TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

こんな顔でよければ‥‥‥

2020年09月26日 | インポート
小雨の降る日だった。
地下鉄の階段を出たところで、若い男性に声をかけられた。都心の一角、商店街へと続く出口である。
「あの、すみません。○○テレビですが、急に寒くなりましたよね、そのことについてインタビューさせていただきたいのですが……」見れば○○テレビ局の腕章をつけ、名札をぶらさげた若い男性である。ずっとそこに立って、受けてくれそうな人を待ち構えていたらしい。
雨に濡れないように、ビニールにくるんだ小型のテレビカメラを抱えている。
「今、急いでいるので……」。常套句として断ることもできたが、これってもしかして街灯インタビューってやつ? とにわかに好奇心がわきがあり、つい、「あ、はい」と答える。すると、「テレビに顔が出ちゃうんですけど大丈夫ですか?」と聞いてくる。そう聞かれて一瞬ひるむが、特に差しさわることはない。平日の昼間に、都心の商店街をほっつき歩いてはいるが、有給休暇をとっているのだから顔出ししても問題ないはずだ。そもそもマスクをしているのだし、どこの誰だかわからないだろう……。
そう思い、「大丈夫です」と、ただそう答えればいいものを、何を思ったか、このわたし、
「こんな顔でよければ……」と答えてしまう。
そう言ってしまってから急に恥ずかしくなる。
なにもモデルになってくれと言っているわけでもないのに、なに勘違いしてるんだろう、このおばちゃんは……目の前の男性はそう思わなかっただろうか。それでは準備しますね、と淡々と作業にはいっているけれど、内心あきれているのではないか――。
そう思うと、ぼさっと立って用意が整うのを待っている自分が実にものほしげに感じられ、いたたまれなくなってくる。たいして長い時間ではないだろうに、間が持たなく感じられてくる。できれば、急に用事を思い出しましたなどと言って、その場を逃げ出したいが、いったん引き受けてしまったのである。そんな失礼なことなどできない。
すると、間の持たなさが伝わったのか、準備をする手をとめずに、くだんの男性が「御年齢と職業をうかがってよろしいですか」と聞いてくる。
そこで答える。「50代で、会社員です」。
ああ、今度はちょっぴりウソついちゃった。年齢を、ではない。職業を、である。休暇申請しているのだから、どこにいようとやましくはないのだが、なんで役所勤めの人間が今の時間、こんなところにいるのかと、一瞬たりとも目の前の男性に疑問に思われたくなかったのである。

ようやく準備が整い、「それではお願いします」の声に顔を前に向ける。
感染症予防のためか、マイク越しではなく、小型カメラの上に取り付けられた小さなカメラ(のようなもの)に向かってしゃべるらしい。
とんちんかんなことを言わないよう注意をはらい(もうすでにひとつやらかしてしまったし)、なるべくはきはきとした態度をとらなくてはならないと、まるで口頭試問でも受けるような高揚と緊張でいっぱいだったので、何を聞かれ、どう答えたのか、正確に思い出すことはできない。思い出せるのは、急に寒くなりましたね、の前置きに続いて、衣替えしましたか? の問いに、衣替えの習慣はないと答え(全シーズンすべてのものがタンスにしまってあるずぼらさをここでまた暴露)、部屋が暖かいままなので外の寒さに気づかなかったとか、涼しくなってほっとしたとか、コートを着てこようか迷ったとか、そんなやりとりの断片である。
時間にして3,4分といったところだろうか。
去り際にくだんの男性はお礼を言うと、
「今日の〇時からの○○という番組に、さっきのインタビューが放送されるかもしれないのでよかったら見てください」と、聞いたことのあるニュース兼情報番組名を教えてくれる。
「楽しみにしています」とわたしは愛想よく答え、うしろも振り返らずにその場を去った。

