コロナワクチン2回目。1回目は、今思えば精神的なストレスで副反応を助長した感じがあったので、今回は、カフェインをとらず、ストックしておいた整腸剤と、買い置きの頭痛薬を傍らに接種2日目を迎えた。
朝は起きた瞬間から頭痛。これは1日目と同じ。熱はない。
そうとう覚悟していただけにちょっと拍子抜け。
頭痛薬を飲んで対応。
コーヒーを飲みたくなったが我慢。甘く見てはいけない。ここで腸の動きを活発にすることは断じてあってはならない。
のど元過ぎればではないが、3週間もたつと、あれだけ惨憺たるものだったのに忘れてしまうのである。
薬のお蔭か頭痛はすぐに治ったが、お昼近くになったら倦怠感(これを倦怠感っていうのね、と初めて知ったような感覚)と関節痛。一本一本の手の指先すべての関節が痛い。パソコン打っても痛い。
薬の箱に書かれた効能に、関節痛とあったので再び飲む。
効能欄をこんなに熟読したのは初めてである。
いろんな薬効が羅列してあり、ほんとかいな、と思ったが、頭痛にも解熱にも関節痛にも、ずいぶん効くものである。
予後を心配した母親から電話があった。
彼女は副反応の「ふ」の字も起こらなかったので、そういう現象自体、想像ができないらしい。
自慢するようなことではないのだが、「手の指の先、一本一本がね‥‥‥」と多少、大げさに言ってみたら驚き感心していた。
副反応のための休暇が取れる話をしたら、
「そうなの、いいじゃないの。外に出ないで、ゴロゴロしてなさい」。
彼女の口からそんなセリフが出るとは思わなかった。
昔のことではあるが、彼女は決して、子供が勉強も遊びもなにもせず、手持無沙汰にただぼんやりしていたり、ゴロゴロしていたりすることを好まなかった。夏休みだの冬休みだの長期の休みには、きっちりと計画表を作らせてそれを忠実に守らせ、ぼーっとしている時間を許さなかった。
ここ数日の感染者数のことを考えれば、何もしなくてもいいから家に閉じこもっていなさいと言いたくもなるのだろうが、今回の例に限らず、年を重ね、母親の言い分も昔に比べて随分と緩く寛大になったものだと思うことが多くなった。
相変わらず”命令形”ではあるが、できればもっと早くからそう言ってほしかった。
朝は起きた瞬間から頭痛。これは1日目と同じ。熱はない。
そうとう覚悟していただけにちょっと拍子抜け。
頭痛薬を飲んで対応。
コーヒーを飲みたくなったが我慢。甘く見てはいけない。ここで腸の動きを活発にすることは断じてあってはならない。
のど元過ぎればではないが、3週間もたつと、あれだけ惨憺たるものだったのに忘れてしまうのである。
薬のお蔭か頭痛はすぐに治ったが、お昼近くになったら倦怠感(これを倦怠感っていうのね、と初めて知ったような感覚)と関節痛。一本一本の手の指先すべての関節が痛い。パソコン打っても痛い。
薬の箱に書かれた効能に、関節痛とあったので再び飲む。
効能欄をこんなに熟読したのは初めてである。
いろんな薬効が羅列してあり、ほんとかいな、と思ったが、頭痛にも解熱にも関節痛にも、ずいぶん効くものである。
予後を心配した母親から電話があった。
彼女は副反応の「ふ」の字も起こらなかったので、そういう現象自体、想像ができないらしい。
自慢するようなことではないのだが、「手の指の先、一本一本がね‥‥‥」と多少、大げさに言ってみたら驚き感心していた。
副反応のための休暇が取れる話をしたら、
「そうなの、いいじゃないの。外に出ないで、ゴロゴロしてなさい」。
彼女の口からそんなセリフが出るとは思わなかった。
昔のことではあるが、彼女は決して、子供が勉強も遊びもなにもせず、手持無沙汰にただぼんやりしていたり、ゴロゴロしていたりすることを好まなかった。夏休みだの冬休みだの長期の休みには、きっちりと計画表を作らせてそれを忠実に守らせ、ぼーっとしている時間を許さなかった。
ここ数日の感染者数のことを考えれば、何もしなくてもいいから家に閉じこもっていなさいと言いたくもなるのだろうが、今回の例に限らず、年を重ね、母親の言い分も昔に比べて随分と緩く寛大になったものだと思うことが多くなった。
相変わらず”命令形”ではあるが、できればもっと早くからそう言ってほしかった。