TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

試してみました

2022年02月26日 | インポート
春は変化の季節。
思いがけないかたが退職となったり、異動したり、と胸がこじあけられるような生温かい風とともに苦手な時期である。

さて、気がかりだったブログの引っ越しについて、どうだろうか、ああだろうかと思っているよりも、まずは新しい移行先を作ってみようと、seesaaブログを作成してみた。
マニュアルは、手元にプリントアウト。
手順をひとつひとつ、凝視しながら進める。
ひとつでも順序を飛ばしたり、間違えたりしたときの混乱は避けたいのである。

ブログのアドレスともなるホスト名は、自由に決めていいらしいのだが、使いたい単語は、みなさん同じらしく、何度もはじかれる。
で、やっとクリア。
「新しいブログを作成しました」という表示が出たときは、心底ホッとする。
マイナンバーカードを近所の写真ボックスから作成した時も思ったが、やってみると意外に簡単にできた事例のひとつである。
デザインを選ぶ作業は、あれでもないこれでもない、とここまでくると最早お楽しみの作業。
せっかく作ったのなら、さっそく記事を入力してみたいが、入力してあると、移行ができないらしい。さりとて削除するのも手間。
そこでがまん。気持玉機能ががないのは残念である。

新アドレスだけでも記事の中で、今のうちに紹介しておこうと、リンクマーク(鎖)をクリックするものの、反映されておらず、ヘルプデスクにメールを送る。
すべりだしは好調のようだが、こんなふうになんやかや、思いがけないところに、石が転がっていそうである。


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元祖といえば

2022年02月23日 | インポート
祝日。
ここ数年、オリンピックや皇位継承の関係で、祝祭日があっちこっちに移動するので、はて、今日は何の日でお休みだったかしら、と休んでおきながら、一瞬考えてしまう。
朝のニュースで、天皇陛下が今日、62歳をむかえられるという話があり、そうだった、天皇誕生日は、天皇陛下がひとつ年を重ねられる日なのだわ、とここで初めて、つながったような気がする。

天皇誕生日といえば、遡ること50年ほど前。時は昭和天皇の御時代。
天皇陛下ファン(といったら怒られるかしら)の祖母が、天皇誕生日にあわせて神戸から上京してきた。
祖母と、両親、年上の従弟といっしょに、宮城(きゅうじょう)(皇居のことをそう呼んでいた)に行くと、そこには、紙でできた日の丸を手に手に持った”国民”がたくさん群れて行列をなしていた。
そして、ガラスの向こう側に天皇陛下一族がお出ましになると、いっせいに歓声が上がり、旗の振りかたも、一心不乱といった感じに勢いを増し、あっちこっちから万歳の声が聞こえてきた。
中には、お顔を直接拝むのも畏れ多いといったふうに、砂利の上にひざまずき、何度も何度もお辞儀をしている高齢の女性もいた。
子供の頃のことなので、そのままの景色を疑問にも思わず受け取って帰ってきたが、その時の印象は、非日常な場面として残っている。

今では、皇族がたも、ネットや週刊誌の話題の対象となり、よくも悪くもその存在が国民に近づいたようだが、彼らを無条件の崇拝対象としていた祖母が見たら、そんな風潮をどう評価するだろうか。
わたしにとっても、昭和がものごころついたころからあたりまえにあったということもあり、平成も令和も2世、3世であり、天皇陛下といえば、昭和天皇が、”元祖天皇陛下”のイメージなのである。



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見た目、あるある

2022年02月19日 | インポート
トーク番組『マツコ&有吉 かりそめ天国』で、マツコさんと有吉さんが俎上に載せていた話題のひとつは、デパ地下などに売られている量り売りの総菜について。
この番組、視聴者のはがきをもとに、時に脱線しながら、おふたりの経験話を交え、意見や感想を率直に表現しあう。
その、歯に衣着せない感じが気に入ってほぼ毎週見ているのである。
自分だけがそう思っているわけではなく、ああ、同じなんだ、と共感させられることも多い。

昨日の番組では、どういう流れでそうなったのか忘れたが、話題は、量り売りの総菜の話になった。
ショーケースの中のお惣菜は、こんもりとこぎれいに盛ってあり、つい買ってしまうのだが、持ち帰ってみると、「あれ?こんなんだっけ」とその落差に愕然とする。
ほとんどのかたは、あのひと山すべてをドーンと買って帰るわけではない。
100グラム、200グラムと小分けにして購入するのである。
小分けにされてプラスチック容器に入れられた総菜の姿にも、配慮してほしいというのだ。
これなどは全く同感!小分けになった途端、全く別のものになったかのようながっかりとした感じは否めない。
わかっていながら、つい見た目に惑わされて買ってしまう。
同席していた久保田アナウンサーもよくぞ言ってくださいましたといった感じで、うなずいている。

