TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

休日のできごと

2015年05月10日 | インポート
 高齢者施設と客を結びつける斡旋業者も、最近ではデパートの一角などで、堂々、店舗を構えるようになった。
 連休中のある日、実家に帰省した折に、母と、そうした施設の見学に出かけた。
スタッフが、車で、案内してくれるのである。
 賃貸マンションを借りるとき、仲介業者の車で、何件か見て回ったが、ああいった具合だ。
最初に有料老人ホームを、次に、サービス付き高齢者住宅である。
自分たちの年金額など省みず、とりあえず、どういったところか見学したいので、とお願いしたせいか、
連れて行かれた施設はどちらも、ご立派であった。
 特に、初めに行った有料老人ホームのエントランスは、観光ホテルのロビーと見まがうほど。
季節柄、かぶとやこいのぼりが飾られている。

  茶色っぽい落ち着いた色合いで統一された館内は、人が日常を暮らしているという感じがなく、
何百人と入居者がいるとは思えないほど、ひっそりと静かであった。
 賃貸住宅の騒音問題に敏感になっているわたしの質問に、施設のスタッフ氏からは、
「壁に耳をつければ、まあ、お隣のテレビの音が聞こえる程度ですよ」
と、実際に壁に耳をつけたことがあるかのような答えが返ってくる。
 モデルルームには、机やベッド、飾り棚などが、おしゃれに配置されている。
ひとり暮らしを始める大学生にも、これなら受けるのではないか。
間取りも、使い勝手がよさそうである。
 しかし、どんなにこぎれいな部屋でも、トイレが実にあけっぴろげな位置に、
その存在を主張しているのを見ると、ここはやはり高齢者住宅なのだと思い知らされるのだった。
 案内をしてくれた施設のスタッフいわく、入居者が亡くなり部屋が空くと、前の居住者のいろんなものが”染みついて”いるのだそうで、壁紙など表面的なものだけでなく、根こそぎお取替えするのだとか。
そういう説明などは、生活感のなさとは裏腹に、妙に生々しいのであった。

 斡旋業者のU女史と、施設のスタッフに挟まれて、施設の中を案内されながら、母は、はしゃぎっぱなしのように見えた。
その盛り上がりようといったら、隣のわたしも臆するほど。
明日にでも入居しそうな勢いである。
 施設の感想ばかりではなく、自分の珍しい苗字から、出身地の話、夫婦のなれそめにまで話が及ぶ。
スタッフも、年寄りの話を聞き慣れているせいか、にこやかに応対するものだから、
なおのこと母の話は、留まることを知らない。
こうなってくると、次は何を言い出すか、隣でわたしは、やきもきとする。
 思春期のころ、親と一緒にいる現場を知り合いに見られるのが恥ずかしかったが、
今回は、母親の保護者のような気分である。
他人のお年寄りだったら、ほほえましいで済まされることが、身内だと恥ずかしいのだった。
 立場か変わっても、やはり恥ずかしいのであった。
「まああああああ、素敵!」
「あらあああああ、この間取り、いいわねえ。収納もたくさんあるし」
「今度、主人も連れてこようかしら。こういうの見たら、考えが変わるかもしれない」
と母。
 すると傍らのU女史も、
「そうですよ、おかあさん、是非今度はご主人様もお連れになって」と、ここぞとばかり、突っ込みを忘れない。 
わたしたちに代わって、施設のスタッフに質問をしてくれているように見えながら、
実は、そこのいいところをアピールしようと、話しを展開する。
 その様は、テレビショッピングでのやりとりのようでもあった。
彼らスタッフにとって、50歳過ぎの現役娘よりも、当面の顧客は、77歳の母なのである。
こうした場所では、わたしもまだまだ若い。
 介護認定されると、入居できないタイプの施設がある。
”入るなら今のうちに”、という煽る感じもまた、なにやらテレビショッピングっぽいではないか。
 
 そして解散。
帰りの車の中でも、母は、あれこれと話し続け、その相槌に気をとられたからなのかどうなのか、
U女史、慣れた土地に関わらず、道を間違え、大幅に時間オーバー。
しきりに恐縮していたが、
「ドライブが余分に楽しめてよかったわあ」とここでも母がまた調子よくフォローする。
 そしてようやく、目的の駅にたどり着く。
そこで深々とお辞儀して別れる。

 ふたりきりになった時に母いわく、
「わたしはね、シーンと沈黙してしまうのが、すごく苦手なの。
だから、何でこんなことしゃべらなくちゃならないんだろうと思いながらも、途中でやめるのもヘンだし……。
それにせっかっく案内してくれてるのに、機嫌がよくないと申し訳ないし。
それでその気になったフリをしてたのよ」。
 な、なんと、そうでしたか。”やむをえず”話しているようには、とても思えなかった。
母なりに気を使っていたのだろう。
しかし、相手が自分の話をしているのに、全く頓着せず、自分の経験談にすり替えてしまうという彼女のいつもの話し方に、いたたまれない思いがたしたのも事実。
 気の使いどころが、母娘といえど、違うのである。

  かくして、「おひるごはんが出るらしい」という軽い気持ちで行われた高齢者施設見学は、
その軽さを保ったまま終了し、結局のところ、本音のところはお互いさっぱりわからず、
肝心なことは相変わらず、全く話し合われず、わたしはひとり住まいの部屋に戻ってきた。
 その後、業者からの連絡はない。


 



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