TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

秒読み態勢

2023年05月26日 | エッセイ
新型コロナが5類に移行し、全数把握から、医療機関をしぼった定点把握になった。
職場にくる電話の問合せもめっきり減って、派遣看護師さんは腕の見せ所もなく気の毒なほど暇をもてあましている。
定点把握になっても、医療機関数が少ない地域では、一医療機関あたりの患者数が際立って多くなってしまう。
それを記者に説明するための想定問答集を作っておいてください、などというメールが来たりする。
こういうところが本当にお役所仕事だな、と思う。(実際、役所なんだが)
突っ込まれた時の用心のために、いつもいつもビクビクしながら言い訳、というか「説明」を考えておく。
そういう事務に時間を割かれてしまうのだ。

そんなこんなにに振り回されるたびに、最近では、心の中で定年までの秒読みをするようになった。
ちなみに現在は「あと10か月」。実際に通勤するのは、200日に満たない。

晴れて解放されて、明日から来なくてもいいとなったときに、今のあの席(から見える風景も含めて)が懐かしく思えるのだろうか。
ただただ、げんなり、うんざりと思うことも多い日々だが、それでも行く場所があり、する仕事があるということ、出勤するという習慣のありがたさ、みたいなものは、離れてみてからしかわからないかもしれない、と薄々感じてもいる。

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言い方ひとつで

2023年05月20日 | エッセイ
先日、父の脳神経内科の診察につきそった。
半年ぶりのMRI検査である。
この検査の際には、ベルトや、ポケットの中の財布などはあらかじめ取っておかなくてはならない。
わたしがなにげなく、「サスペンダーはだいじょうぶですか」とスタッフに聞くと、彼女曰く「あら、ダメです。ああ、よかった、気づいて」。
しかし父本人だけが、「おれはサスペンダーなんかつけてないぞ」と言い張っている。
するとくだんのスタッフが、はずしたサスペンダーを手に持って、わざわざ父の目の前に突き出すようにして、「ほら、しているじゃないですか」となんとしても父の記憶違いを正そうとする。
確かに父の間違いなのだが、そんなにむきになって指摘しなくても……。
親が他人に叱られるのを見るのは嫌なものである。
認知機能の衰えが原因となると、腹立たしいような情けないような気になってくる。
本人にしても、なぜきつい言い方をされたのか意味がわからず、ただ、叱られたという不愉快な感情だけが残るのだったら意味がない。
しかし、もしかして父が、できもしないのに、オレ様的な言い方をして、スタッフを見下した態度をとっていたのだとしたら、と思うと、彼女ばかりを責めることもできないかもしれない。

検査の結果は、脳全体の萎縮は進んでいるが、海馬は大きくなっており、記憶や認知の検査結果も、前回より少し改善しているとのことだった。
脳全体の萎縮が進んでいるというのは気になるが、先生が前向きで明るい表情だったので、それにつられて、「訪問リハがよかったのかもしれませんねえ」「やっぱり運動はいいのかな」「おかげさまで」「ほっとしました」などという声が飛び交い、診察室の中がいっとき華やかな雰囲気になった。
一時的な改善だとは思うが、というか、だからこそ、こういうひとときは貴重かもしれない。


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蚊のモニタリング

2023年05月13日 | エッセイ
コロナがインフルエンザと同じ、5類に移行したことで、いろんなことが少しずつ3年前の状態に戻り始めた。
昼休みに交代で行っていた、電話器や窓口のアルコール消毒は、特に来客が多い場所だけに絞られることになりそうだ。
職員同士を隔てていた飛沫防止のパネルも、今後、撤去するかどうか話し合われるようだ。
(わたしとしては、そのまま置いておいてほしいと思うのだが……)
運転手さんへの飛沫を防ぐためか、座ることのできなかったバスの1番前の席も、解禁となった。マスクをつけていない人を見るのにも慣れてきた。

職場の業務もしかり。
3年ぶりに復活したのが、「蚊のモニタリング調査」である。
数年前、代々木公園でデング熱が発生してから始まった調査だが、コロナの影響でそれどころではなく、ずっと休止状態だったのである。
この調査、どんなものかと言うと、まず、蚊を捕獲するトラップ(罠のような箱)を、木陰などに24時間ぶらさげておく。
その近くにはドライアイスもぶらさげて、二酸化炭素を発生させておくと、蚊は、ヒトがいるのかと思って近づいて、まんまとこのトラップの中に入っていく。
トラップの入り口には電動モーターの羽が回っているので、これに邪魔されて、もはや外に出ることができないというしくみである。
捕まえた蚊は、トラップごと生きたまま衛生研究所に送られて、ウイルスを持っているかどうかを調べるのである。
この作業を、6月から10月までの5カ月間、ひと月に1度ずつ行う。
単純な作業ではあるが、なにせ暑い盛りである。
しかもドライアイスは重い。吊り下げる木も高い。
よりによってチビで体力無しのわたしがこの仕事の担当なので、この事業が復活すると知ったときは、暗澹たる思いがした。
当日雨が降れば、次の日に延期になるので、天気予報とにらめっこなのも落ち着かない。
定年間際の最後の年にこうなるとはね……。
コロナのお蔭でいろんなことが中止になって、随分と楽をさせてもらっていたことのひとつがこれだったのだと改めて思う。

テレビ番組で「モニタリング」というのがある。
普段ではあり得ない状況を設定して(例えば高齢者の恰好をしたスポーツ選手が、いきなり本領を発揮するとか)、その場にいた人々の反応を観察するというものだ。
昔のドッキリカメラと似ているが、違うのは、跳んだり跳ねたり歌ったりと動くのは、あくまでも仕掛け人であり、周囲は驚いている様を観察されるだけ。
悪いことが起きているわけではないので、”だまされた感”がない。

同じモニタリングでも、今回は蚊が多く取れた、ほかの虫しか入ってない、共食いしてバラバラだわ……と一喜一憂するよりも、ヒトを観察するほうが、よほどワクワクと面白そうである。
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ちょっと違う

2023年05月07日 | エッセイ
連休中、実家に帰ったときのこと。
「これ、どうかしら」と母がおもむろに取り出したのはヘルメット。
コンパクトに折りたためるようになっている。
「防災用ヘルメット」と大きく書かれている。
折も折、北陸地方で震度6を超える地震があったばかりだ。
タイミングよく、地震に備えて購入したのかと思いきや、彼女曰く、「自転車にどうかと思って」。
4月から自転車に乗車する際は、ヘルメットの着用が努力義務になったものの、わたしが一向に買う素振りがないので、母がどこかの通販で見つけてきたらしい。
小さな注意書きに目をやると「オートバイや自転車には使用しないでください」としっかり書かれている。
しかしまあ、防災用でも、何もかぶらないよりはマシかもしれないと試着してみると、どうもヘルメットの深さが浅く、頭の上でぐらぐらと落ち着かない。座りの悪い籠かなんかを乗っけているみたいだ。
わたしは頭だけは大きいのだ。
運転している間は、頭の上にかろうじておさまっているものの、いざ、転んだりしたら、すぐに脱げてどこかにすっ飛んでいってしまうこと間違いなし。
これでは意味がないかも……。
結局、「まあいいわ。地震がきたときのための自分用にするから」と母。
本来の使い方におさまりそうだ。
最近、彼女には、こうした見落としというか、不注意というか、それが原因の”誤購入”が多い。
そっちのほうが心配である。

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