TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

始まりました、パリ五輪

2024年07月27日 | エッセイ
パリオリンピックの開会式。
さすがに夜中の2時過ぎに起きている元気はなかったので録画をして朝がた見た。
段々空が暗くなっていく様子、最初は雨が降っていなかったのに雨音が聞こえるほどに雨量が増えていく様子など、外での開会ならでは。
聖火を持った人が縦横無尽に走り回るので、彼とともに周囲の景色も変わり、いっしょにパリ市内を観光しているような気分にもなる。
参加者はずぶ濡れになりながらも笑みを絶やさず、跳んだり跳ねたり歌ったりしているので、こちらは雨が降っていることを忘れるほど。
よくよく見てみれば、髪の毛はぐっしょりと濡れ、ピアノにも水たまりがいくつか。
図らずも、雨のおかげで「濡れても消えない聖火」が実証された。

各国の選手団は船に乗っての入場である。(「入場」という言い方も、会場が固定されていないので少し違うかもしれないが)。
小さなゴムボートが、前を行く船の起こす波に揺らぎながら進んでいくかと思えば、客船並みの大きさのものまで。
大きな船には、定員オーバーしてない?と思うほどぎっしりと選手が詰まっている。

昔、「地下鉄はどこから入れるんでしょうね?」という漫才があったが、あれらの船はどこから引っ張ってきて、開会式までの間、どこにどう並べて置いて、そして本番になったらどんな手順で選手団を乗せてあそこまで流れてきたのか。
その労力と手間暇を考えると、気が遠くなりそうである。

それにしても、あの燃え盛る気球はいったん浮かび上がったあと、いずこへ?
騎士の姿をして仮面をかぶった聖火ランナーに選ばれたのは、どんな人なのだろう?
などと、あとあとまで気になることの多い式であった。

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気づけば「介護者」になっていた。

2024年07月21日 | エッセイ
「介護者のつどい」なるものに初めて参加した。
各地区の地域包括センターで月に1度程度実施されている。
センターの職員がファシリテーターを務め、集まったかたたちが日々、介護していくうえでの困りごとや悩みをフリートークで話をする。
医師が同席しており専門的な立場から助言したり、経験者がアドバイスしたりということもある。
その日の参加者は男性3人、女性はわたしも含めて3人。
登録している人は10人前後らしいが、家の事情などで参加できない人もいるらしい。
その日わたしが、両親の状況や自分の立場などを自己紹介がてら話すと、ファシリテーターの職員が、馴染めるようにと気を使って話を振ってくださり、参加者のかたたちからはそれぞれの立場に基づいて感想や助言が返ってきた。
皆さん、現在は配偶者の介護をしており、お年も60歳代から90歳までと幅が広い。
親の介護はすでに終えているので、経験者としての立場から共感したり話を聞いてくださっているのがわかる。

参加者のひとり、90歳の女性は、95歳の御主人を自宅介護していると言う。
彼女が「まったく男の人って頑固! 全然こっちの言うこと聞いてくれなくて」と言えば、もうひとりの女性が大きくうなずき、ほかの男性参加者たちが照れ笑いをして雰囲気が和む。
配偶者問題とは無縁のわたしだが、両親の姿を重ね合わせたりして聞いている。

介護など他人事だと思っていた。
両親は要支援・要介護なのに、なんとか自立して生活しているので、自分が「介護者」であるなどと思ったことはなかった。
それほどの役割を担っていると思っていなかった。
というよりも、親が介護が必要な立場にまで弱ってしまったことを心のどこかで認めたくなかったのかもしれない。
しかし、「母娘は精神的に距離が置けないので辛いですよね」
「自宅介護から施設介護に移行するタイミングと線引きはむずかしいですよね」
「ちょっと自分が頑張ればできると思っているうちに深みにはまってしまいますよ」
「今日この問題を乗り越えればと思っても、明日には別の問題が起きますよ」
などという参加者たちの言葉はどれもこれもひとごとではなく、まっすぐに自分に刺さってきた。