用事をそそくさと済ませ、どうでもいい買い物など省略して、その番組が始まる時間目がけて飛ぶように帰宅。家に着いたのが放送開始の実に5分前。
早速テレビをつけ録画機能をオンにする。
そして気づく。夕方から始まるこのテの番組というのはそもそも時間が長い。あの場面が何時ごろ放送されるのか、確認する余裕がなかったことに。
そこでテレビの前にはりついて待つこと1時間。ようやく話題が、本日の都心の寒さにうつってくる。ああ、くるぞ、くるぞ、とワクワクドキドキ。
まずは花柄マスクの若い女性が答える。「急に寒くなりましたよね」
そして次。「コートを着てこようかと迷いました」。ああ、そこに映るは紛れもない自分である。セリフにテロップまではいっている。時間にして3,4秒と言ったところか。すぐに次の場面に切り替わる。
あほなこと言っちゃったことを恥じ、気の利いた受け答えができなかっとことを悔やみつつも、それでも小さなサプライズとして、テレビ画面をスマホに録画撮りして、反芻して見ているのである。


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「洗濯機、壊れる」の巻

2020年09月19日 | インポート
給湯器の故障、エアコンの故障、パソコンの不具合……これまであらゆる電気製品のトラブルに見舞われてきた。そのたびに、自分ではどうにもならない無力感でいっぱいになる。その無力感がわたしを前へ、前へ、と推し進める。

さて、今回壊れたのは洗濯機である。
給水、排水、脱水まではひととおりこなすのに、肝心の、洗う動作のときに洗濯槽が回転しないのである。
スイッチを押したときに、なにやらいつもと違う音がすることにうっすら違和感を抱いたのは、2,3日前のこと。しかし見て見ぬふり、気づかぬふり。故障となったときの修理だの買い替えだのというわずらわしさから目を背けたかったのである。
しかし回転していない事実に気づいたら、もはやそんなことは言ってはいられない。現に、汚れが落ちていないのである。
幸いなことに、その日は夏休みで在宅。取扱説明書の後ろのページにある問い合わせセンターに電話をかけると、「お客様の携帯からはおつなぎできません」という無情の音声が流れてくる。0120から始まる電話番号にありがちなメッセージである。動揺しながら、近くの公衆電話を頭の中で検索するが、駅しか思い浮かばない。駅に向かって自転車を走らせる道すがら、きょろきょろしながら電話ボックスらしきものを探すが、もはや、昭和の遺産になってしまったのか、どこにも見当たらない。ようやくたどり着いた駅の電話はなんと、改札口の中にある。ここまで来て140円の入場券にこだわっている場合ではないが、念のため、脇の控え室にいた駅員さんに聞いてみると、こちらからどうぞ、とすっと通してくれた。(聞いてみるものね。)わたしの必死の形相にひいたのか、それとも規則でそうなっているのか、はたまた好意なのか……。

 無事にサービスセンターとのやり取りを終え、家にたどりつき、修理業者からの電話を待つこと1時間。
その間にも、もしも修理が不可能だった場合に備え、あっちのヨドバシ、こっちのヤマダに電話して、一番早く配送してくれそうな店をチェック。最寄のコインランドリーの場所も確認する。そして、ようやくかかってきた電話にすがりつくように洗濯機の症状を説明し、本日中にきてくれるよう懇願してほっとひと息……。

夕方、都合をつけてきてくれた修理のお兄さん。
部品の在庫をスマホでチャッチャと調べ(何しろ8年前に買った“古い”型なのだ)、2日後に再び来てくれることになった。
かくして、夏休みの1日は、洗濯機の故障騒ぎで、ひとりひそかに騒々しく暮れた。

そしてその晩、夢を見た。
外は土砂降り。雨が降っているのに気づかずに、ベランダには洗濯物が干しっぱなしである。びしょびしょになった洗濯物を取りこみながらこう思った。
「あ~、洗濯機壊れているのにどうしよう……」この感覚が妙にリアルである。
夢の中で展開する場面はいつも荒唐無稽だが、そこで抱く実感には、微妙に現実とつながったリアリティーがある。


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逆らう

2020年09月17日 | インポート
『ボブという名の猫 幸せのハイタッチ』をDVD借りて観る。
ヘロイン依存の主人公が一匹の猫との出会いによって人生を変えていく物語。
出てくる猫は茶とらで、子猫ではないのだが、まるまるとして顔によけいなブチもなく、実にかわいい。猫が苦手なわたしも、ひとめぼれ。苦手であることが実に実に残念に思われた。
殺伐とした気分で家に帰ったら、冒頭のボブが座ったまま、ニャンとひとこと言って出迎えてくれたとしたら、本当にうれしいだろうな。


