TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

音楽効果

2024年11月29日 | エッセイ
腰の精密検査のためにMRI検査を受けた。
MRI検査は、遡ること20年ほど前だったか、脳ドックで受けたことがある。
筒のような、カプセルのようなものにからだがスーッと入ったと思ったとたん、四方八方から工事中のような騒音が鳴り響いた。
さらに密閉容器に閉じ込められたような感じが耐え難く、泣いてもわめいてもこのまま外に出られないのではないかと恐怖でいっぱいだったっけ。
15分の長いこと。
閉所恐怖症ではないのだが、この症状を持つ人にはとても耐えられないだろうと思われた。

喉元過ぎればではないが、そうした思い出も今は昔。
ある程度予測がついていればだいじょうぶなのではないかと本日は割と気楽に来院した。
更衣室で湿布をはがし、金属製のベルトをはずし、スリッパにはきかえる。
なんでもヒートテックの下着も、磁気に反応して発熱するので脱がなくてはいけないのだとか。
支度をして待っていると、冷凍庫のような重々しい金属製の扉があいて、中にはいるように案内される。
目の前には、あの筒がある。
ドラマ『ドクターX』でよく見かけるあの器械だ。
別室で大門先生が見ていてくれたらいいのに……と思う。
ベッドに横たわると、ヘッドフォンをつけるように促される。
撮影場所が腰なので、頭に金属を付けるのは構わないようだ。
横たわった姿勢のままからだがスススッとカプセルの中に吸い込まれる。
とたんに、中島みゆきの『糸』の曲が聞こえてくる。
あらまあ、ずいぶんとおしゃれになったこと。
検査機関にもよるのだろう、両親は別の医療機関で脳のMRIを受けているが、音楽が流れるなどとは言っていなかった。
次から次へと、優雅でおっとりした音楽が流れてくるのだが、なにぶん、工事現場のような磁場の音に妨げられて、騒音の合間にしか曲が聞こえない。
しかしこの音楽効果は侮れない。
15分が長く感じたのは前回と同じだが、全く苦痛ではなかったのは、合間に音楽が流れていたからではないか。
閉塞感も感じず、「はい、終了です。お疲れ様です」という声がしても、もう少し入っていてもよかったわね、などと思ったのは意外であった。
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年賀欠礼に思うこと

2024年11月20日 | エッセイ
年賀状の季節がやってきた。
郵便料金があがったせいで、年賀状終いをする人が増えたらしい。
終わないまでも、こちらからは出さないでおいて、先方から来たら出すという“様子見”の人も増えるだろうとのこと。
年賀状終い用のスタンプまで売り出された。
わたしも数年前に、メールのやりとりをしている人限定で、年賀状終いをしたが、その文面には多いに迷った。
スタンプがあったら買わないまでも、その文面を真似っこして多少アレンジして使ったかもしれない。

とりあえず、自分の年賀状問題はこれですっきりした。
結果、今年出すのは5枚きりである。
これに入れ替わって発生したのが、親の年賀状問題である。
父は住所録を作り、昔の会社関係、親戚、友人知人と律儀に毎年出している。
ここ2,3年、視野が急激に狭くなり、届いた郵便物の文字があまり見えなくなっても、年賀状を終うつもりはないようだ。
年齢的にも、それこそ年賀状終いの挨拶状が舞い込むことも多くなった。
ご本人が亡くなったという訃報も時に舞い込む。
そこで、今までの住所録を大幅に書き換える必要が出てきた。
本人お気に入りのワープロ操作も覚束なくなったので、わたしが昨年の年賀状の束を元に、住所録の書き換え作業を仰せつかった。
「前は100人もいたのにな」と父は言うが、現在の30人だってわたしにとってはたいした量に思える。
年賀状の数というのは、たとえ儀礼的であっても、なにか社会的なステータスのようなものなのだろうか。

ともかく、こうした「宿題」は、手早く済ませたい。
朝も早くから起き出してハガキを傍らに、「やれやれできた」とひと息ついていると、父から電話があり、「〇〇さんが亡くなったらしいから、住所録から削除してくれ」と言ってきた。
〇〇さんとは、神戸に住む、父の兄の奥様である。
慢性の病で長らく寝ていらしたとは聞いていたが、詳しいことはわからなかった。
このたびの年賀欠礼は、姪っ子から届いたのだそうだ。
それによると、今年の8月に亡くなっていたのだとか。
住所録から彼女の名前を削除する作業そのものは一瞬だが、気持ちの上ではなにかひきずるような、おさまりがつかないようなものがあった。
子供の頃、〇〇さんとは神戸の祖母の家でよく顔を合わせていた。
年が近い従妹同士が祖母の家に集まり、今回ハガキをくれた従妹とも遊んだ記憶がある。
こちらが高齢で遠方に住んでいるということもあり、気を使わせまいと遠慮したのかもしれないが、年賀欠礼の時期まで待たずに知らせてくれてもよかったのではないかなあ、というさびしさがあった。
しかし考えてみれば、中心になる祖母の存在があればこそ、よく顔を合わせていたのであって、彼女亡きあと、親戚一同とは疎遠であった。
みなそれぞれにそれぞれの場所で暮らし、連絡をとりあうということもなかった。
よそよそし過ぎるのではないかと思ってみても、いつのまにか、時の流れがそうした関係性を作り上げてきたのである。
仲たがいというのではなくても、しかたのない成り行きなのかもしれない。