共感しあえた心地よさと、初対面なのに調子にのって自己開示し過ぎた? という居心地の悪さの両方を抱えて、1回目の参加を終えた。

同席した医師曰く、「コロナが流行してきたので、来月の実施は見送ったほうがいいですよ」。
「ええッ、そうだったの」。保健所に居ながら全く知らなかった。多少増えているようだとは聞いていたが、コロナなど、遠い昔に”終わった感”があった。
そういえば、パリオリンピックもその存在を全く忘れていた。
実家と自宅を行ったり来たりしているうちに、周囲に対する興味の幅がすごく狭まっていたのだと思い知った。
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いつ終わることやら

2024年07月18日 | エッセイ
非常勤職員として再就職してから約4か月。
現在は、「災害時マニュアル」の改訂作業をしている。
災害が起きたときの対応について、その手順や連絡先などが書かれたマニュアルである。
どこから手をつけていいのかわからずに、ほぼ10年近く放っておかれたものらしい。
いつ起きるかわからない災害よりも、目の前の用務が優先されるのである。
実際に災害が起きたときに、この分厚いマニュアルをいちいち読んでいる暇や余裕があるかはともかくとして、あったほうが気持ちの拠り所にはなる。
なにしろ、職場は陸の孤島のような場所にある。
電車やバスがストップしてしまったら、頼みの綱は手持ちの防災倉庫、近隣の医療機関や、商店の類だろうから。
この作業を、わたしのような週3日程度のお手伝い勤務の人間に任せるのは、業務量的にもぴったりだと踏んだようだ。

さて、軽い感じでさらっと頼まれたわりには手をつけてみると、ことさら細かい作業で往生している。
組織が10年前とは大きく変わっており、連絡先の電話番号だけでなく、部署そのものがすでに存在しなかったりする。
それをネットで調べて赤字で加筆修正していくのは、蟻んこを一匹ずつ見つけてはつぶしていくようなものである。
机にしがみついて「蟻んこ作業」を続けていたら腰がジンジン痛みだしてきて、座っていられなくなった。
立ってそこいらを少し歩いて、そして再び席に戻る。
目もしょぼしょぼしてきたので、目薬をさしにトイレに向かう。
時間が長く感じられる。
こんなペースでは、おそらく来年度に持ち越しだろう……。

終業時刻の4時半、皆さんよりも一足先においとまして電車に乗ると、先ほどまでの腰の痛みがウソのように引いた。
電車の座席が、腰痛持ちの乗客に優しい構造に作られているとはとうてい思えないが、本当である。
からだは正直なのである。



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再びマインドフル

2024年07月13日 | エッセイ
NHKの番組『あしたが変わるトリセツショー』を見る。
以前この番組で、まぶたを5秒ほど温かいお湯でぴちゃぴちゃやるだけで目が潤うというのを教わり試したところ、目がすっきりとした。
以来、興味のあるテーマの時に見ている。

今回のテーマは「さらば! イライラ不安「新・めい想」」だった。
新・めい想とは、近頃はやりのマインドフルネスである。
めい想というと宗教っぽくて抵抗がある人もいるようだが、今や、企業や医療関係機関でも取り入れている手法らしい。
わたしもかつて、関係の本を何冊も買って何度も挑戦した。
それなのに、どういうわけか途中で挫折してしまう。
雑念が湧くのはしかたがないらしいが、「今、ここ」に戻ってくるのが苦手なのだ。
ついつい、先々の不安や考えに引っ張られてしまう。
その方が自分にとっての「自然」なのだ。
自分には向いていないのかも、と断念してしまう。
その繰り返しだ。
気持ちが慌ただしいのだろうか。
ゲスト曰く、「要は丁寧に暮らすということですね」。
なるほどその通り、わたしは丁寧に暮らすのが苦手らしい。
気持ちがいつも先に先にと先走って、行動が機械的。手元を見ていない、目の前の景色を味わっていない。考えてみたら、なんてもったいない。
10分感、呼吸に集中というのがキホンらしいが、それが無理なら、歯を磨くこと、届いた郵便物をゆっくりとあけること、電車に乗ったらその音に耳を傾けるだけでもいいらしい。
また再挑戦してみよう。
「食べる」めい想は、早食いのわたしにはハードルが高そうなので、できそうなことからやってみよう。
気持ちがそれて感情や不安に飲み込まれたら、それを自覚して、できるだけ早く、今やっていることに、それがなければ呼吸に戻ってこよう。
これで安眠確実、不安感が吹っ飛ぶとは到底思えないが、再挑戦する価値はありそうだ。