番組では話題に出なかったが、切り分けたケーキもそう。
ショーケース越しのショートケーキは、どれも、一度で食べられるかしらというほどボリュームもあり、上に載ったフルーツなどもつやつやと輝いている。
これぐらいの大きさなら、この値段でもいたしかたがないと思いながら、一方では、ケーキごときにこんなに払ってもいいのかしら、とちょっとした疚しさを感じつつ、思い切って買う。
しかし家に帰って紙の箱をあけると、そこにあるのは、ドライアイスにかろうじて支えられて姿勢を保っているような、頼りなげなケーキ。
ことによると、ドライアイスの幅のほうが厚いほどだ。
もしかしてあのショーケースは、拡大鏡でできていたのか……。

できるだけ、購買意欲そそるように、特にデザートなどは、華やかに見せるのも大事だが、それが、開けたときの食欲にまでつながるような工夫をしてほしいと思うのである。



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北京こもごも

2022年02月15日 | インポート
北京オリンピック真っ最中。
しかしわたしの中では、とっくに終わりをとげた。
2月10日。あの日はたまたま休みを取って、時計を気にしながらフリー本番を待ち構えていた。
羽生選手が、メダルの外に押し出される形で4位になったときは、なぜだか心底がっかりしてしまい、テレビを切った。
その後、誰が金をとった、銀をとったという情報に触れるのも、虚しく感じられた。
彼に思い入れがあったというわけではないのだが、なぜか”ゆずくんショック”があとをひいたのである。

「あの時こうだったら、ああだったら、こうしていれば…」、と過去を悔いる性分のわたしのこと、こんな他人のミスに対してまで、「もしもショートプログラムを成功させていたら、銅メダルには、くいこめたかもしれない」と、悔いと無念さを積もらせる。
追い抜いていった日本人選手にまで恨みがましい思いをもってしまう。
競技後のインタビューでの羽生選手の悔しそうな表情に、つい感情移入。
オリンピックを前に、3連覇への手ごたえを語っていただけに、なおさら、痛々しく感じられる。

メダルメダル、とまわりがあたりまえに期待しすぎるのも、気の毒な話だが、それでも3位と4位はそうとう違う。
昨日の記者会見でも、手を挙げる記者が開口一番、「おめでとう」ではなく、「お疲れ様」とねぎらうので、なおさら、現実がつきつけられる。

もしかしたら、外国の選手に金をもっていかれたことよりも、自国の、後から出てきた若手の選手や、いままで自分の後ろに順位を重ねていた選手に追い越されてしまったことのほうが、つらいのではないかなどと、失礼なことを邪推してしまう。
いやいや、そんなことはない、これからの日本のフィギアを背負う若い選手が育ってくれてうれしい、と彼ならそう答えるだろうか。


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それならそうと……

2022年02月13日 | インポート
YAHOOを開こうとして、インターネットエクスプローラのショートカットをクリックするものの、どういうわけか、マイクロソフトエッジに接続されてしまうようになってから久しい。
どういうタイミングでそうなったのか、どこかいけないところをクリックしてしまったのか。
なぜなのか理由はわからないまま、とりあえず接続されるのだからと放っておいたが、かすかに”気になる棘”として心のどこかにひっかかっていた。
そこで、思い切ってヘルプデスクに電話をしてみる。
スマホを購入したときに入った無料のサービスは、パソコンの問合せにも応じてくれるのである。
休日の今日。家でパソコン開いている人が多いらしく、ヘルプデスクも混みあっている。
自動音声と穏やかな曲が繰り返される。
待つこと10分弱。それでもひと昔前よりも、早くつながるようにはなってきた。
待ちくたびれたと思い始めたちょうどいいタイミングで、ナマの声が出てくる。
ヘルプデスクのスタッフ氏いわく、近いうちにIEのサービスが終了されるので、そのために、徐々にサービスをエッジに移行していっているのだとか。
マニュアルにも載っているような、平凡な問い合わせだったらしく、あっさりと回答が得られた。

そうですか、そうですか。
パソコンの不具合ではなく、当然の流れと知って安堵するものの、それならそれで言ってほしかったわ。人に断りもなく……とやや不満である。
もしかしたら、わたしが知らないだけで、そうしたことは前々から告知されていたのかもしれないが……。

アナログ人間のわたしには、仕事の方法がひとつシステム化されるたびに、「時代遅れ感」を抱かずにはいられない。
加えてこんな些細なことにも、大げさにうろたえてしまうのである。




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