父母ともに兄弟姉妹の数が多い。
それがここ数年来、ひとり欠け、ふたり欠けして実にさびしいことになった。
寿命という神様の乗った玉がゴロゴロと確実にこちらに向かってくるような、そしてそれを止めることなどできないのだという無力感もまた今回の訃報で新たにしたのである。


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本日は宅食なり

2024年11月15日 | エッセイ
11月の「介護者のつどい」は、趣向を変えて、宅食弁当の試食だった。
そのまま召し上がるのではなく、ひと手間加えると、飽きも来ず、栄養のバランスがさらにアップしますよ、というデモンストレーションもある。
無料試食会だの、おみやげ付きだのというと、とかく参加者が増えるもの。
今回も御多分にもれず、初めてお見かけするかたたちもちらほら……。
食事つきデイサービスの管理栄養士さんが講師として招かれて、栄養のバランスと運動の大切さをレクチャーする。
その途中で、お弁当を届けに来た配達員が部屋をのぞいて声をかける。
すると、レクチャーはもういいから、早く食べたいな~という雰囲気がみなぎる。(わたしがそう思っただけかもしれないけど)。

レクチャーのあとは、調理室に移動して、”ひと手間”の実践である。
そのまま食べるのでは能がないというわけだ。
袋にはいった千切キャベツや管理栄養士さん手作りのふりかけ、デザートにはプレーンヨーグルトにバナナの輪切りを入れたものを追加する。
ファシリテーターの男性スタッフが、「めったに僕は料理なんてしないから。実はここのレンジの使い方も知らなくて……」などと料理初心者であることを明るくアピールしながら、悪戦苦闘。
ほうれんそうとコーン、ベーコン入りの冷凍食品に塩コショウしてチンしてくれる。
弁当の容器そのままでは味気ないからと、調理室備え付けの食器に、おかずやご飯を移し替える。

60歳過ぎとはいえ、参加者の中では若いわたしが、ただぼおっとしているのもなんだか落ち着かず、食器棚から勝手に皿を出して配ったり、盛り分けたり、取り箸を突っ込んだりと、手出し口出しをしてしまう。
いつもは気が利かないのに、環境によってはてきぱきすることもあるのである。

各自、思い思いの盛り付けができあがると、先ほどの部屋に持ち帰って「いただきます」。
しゃべるよりもまずは、「食べる」。
皆さん黙々と食べることに専念する。
そこが若い年齢層とは違うところ。
食べながらしゃべるのが苦手なわたしとしては助かる。
皆さん、ひととおり食べ終わったところで、本日の感想やら雑談やらにはいる。
12時。「ちょうど時間となりました」で、雑談が苦手なわたしは救われる。
食卓の上には、空っぽになった大量の食器が散らばっている。
弁当箱から移し替えたばっかりに無駄に洗い物を増やしてしまった様で申し訳ない。
「そのままでいいですよ」と言われたが、後片付けぐらいしなさい!と心の中に住む母親が叫ぶ。
そうかといって、スタッフがいるのに手を出したりしたら、かえって迷惑のようでもある。
申し訳程度に自分の食器を洗い場まで持っていって、中途半端な気分で外に出た。

肝心の本日のお弁当のお味は、冷めてもおいしく、うす味でもしっかり食べた感があった。
それは皆さんといっしょに食べたからなのか。
これを毎日、自宅で、ひとりもそもそと食べ続けたらどうだろうか、そこはわからない。


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プチ・ポイ活

2024年11月14日 | エッセイ
実家のトースターが壊れたので買いに行く。
電化製品売り場は、見て歩くだけでも楽しい。
めったに壊れるものではないので、買う機会があまりやってこない。
今回は、そのあまりやってこない好機である。
来店前はそれなりに楽しみにしていたのに、いざ、ずらりと並んだ製品を目の前にすると、たちまち気が重くなる。
ひとつに決めるという作業が苦手なのである。
予算の範囲内だけでも、それぞれに特徴がある。
「焼ければなんだっていい」と思って軽い気持ちで望んでいるのに、あれもこれも見せられると、何を基準に選べばいいのかわからなくなる。
置く場所や持ち運びを考えると、あまり大きくないほうがいい。
高齢者ふたり暮らしで、食パン4枚も1度に焼ける必要はない。
かといって、コンパクトさ重視のあまり、天板が低過ぎるのも、手を差し入れて焼き具合を調整したときに、手が当たって「アチッ」となりそうである。
多機能なものほど値も張るようだが、そもそも買ってきた総菜の温め直しと、パンのトーストしかしないのである。