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訪問看護

2024年07月06日 | エッセイ
ケアマネさんと、訪問看護ステーションの管理者、担当看護師が実家の居間に集合した。
母に対する訪問看護契約を結ぶことになっているのだ。
時間的に、父の訪問リハとの入れ違いだったために、帰りがけのリハスタッフも入り混じって、部屋の中が一時騒然とした。

管理者は男性看護師で、髪の毛を後ろに結んでいる。
担当看護師はメガネをかけ、髪の毛を短く切りそろえた若い女性だ。
偏見であるが、髪の毛を伸ばして後ろで結んだ男性に、「軽い」イメージを抱いてしまう自分がいる。
初対面の挨拶のあと、名刺が渡される。
母の体調の聞き取りにはいる。
母のとりとめのない話が一段落ついたところで、わたしが最近の母の様子を要約して話し始めると、訪看管理者と担当看護師が一斉にメモを取り始める。
脳梗塞の後遺症や、体重減少の話、ろれつがまわらなかったエピソードなどなど……。
なにやら記者会見のようだ。

彼らの本日の要件は、訪問看護の契約を結ぶことだ。
ケアマネさんが「お母さま、こうやって話すのは大事なことですよ」と母に向かって言う。
なんとか母がその気になってくれるように話を展開しようとしているのがわかる。
これは福祉であって営業ではないのだという気持ちがわたしの背中も押す。
そもそも、ケアマネさんに相談して手筈を整えてくれるように頼んだのはわたしなのだ。
母の口から「お願いします」という言葉を聞くと一同の間にホッとしたような空気が流れ、手続きの話にはいる。
本人と代理人の欄にわたしがひたすら名前と住所を書く。契約の内容を読み上げてもらうがその場ですぐに頭にはいってこない。
こちらが理解しようとそうでなかろうと、彼らには説明責任というものがあるのだ。
体調の聴き取りは済んだ。
必要な書類もそろった。
当初母は周囲から言われるままに、「そうね、そうね」と乗り気な返事をするものだから、てっきり理解して納得しているのかと思いきや、この場におよんで、「それでこれから何が始まるの」「何をしてくれるの」と聞き始めるので、実はわかっていなかったことがわかる。
いつものこととはいえ、ひやひやとさせられる。
認知症の父はともかく、そうでない母までもとんちかんだと思われたくない。
彼女は饒舌なだけに、物忘れや勘違い、ちぐはぐさがとても目立つのだ。
管理者が担当保健師に向かって小さな声で、「こんな感じです」と言う。
なにがこんな感じなんだろう。
母の状況? それとも、契約までのもっていきかた?
些細なことが気になる。

40分ほど経った。
御用は終わった。
机の上の麦茶は誰も飲んでいない。
この猛暑の中、わざわざ来てくれたのだからお出しするのは自然なことだ。
しかしたった今、「飲食の提供を受けない」と明記された契約を結んだばかりだ。
飲まないのは彼らにとって「倫理上」あたりまえのことなのだろう。
それでも、そこまで厳密にならなくてもいいのに、とも思う。

バイクや電動自転車にまたがって、皆さんそれぞれに帰っていった。
慌ただしさとあっけなさが残った。
高齢化率が高いこの界隈、需要も多いのだろう。

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