年度の初めに同じ部署の同僚が5人中4人異動になった時、わたしは誓った。今度こそ新しいメンバーたちと穏やかな関係を築こうと……。特に上司とは。
しかし、やっぱり人って変わらないのね。
きっかけ、それはほんのささいなことだった。
精神保健福祉員会の起案を立てたのは課長、司会も課長、主任はもちろん課長なので、委員会の実施報告書も課長が書くとばかりわたしは思っていた。開催中、彼のほうを見ると、パソコン開いてなにやら打ってるし……。
が、違った。課長曰く、司会はそれだけでいっぱいいっぱいなので、記録と報告はわたしに任せたつもりになっていたのだと……。
そこから雲行きが怪しくなってきた。
要するに“なすりあい”というやつがおきたのですね。
お互いに、相手任せだったので、自分の手元にはろくに記録が残っていない。結局、参加していたよその所属の方の発言メモを(恥ずかしながら)お取り寄せして、もっともらしい報告書を作ることになり、その場はおさまったのだが……。
しかし、仕事はおさまっても、(というか、とりあえずおさまったからこそ)気持ちはそう簡単に納得しない。
「いつも言ってるけど」と課長が言えば、「いつもは言ってません!」とボソッと揚げ足とるわたし。
「委員会で話された中身をふたりとも覚えてないわけですから……」とこちらが言えば、
「覚えてない、は無しだぞ」と課長がメンツにかけて叫ぶ。するとわたしも負けじと、「覚えてないとおっしゃったのは課長ですよ」とすかさず逃げ場をふさぎ、「事実なんだからしかたありません」とさらに追い打ち。
発言メモを依頼する時のメールに、課長の名を連名でいれれば、「俺の名前をいれるなあ!」とカッとして課長がすねる。彼のメンツが再びぐしゃり。
結局、報告書作りはわたしにまわってきた。わき目もふらずがつがつとキーボードにしがみついてやっとこすっとこ仕上げたのにかかわらず、そんなこたあ、おくびにも出さず、さも簡単にできあがりました、と涼しい顔と余裕な態度を見せるのも、見栄っ張りなわたしのいつもの習性。腹を立てると、仕事というもの、実に早く進むのである。
そして、課長に提出するときに、黙っていればいいものをこれまたここで余計なひとことを追加せずにはおられない。「丸投げされた」恨みとでもいおうか。
「報告書、できました。さも、委員会の間、いっしょうけんめい書きとっていたかのように、文章を膨らませて、もっともらしい文章に仕上げました。」とさりげなくひとこと。
報告書全体の価値を、ひいては委員会の価値全体を冒とくしているかのよう……。
すると挑発に乗りやすい課長がすかさず、「もっともらしく、ではなあい! 普通に、と言って。普通に、と」。
「はい。”それらしく”作りました」と返すわたし。おっとり静かな口調で表現は変えたが、意味は同じ。
実に幼稚な争い。おとなげないわね、ふたりとも。そして男の人は本当にメンツが大事なのねというのがよくわかった。

そういえば、子供のころに先生に逆らったことなどなかった。
上司のことも、「こいつ、全然仕事しないな」と気付きつつも、ハイハイ、と無条件に従ってきた。それなのに、ここ1,2年にきてこの“反逆”はどういうことだろう。
上司がそれほどえらいわけではないのだとわかってきたとはいえ、それでも組織なんだから、不条理、ぼんくら、と心でなじってはいても、オモテに出さずに従うのが賢明なやりかたというものである。まあ、わかっているからこそ、我慢してきたからこそ、腹が立つのではあるが……。

このテの問題で一番癪なのは、こんなやりとりが、職場を出ても続くことだ。もちろん相手が家に押しかけてくるわけではない。心の中にまではいりこんできて、会話に加わってくるのだ。言ってやりたかったこの言葉、あの言葉、それに反論する相手の言葉がどんどん膨らみ続け、グルグルと頭を駆け巡り、終始がつかなくなるのだ。残業代の支払われない残業をしているようなもんである。
相手にはこの絶妙な?毒舌もちっとも伝わっていないのだから、不毛な営みというしかない。

いつだったか、学校でいじめにあっている子供の声が放送されていた。
「いじめは朝起きた瞬間から始まっていて、帰ってからも続いている」と。
いじめではなくたって、それでも、“声は家に帰ってもついてくる”のである。




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