方がずっと良かったじゃん、
とひそかにうらやんでいる。
そんな気持ちを、おくびにも出さずに、
「わたし?鳩サブレでした。これ、美味しいんですよね」と
盛り上げようとするのだが、いまひとつ気持がはいっていない。
 
 なぜ、あのくじではなくて、隣のくじを引かなかったのか―。
会が終わるころになっても、未練がましく、心のどこかに、引っかかっている。
 食事も済んじゃったし、もう何にもない、あとは帰るだけ。
この寒空、駅までの道のりが俄然、遠く感じられる。

 楽しみにしていればしているだけ、失望も大きい。
所詮、お遊びさ、と割りきれないのである。


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まな板の鯉

2010年12月09日 | インポート
 11月の夕刊で、拓殖大学長の渡辺利夫氏のインタビュー記事を目にした。
彼は、『人間ドックが病気を生む―『健康』に縛られない生き方』の著者でもある。

 曰く、検査を受けてから、結果が出るまでの2週間、がんではないかという不安にさいなまれ、
「半病人」の状態で過ごしたとか。
加齢によって、身体のあちこちに不調が出てくるのはアタリマエ、老いや
死を遠ざけようとする心理そのものが、逆に、病や死を自覚させるのだと。
 彼は、還暦を境に、検査を受けるのをやめたそうだ。

 身に覚えのあることである。
精密検査までの何日間か、そして結果が出るまでの2週間、日中は忙しくしていても、
気持ちのどこかに、体調のことが、しこりになって居座っている。
 とは言うものの、早期に発見すれば、治療も軽く済む。
精密検査が必要と言われて、果たして、断る勇気があるだろうか―
 と思っていた矢先である。

 先日、職場で受けた健康診断の結果通知が届いた。
診断結果と一緒に入っていたのは、一枚の黄色い紙きれ。
通称”イエローカード”、精密検査を促す用紙である。

 検査のうち、苦痛もストレスも、最も軽く済むのは、聴力検査、
逆に、前処理も含め、苦痛が最大級なのが、大腸の内視鏡検査だと、わたしは信じている。
 今回、指示されたのは、こともあろうか、大腸の精密検査である。

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 昨年、近所のクリニックで受けた内視鏡検査を思い出す。
腸の屈折が強いということで、休憩を挟んで延々、一時間半以上かかったっけ。
 その間、ベッドの上で七転八倒、結局痛みが強過ぎて、最後まで到達できなかったのだった。

 しかしやはり、気になるものは気になる。
渡辺氏のごとく、検査を無視する勇気は、わたしには、ない。

 通知を受け取った次の瞬間には、受診機関に電話、その日のうちに紹介状を
書いてもらい、翌日かかりつけの病院で、再診察を受けるべく、手はずを整えた。
 不安感に煽られると、相変わらず素早い対応になる。
 万が一のことを考えて、今年は、総合病院を選ぶ。

 さて、診察の結果、案の定、内視鏡の予約となった。
 結果よりも、検査自体に対する恐怖心で、それこそ「半病人」状態。

 無事生還できるだろうか。

 食事制限は、検査前3日より始まる。
 食べてはいけないものリストと、食べてもいいものリストを見比べると、圧倒的に、
「いけないもの」の方が多い。
 ダメ、と言われれば、食べたくなるのが、人情というもの。
 天丼、かつ丼、ドーナツに、スナック菓子、粒あんたっぷりのどら焼き……。
 普段食べないものまで、食べたくなってくる。
 検査への恐怖心を、食事制限のストレスに、すり替えているかのようである。

 当日は、朝の9時に来院する。
 2時間半かけて、おなかの中をすっきり洗い流す。
 身体を動かしたほうが、腸の動きが良くなると言われて、病院内を散歩。
 どうしても、足が向いてしまうのは、売店。
 そこで、どうしても目に付くのは、菓子パンだの、弁当だの、スナック菓子……。

 長い時間がゆっくりと流れた。
 腹が減っては、戦ができぬと言うが、食べ物のカスだけでなく、腸内細菌まで、根こそぎ
洗い流した上での”戦”である。
 検査が始まる頃には、体力も、気力もすっかり底をついている。

 「去年は一時間半もかかったんですよ」
と、検査台の上にのぼっても、しつこいほどに念を押すわたし。
 「頑張ったんですねえ~」と、看護師さんが、呑気に答える。
 「力が入り過ぎているから、痛いんですよ。お尻と管が、喧嘩しちゃってますから」
とは、検査の先生の弁。
 「力を入れるなって言ったって、仕方ないわよねえ」
と、代わりに弁護してくれる看護師。
 どうやら、検査と言うと、力が入り過ぎるたちらしい。

 もしかして、今年は痛くないかもしれない、というわずかな望みは、始まって5分とたたないうちに、
打ち砕かれる。
 紙の枕カバーを引きちぎり、看護師さんの力強い腕をわし掴みにし、
ベッドからずり落ちそうになりながら、
「ダメダメダメダメ!」
「無理無理無理無理!」
「イタイタイタイタイタイタ痛アーイ」
と今年も絶叫、分娩さながらである。

