TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

残るはあとひとつ

2023年07月28日 | エッセイ
「暑いですね」という挨拶以外思い浮かばない日々。
保健師さんが、「暑いって感じることは生きている証拠ですよ」と電話口で話していた。
そういう励まし方もあるのかと感心したが、それはちょっと違うとも思う。

この暑さの最中、マスクを付けている人が意外に多いようにも感じる。
”気にする人”にとって、暑さ寒さは関係ないのだ。
かく言うわたしも、外出の際に靴下をはくのと同じくらい、マスクをつけるのがあたりまえの感覚になった。
コロナ禍以前は、夏場にマスクをしている姿ってちょっと怪し気な印象を与えたのに。

電車の中では、マスクを付けない人が両隣に座ることに抵抗感がなくなってきた。さすがに、鼻をすすっていたりすると「もしや?」と思って席を移動する、という嫌味な態度をとってしまうが。

高齢者施設では、クラスターが増えてきた。
しかし5類に移行してからは派遣の保健師さんがひとりだけになり、クラスター報告も日常業務の一環のようなのんびりムードになった。
ウイルスとしては、性格が変わった覚えがないのに、自分の預かり知らないところで急に扱いが変わったので驚いて?いることだろう。

外食も長時間でなければ、抵抗がなくなった。
となれば、未だ実現できていないのはあとひとつ、「ひとりカラオケ」である。
カラオケ店でクラスタ―が発生したというコロナ初期の記憶がまだ染みついているせいか、敷居が高い。
ひとりで行くんだったらだいじょうぶではないか?という思いと、あのボックスの気密性を考えると、昨日のウイルスがまだ排出されないでそこらへんを漂っているのではないかという不安がある。
喫煙室もあるのだから換気は万全だとは思うが、そのようにビクビクとしながら敢えて行くところでもないような気もしている。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

誰のための命かと思うひととき

2023年07月18日 | エッセイ
3連休は実家に行く。
「休んだ」はずの、母の訪問リハビリが、いつの間にか再開されていた。
母曰く、「やっぱり1日も行かないのもさびしいから、(ケアマネの)〇〇さんに電話して週1日だけ残してもらったの」とのこと。
わたしの預かり知らないところで、ケアマネさんが振り回されたらしいのを知って、いたたまれない。
口数は多いのに肝心なコミュニケーションがとれていない、意思統一が図られていないわたしの家。

母は今月で86歳、父は今年で89歳になる。
食事中に、知り合いや遠い親戚の話が出てくる。
”最近”会ったのが、2,30年前だったりする。
そのため、頭の中に浮かぶ彼らの姿は若いままなのだが、現在の年齢を考えると、優に90歳を超えている。
つい、「生きていれば……」という接頭語がはいってしまう。
話題の中に未来が見えない。

家に戻る日は、またとない猛暑。
一歩家から出ただけで、汗がにじみ、立っているのもつらい。
「あんたに今死なれたら困る」という理由で、タクシー代を持たされて帰った。
半分冗談(と思いたい)、半分本音のセリフ。

もうすぐお盆だ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

応援

2023年07月12日 | エッセイ
にしおかすみこさんの、『ポンコツ一家』を読んだ。
最初に著者を見たのは、NHKのEテレだった。
小花の散ったきれいなワンピースを着て楚々としたイメージのかわいらしい女性である。
彼女の本業、SM芸の方は見たことがないが、知っている人はそのギャップに驚いたのではないか。
番組で彼女の新著について知り、気になっていたのが、先日、書店で偶然見つけたのだ。
著者であるすみこさんと、ダウン症のお姉さま、アルコール好きのお父さま、認知症のお母さまの4人家族。
すみこさんが、家賃の安い家に引っ越そうと荷造りして、引っ越すばかりになっていた時、1年ぶりに実家に戻ってみたら、家の様子がただならぬ状況になっており、やむなく実家に転居することになった、というところから始まる。
想定外のできごとがおきる日々の中、すみこさんの的を射た突っ込み!さすが舞台でならした芸人だと思う。
時々差し挟まるお母さんや、すみこさん自身のセリフに胸がつまったりする。
ほろりとさせる場面も、しっかり書いて逃さない。
認知症になってもその人らしさは残る。
そうではない人との境は、そんなに厳密なものではないのかもしれない、と思えてくる。
お母さんにとっては、障碍をもったお姉ちゃんの行く末が、ずっと気がかりだったのだろう。
自分の記憶力が頼りなくなるのを自覚するたびに、心配は増していくのかもしれない。