あれこれ逡巡したあげく、結局は、「外側はサクッ、中はふんわり」というセリフにほだされた。
トースター前面のフタにそんなセリフと、こんがり焼けたトーストの写真が張り付いている。
わたしは見た目にすぐだまされる。あれこれ迷うふりをしたが、心はすでにこれを見た瞬間に決まっていたかもしれない。

店の会員登録をしているために、送料は無料である。
店のポイントカードを持っているだけでは不十分で、これとネット上での登録が「紐づけ」されていることが必要なのだそうだ。
「紐づけされていますよ」と店員さんに聞いて、いったいいつ誰がどのように紐づけしてくれたのかもはや思い出せないが、とりあえず、お得感を抱いて帰ってきた。
「紐づけ」といえば、先日、美容院のスタッフと軽い気持ちで雑談したポイ活の話を思い出した。


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”ポイ活”難民

2024年11月12日 | エッセイ
実家からの帰りには、隣の駅ナカにあるパン屋さんに寄って朝食をとるのが習慣になった。
そのココロは、いつもの店で変わりない朝が始まり、その日1日無事に過ぎますように……というおまじないのようなもの。

で、そのおまじないモーニングのあと、予約の美容院に行った。
常連だった美容院が閉店になって以来、近所の店をネット検索して通っている。
初回だと格安なのだ。(これ、人呼んで、初回狙い、という)。
本日は、駅前に新しくできたビルにはいる店舗である。
限られたスペースにできた店らしく、急な階段を上り切ったすぐのところに受付がある。
今風の華奢な若い女性が、愛想よく出迎えてくれる。
そしてアンケート用紙を渡される。
ひと昔前までは、(どういうわけか)年齢をさばよんで記入していたものだが、雑談の折に、不便と矛盾が生じることが判明したために、最近では正直に書くようにしている。
多少若く書いたからとて、この期に及んで、なんのメリットもないのである。
アンケートの項目には、この度の施術の間、どのように過ごしたいか希望を記入する欄がある。

1 静かに過ごしたい 2 楽しくおしゃべりしたい 3 雑誌を読みながら過ごしたい
4 髪の手入れ方法などについて教えてもらいたい

わたしは迷わず、1 静かに過ごしたい、を選ぶ。
ぺちゃくちゃおしゃべりで距離を縮めてこようとされるのが苦手なのだ。
担当はノリの良さそうな、若い男性だった。
朗らかな挨拶のあと、名刺を渡し、今回のネット予約の話から、買い物でポイントを貯める方法について、実に楽しそうに話を展開し始めた。
ポイントを集めることを「ポイ活」というのだそうだ。
婚活だの終活だのは知っていたが、今や、「〇活」時代だ。
わたしのように、家の片づけにいそしむ世代としては、「ポイ活」と聞いて、なんでもかんでもポイポイ捨てる作業を連想する。
くだんのスタッフ、そのポイ活に凝っているようで、貯まったポイントで、3万円のデジタル機器を購入し、なんと沖縄旅行までしとめたらしい。得意げに話が続く。
コツは、1か所の店で1種類のカードではなく、何種類かのカードやポイントを「紐づけする」ことらしい。
公共料金も対象となるとか。
そうした話を聞いていると、知らないことが実に損なように思えてくる。
「紐づけ」といえば、マイナンバーカードもなんらかの個人情報が紐づけされてあれこれ便利になると聞いた。
国家主導の紐づけも周知されているとは言えない中、若者の間では、すでに物価高対策はこのポイ活でずいぶんと先を行っているようだ。
挙げ句の果てに、ワタクシ、「財布にポイントカードがいっぱい詰まってるんだけど、肝心なカードに限ってレジでなかなか出てこないのよね」
「買い物のたびに端数の5円だの7円だのをすぐ充当しちゃうから、とてもとても何万円も貯まらないのよ。もう”紐づけ難民”なのよお」と、自虐気味に話してウケを狙う。
どんなにポイ活について力説されようと、本気で見倣うのはもうメンドクサイのだ。
で結局、アンケートに記入した、「施術中静かに過ごす」、という選択肢はどこへやら。
カラーが定着するまでの時間、タブレット雑誌を見て過ごす間だけ静かに放っておいてもらったが、多くの時間、その若い元気なスタッフに乗せられて?楽しげにお話ししちゃったわね。
プライベートな話題にぐいぐい攻め込んでくる年配女性スタッフとは違って気楽だったが、それが配慮の上のことなのか、それとも最近の若い人々の話題の取り方なのかわからない。
まあ、カットの具合もちょうどいいし(それが一番大事)、軽めで無難な話題もそれなりに楽しかったからいいのだけど。
むしろ、初対面なのに、だんまりして過ごすのもかえっていたたまれなかったかもしれない。
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