 ”さっき見かけたような気がしたポリープらしきもの”を探して、何度も管を往復させるものだから、
なおさら時間もかかる。
「いい、いい、もう終わり終わり」
と心の中で叫ぶ。

 結局のところ、問題にするような病変は、見つからず。
何もないに越したことはないが、隣のベッドから、
「検査受けて良かったですよ。ポリープが2個も見つかりましたよ」
という声が聞こえてきた時には、複雑な心境になる。
 苦労のしがいが、あったということか。

 小一時間の休息のあと、許可が出ると、まるでお預け食らった犬が、
「良し!」と言われたかのような勢いで、売店へと向かう。
 あれだけ頑張ったのだから、好きなものを好きなだけ食べてやろうと、意気込んだものの、
選んだのは、シソおにぎりと、クリームパンに、ミックスジュース。
 あれこれ、物色した割には、こんなものである。

 内視鏡検査の苦痛は、多かれ少なかれ、誰しも共通のものらしい。
 それでも行われているのは、それを上回るメリットがあるからだろう。
 もちろん、悪い病気がなかったとわかるというのも、大きなメリットである。
しかし、健康な腸を散々引っ掻き回し、傷めつけてしまったということに、
後ろめたさみたいなものを感じるのも確かである。

 その夜、テレビドラマ『モリのアサガオ』を観る。
死刑確定囚と、刑務官との交流を描きながら、死刑の意味を問うという、
郷田マモラ氏原作の漫画を、ドラマ化したものである。

 刑の執行は、当日まで、本人には、知らされない。
 その日の朝、時間がくると、前後左右を刑務官に囲まれて、
死刑囚は、刑場へと向かう。
もう逃げられない。
 間際になって、暴れようものなら、即座に取り押さえられ、ロープに首を通され、
そして、足元の床板が、開く―。

 片や、命を救う検査、片や、命を奪う死刑。
対極に置かれたものなのだが、イメージが重なって、ひと晩、目が冴えてしまったのでした。

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香典袋

2010年12月01日 | インポート
 両親が、父の実家のある神戸へ、旅行がてら出かけることになった。

 父には、兄弟姉妹が4人いる。
配偶者も含めて、皆健在である。
彼らの息子娘たちが小さい頃は、孫の顔見せも兼ねて、祖父母の家によく集まった
ものだが、総元締的存在の祖母が亡くなってからは、足が遠のいている。
 特に阪神淡路大震災で家が倒壊し、伯父の建てた家に代替わりしてからは、
気軽に訪問しづらいということもある。

 子供の頃、年に一度か2度であるが、”神戸のおばあちゃんち”を訪問すると、お小遣いをもらった。
正月に帰省しない時は、お年玉が郵送で届いた。
 わたしにとって、おばあちゃん=お小遣いをくれる人、というイメージが染みついていた。

 あれは、40年ほど前、わたしの弟の葬儀の日のことである。

 式は、自宅のアパートで行われた。
業者や、親戚、弔問客が立て込む中、祖母が、白い封筒を、
わたしの近くにあった小さな机の上に、置いた。
 わたしは咄嗟に、
「ありがとうございます」
とお辞儀した。
 人からものをいただいたら、お礼を言うように、と叩き込まれていたので、
状況判断よりも、何はともあれ、まずは感謝の言葉、だったのか。

 すると、祖母が、
「あ、これはね……」
と子供の目から見ても、明らかにうろたえた様子で、その封筒を、スッと机の向こうに置き直した。
 何やら、気まずい空気が流れた。
 しかし、そのただならぬ雰囲気が何なのか、8歳のわたしには、わからない。
 わからないまま、居心地の悪さだけは、ずっと心に残った。

 月日が経ち、知識も増え、あれがわたし宛ての小遣いなどではなく、どなたからか
いただいたお香典だったと知ったのは、それほど後のことではなかったように思う。
 知った時には、まさに”穴があったら入りたい”心境だった。

 悲しいかな、8歳の子供には、香典袋と、ぽち袋との区別がつかなかったのである。

 本当だったらその日、祖父母は隠岐の島へ旅行に出かける予定であったのだが、
孫の葬儀のために、行けなくなってしまったと、後年、残念そうに話すのを聞いたことがある。
 彼らはよく連れだって、旅行に出かけていた。
 体調を崩しがちだった祖父が逝ったのは、それから4年後である。
 そういう意味では、それが、夫婦そろっての最後の旅行になるはずだったのかもしれない。

 香典袋や旅行などといったことは、背景で起こっていた出来事に比べれば、些細なことである。
それだけに、かえって際立って、いつまでも覚えているということもある。

 祖母は、この香典袋のことを覚えていただろうか。

 確かめてみたいと思ったこともあるが、忘れていてくれたら、それでいいのだし、
万が一覚えていたら、恥の上塗りになるだけなので、敢えて聞いてみる勇気はなかった。

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