お父さんを”パパクソ”とののしり、冷蔵庫に頭を突っ込んでいるお母さんのことを「家電にばばあが飲みこまれている」と容赦ない。
それでも、関係性は壊れないという信頼感と強さが彼女の家族の中にはあるのかもしれない。
お姉さんの、マイペースな、おっとりさかげんに、救われるような気もする。
起きていることは決して笑いごとではないのに、小気味のいい表現と、むだがなくテンポのいい文章で、つい、笑ってしまう。
声を出して笑ってしまう本は久しぶりである。
すみこさんにとっては、勘弁してよ、もう!!といった感じで、今までのひとり暮らしが懐かしいだろうが、一読者のわたしとしては、2冊目を待ち望んでしまうのである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

飛び入り

2023年07月09日 | エッセイ
武田信玄が、神奈川県知事になった夢を見た。
「あ、まだ生きてたんだ」と夢の中で思ったが、あっさり納得するあたりが、夢の夢たる所以である。

夢の中では、試験の場面もあった。
徳川家康と、豊臣秀吉 織田信長、そして武田信玄、その4人が漫画となって登場し、どれが信玄か当てる問題である。
一番明るいキャラクターを選んだら、偶然にも正解だった。
知事になったのを知ったのは、そのあとの場面である。

試験の夢は今でもよく見る。
昨夜の夢も、せっかく友人が席をとっておいてくれたのに、どういうわけか自分ひとりだけ離れた席で、きまずい思いをしながら試験を受けた。
持ち物もなぜか、鉛筆とブラウス(なぜブラウス?)しか持ってきていない……。
かなり脚色されてはいるが、学生の頃、実際に自分が感じた不安感や経験が元になっていることが多い。
しかし登場人物にいたっては、全く心当たりがない。
ちなみに昨夜の夢の試験監督は、以前職場で一緒だった初老の歯科衛生士の男性だった。
なぜ信玄? なぜ歯科衛生士さん?
誰の夢に登場しようかと、ふらりふらりさまよっていた彼らの魂が、スキのあった?わたしの夢に飛び入り参加したとしか思えない。
(ちなみに、くだんの歯科衛生士氏は御健在です)

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

迎えうつ

2023年07月05日 | エッセイ
母が、訪問リハビリを辞めた。正確に言うと「お休み」という形だが、再開する予定はないらしい。
脳梗塞は消失したが、「足が重くてひょろひょろする」という後遺症は相変わらず。
しかしそうした症状を抱えたままの歩き方に本人なりに慣れたそうで、「教わった体操のしかたは身に付いたから、もういいわ」とのこと。
このままリハビリを続けても、足は重いままであることに多少失望したこともあるかもしれない。
なによりも、リハビリのスタッフが来る日には、朝から居間の掃除などして、彼らをお迎えする体制をつくっておくのに疲れたらしい。
時間に正確に来てくれる彼らを、こちらもその時間ピッタリに、「来るぞ来るぞ」と待ち構えているのが、なんとも落ち着かないのだとか。
父ひとり分だけにすれば、その負担感も半分ほどには減るのではないかということだ。
確かにそうかもしれない。
それに、今後、必要なサービスも、増えていくかもしれない。
それを思うと、無理に勧めるのもどうかと思う。
こんな調子では、例えば、訪問介護サービスにお掃除を依頼したとしても、「あんまり汚れているのも悪いから」と、彼女たちが来る前に、せっせと掃除して待ち構えかねないだろう。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする