TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

来し方行く末

2024年10月27日 | エッセイ
実家では、宅食便で食料を調達している。
1週間先のお届けになっているせいか、「頼まないものが届いた」という母の発言が増えた。
注文時と受取時の気が変わるのだろうか。
加えて、単位がケース単位であるのを確認しないものだから、麦茶が1ケース、ドーンと届いてあたふたすることになる。
そのたびに返品をしていたらたまらない。
そこでわたしが電話で注文をして、〇日に届く商品の名前を書いて冷蔵庫に貼っておくことにした。
自分で注文する楽しみを奪ってしまったようで気の毒でもあるが、しかたがない。
こんなふうに、もの忘れを補うために、壁や冷蔵庫に大きな字で貼っておくメモが最近増えた。

父に付き添って眼科に行くと、眼底・眼圧検査、網膜検査の結果、かなり視野が狭まってほとんど「真っ黒」だと言われた。
出せる目薬はすでに処方済み、緑内障に加えて視神経の老化も影響しているらしい。
「視野検査をしてもいいんですが、結局「見えてませんね」となるだけなんですよね。それでもやりますか?」と医師に聞かれた。
やっても無駄だよ、と言うニュアンスなのは明らかだ。
視野検査は瞬発力もかなり必要なので、認知機能からいってもかなりの難関だ。
それでも「結構です」とは言えなかった。
内視鏡検査のように危険な検査でなければ、つい「する」方を選んでしまう。
結果は推して知るべし。
医師も多くを語らず。
今までと同じ種類の目薬を同量処方してもらって、クリニックを出た。

毎日同じような風景に見えるが、こうやって徐々に衰退に向かって行くのを目の当たりにしたり実感したりするのは忍びない。
目をそらしたい。
気がつかないふりをしたい。

眼科のあとに、食事に行った。
家には車がないので、いちいちタクシーを呼ぶ。
こういう時にわたしがペーパードライバーなのをふがいなく思うが、そのおかげで誰にもけがをさせず、自分もこうやって健在であるとも言える(って負け惜しみのようだが)。

食事処は土曜日の午後とあって、にぎやかである。
こうした場所に身を置くと、両親の体調やら気がかりなことからいっとき気を紛らわせることができる。
おぼつかないとはいえ、今はまだ車からこうして自力で降りて、靴を脱いで、ゆっくりとした足取りで席まで歩いてたどりつくこがきる。
そんなふうに、できていることをなるべくありがたく思おうとするのだが、回りを見るとそれはかなり努力のいることだ。
どうしても若いグループや元気な家族連れに目がいってしまう。
表面的なことを見てうらやんでしまうわたしの悪い癖である。
食事が終わって靴をはいたところで、ちょうど玄関先で家族とともに外に出ようとしていた見知らぬ女性が、父の靴がちゃんとはけていないのに気がついて、わざわざ自分の手指をさし込んで、はかせてくださった。
身内のわたしがタクシーに気をとられ、ホイホイ先に外に出てしまった不備を補ってくださったのだ。
介護サービスだけでなく、こうやって他人の手を煩わせることが増えていくのかもしれない。

夜は、例によって昔話をする。
日々の暮らしをまわしていく上では、父母のペースや記憶が互いにかみ合わず、不穏になったりするが、昔の話に関しては、その真偽について確かめる余地もないせいか、穏やかに時間の流れが展開する。
時間を前に進めることは苦手だが、過去に遡るのは、比較的楽なようだ。
母曰く「嫌なことは全部忘れていくものなのよ」。
勘違いによるストーリーも、記憶のすり替えなんかも、彼らにとっては今現在の事実なのである。

翌朝、わたしはなかなか進まない自分の終活に手をつけた。
昔々からの手紙整理だ。
幼稚園の頃通っていたヤマハ音楽教室の先生や小中学校の先生からの年賀状なんかもあって驚く。
もう、うすらぼんやりしか思い出せない級友からの年賀状もある。
今もお付き合いのある友人からの手紙は、相変わらず優しい。
暗黒の大学時代だと思っていたのに、意外にも、同じクラブだった友人たちから誕生日祝いもいただいている。
育児雑誌のペンパル募集欄つながりの手紙もある(これなどはすぐに立ち消えになったが)。
もちろん思い出したくない時期の手紙も山とある。
若気の至りでは済まされないような、取り返しのつかない不義理のオンパレードである。
大事なことをすっ飛ばして生きてきてしまったような気でいるが、それなりに自分の人生を自分なりに刻んできたと認められる日がくるだろうか。

こういう作業は、ついつい読みふけってしまって、なかなか進まない。

メールの時代にはいってからは、ほとんど手紙を書かなくなったが、若い時代、手紙のやりとりをすることができてよかったと思う。
都合の悪いことを忘れる、とまでいかずとも、すべてひっくるめて、穏やかな気持ちで過去の話ができるようになればいいなと思う。
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朝ドラだもの

2024年10月24日 | エッセイ
今月から始まった朝ドラ『おむすび』は、ネット情報によると不評である。
年配の視聴者には、いきなりのギャル登場が受け入れ難いのだろう。
自分と同じ栄養士の話と聞いて当初楽しみにしていた母も、このギャルの登場に抵抗を覚え、最近は見ていないようだ。初の朝ドラ離れである。
わたしはというと、相変わらず、録画をして見ている。
前回の『虎に翼』に比べれば軽いが、そうした重みは、北村有起哉さんの高校生姿で、すでに諦めた。
ギャルという珍しい存在も、このように改めて目のあたりにすると新鮮である。
父と娘、祖父と父の確執などなにやら思わせぶりなのも、遠からず明らかにされて溶けていくのだろうな、というのも想像できる。(だって朝ドラだもの)。
幼馴染や野球部のヒーロー、書道部の部長……ヒロインに今後絡んでいくと思われる男性陣が早くも3人登場した。

1日の始まりのこの時間、ドロドロしたくない。
こんがらがった気分になりたくない。
15分という時間も大事だ。これが30分だとさすがに辛い。
褒めているのか、くさしているのかわからないが、しばらくは見ていこうと思う。
わかりやすさ、あっさり感、スピード感は大事である。
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2024年10月20日 | エッセイ
「今日の日中はひんやりしそうです」という天気予報士のセリフを聞いて、ホッとする。
寒いなら寒いで外に出たくないが、体力全部むしり取られるような暑さはもう御免である。

先週の金曜日、両親の床屋に付き添った。
駅前の格安な床屋である。
父はひと月に1度ほどマメに通っている。
ポヤポヤと生えている程度なのだから、通う間隔をもう少しあけてもいいのではないかと思うが、短いなら短いなりに、少ないなら少ないなりに、耳回りのボサボサ感が気になるらしい。
カットだけではなく、シェービングや洗髪をしてもらったりすると、気持ちもさっぱりするようだ。
母はここのところカットだけなので、前髪がほぼ真っ白である。
自分の目に見える部分がことさら白いので、黒い布帽子をかぶって隠している。
「誰に会うわけでもないんだから、別にいいんだけど」と言いつつ、内心、気にしているようだ。
染めようかしら、染めようかしら、と言いつつも、最近の美容院はどこも予約制なのが億劫らしく、結局は父と同じ床屋でカットだけしてもらうことになる。
ふたりが切ってもらっている間、わたしは後ろに座って待っている。
「付き添い用」の席というのがあるのだ。
ぼんやりとした付き添いなので、なにぶん気が利かない。
スタッフに、「終わりましたよ」と促されて初めて気がついて迎えに行く。

父母ともに相変わらず、杖をつかない。
人目をはばかっているのだ。
杖をついて歩いてくれたほうが、よほど周囲に危なっかしい思いをさせないで済むと思うのだが、「年寄りくさい」とかなんとか言って、頑として使わない。
肩を支えようとすると、それも拒む。
来月90歳になるのに、”年寄りくさい”ことに抵抗があるというその心がよくわからない。
その年になってみないとわからないのかもしれない。

床屋の前は横断歩道である。
青に変わってすぐに渡り始めないと間に合わない。
もうすぐ渡り切るというところで赤に変わる。
高齢者がポツポツと覚束ない足取りで渡っているのに発進する車はさすがにいないが、ドライバーが車中で舌打ちしているのではないかと思うと、気が気ではない。
右目で父の歩みを捉えつつ、左目で母の位置を確認しながら合わせて歩く。
気持ちがせいているので、彼らの動きがことさらもどかしく感じられる。
小さい駅前のこの短い横断歩道が、これほど長く感じられる時間はない。

カットを終えると、駅前のカフェで一服するのが定番のコースとなっている。
家にいると煮詰まってしまい、つまらないことでゴタゴタが起きる。
例えば父のもの忘れを母がなじって声を荒らげ、部屋の空気が殺伐とするというような……。
もの忘れをしている人が、もの忘れをしている人をなじるというのは、滑稽を通り越して苛立ちさえ覚える。
そして言わずもがなのひとことをつい口走ってしまい、こちらも後味の悪い思いをする。
しかし、外では誰しもお行儀や愛想も良くなる。
気持ちの上でも余裕ができる。
おいしいものを食べてひと息つける。
離れて住んでいると彼らの安否について不安になることもあるが、ゆったりと座っている姿を目の当たりにできていると、その間だけでもとりあえず安心である。

翌土曜日は「介護者のつどい」だった。
お世話になっている地域包括支援センター主催である。
帰り際に、担当のケアマネさんがちょうど訪問を終えてもどってきたところに出くわした。
少し立ち話をする。
敢えて約束をしたわけでもなく、ただ出くわしたというだけで、少し立ち話ができる顔見知りの関係というのは、当たり前のようでいて、実は得難い。
坂の多い町である。
電動自転車をしこしここいで、1か所訪問するのにもひと苦労のようだ。
彼女は今年いっぱいで退職される。
両親が要支援・要介護の認定を受けてから丸2年、そうしょっちゅう連絡しあうというのではなかったが、何かあった時には相談できる存在は大きかった。
もちろん後任に引き継いでくれるらしいが、関係性の作り直しは緊張する。
それこそわたしにとっての「杖」を失ってしまうようで心もとない。
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健康診断

2024年10月16日 | エッセイ
年に1度の健康診断がやってきた。
職場が契約した団体主催のために、会場は家から1時間以上かかる。
朝8時、早めに家を出る。
途中のターミナル駅、西と東を結ぶ連絡通路は、右から左、左から右へと人が行き交う。
朝の通勤時間帯だ。皆さん、やけに猛スピードで、前から斜めからこちらに向かって突進してくるように感じられる。
以前だったら無意識のうちに微妙にからだをずらして、それなりに流れに乗っていけていたのだろうが、最近では、そうした調整ができにくくなっている。
我が道を行くとばかりにまっすぐ歩を進めるために、先方がよけることになる。「チェッ」と舌打ちが聞こえそうだ。

いつものことながら、会場には早めに着いた。
おそろいの、くたびれきった洗いざらしの検査着に着替えて、待合室に腰かける。
ズボンのゴムがゆるゆるで、ずりおちるのではないかと気になる。
ここからは、お名前ではなく、ロッカーの番号で呼ばれる。
「80番のかた」が本日のわたしの呼び名だ。
体重身長、血圧測定から始まって、採血、視力・聴力検査、心電図のあとは、エコー、胸のレントゲンへと進み、胃のレントゲン、医師の診察で終了となる。
白衣を着たスタッフが通路をせわしなく動き回り、わたしたちのカルテをあっちの検査室に差し込み、こっちの検査室から取り出し、名前を(番号)を呼ぶ。
順番に何かしら規則があるらしく、カルテをケースの前にやったり後ろにやったりする。
すべてが効率的に行われている模様だ。
こちらはそのスムーズな流れ作業をじゃましないように、呼ばれたらすぐさま返事をして立ち上がり、部屋に向かう足も、つい駆け足となる。

最後の検査は胃のレントゲンだ。
発砲剤を飲み下す時に、つい顔をしかめてしまう。
バリュウムにいたっては、一気飲みがしんどい。
例年、指示された方向がわからなくなったり、回転するのにオタオタすることはあるものの、さほど苦も無くこなしていたが、今回ばかりは、検査台がいやに固く感じられて、回るたびに、腰骨に響く。
ごつごつと骨を打たれているようで痛い。
さらに「胃の膨らみ」が十分でないと言われ、発砲剤を追加されて、さらに検査時間が延びる。
ごつごつごつ……。
限界! と思ったところで、アームが下からニュウッと伸びて、おなかを軽く押されて「お疲れさまでした」となった。

診察では、何もないだろう、と思ってはいてもはっきりと、「特に所見はない」と言われるとホッとする。
ようやく終了。
もう12時だ。
終われば飲食も解禁となる。
最寄りの地下鉄駅構内のパン屋さんにはいる。
お昼時でもあり、席はそこそこ埋まっている。
ほぼおひとりさまだ。
それぞれがパンを選んでコーヒーをテーブルにのせてスマホなどいじっている。
場所柄、ゆっくりとしている時間はなさそうだが、それでもそのなんてことのないいっときがありがたく感じられる。
健康診断は”健康”でないと、こなせない。
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大事なものそれは

2024年10月12日 | エッセイ
来年度の働き方について面接があった。
週3日の非常勤勤務が始まったのがつい最近のように思われるのに、もう折り返しにはいったのだ。
昨年度の面接がつい最近のように感じられる。
わたしたちは、定年が延長される最初の年代だった。
同じ職場で延長を選んだ人はひとり。いったん退職して非常勤の再任用になったのはわたしひとり。
部署こそ違うが、現役時代と同じ職場だったために、馴染んだ環境、見慣れた景色に囲まれて、特段、喪失感もなく、退職したことを強く実感することなく過ぎた半年だった。
60歳をゴールと決め、「あと1年なんて絶対、無理、無理」と思っていたのに、成り行きと勢いに押されて、週3日勤務で継続となり、職責が格段に軽くなったために、なんとか過ごすことができた。

さて、来年はどうするか。
体力気力はすでに枯渇している。
実家と自分の家を往復し、物理的なせわしさだけでなく、母親の不安感に振り回されたり、こちらから念押しの電話をしたりと、なんだか落ち着かない日々ではあった。
短い時間にいかにたくさんの用事をこなせるかという挑戦をしてしまう性分に火もついた。
お蔭で事務的なことは大いに進んだが、心に余裕がないために、つい、話し方が矢継ぎ早となり、追い立てるような、せかすような調子になり、相手、ことに高齢の両親を混乱させてしまったかもしれない。
その途中で落っことしてきた大事なものがあるような気もする。

先日の木曜日、ケアマネさんが実家に訪れた。
デイサービスを利用する、しないでごたごたしたこともあり、様子見に来てくれたのである。
結果、「父には今までどおりの訪問リハを続けてもらい、母には、訪問看護の日数と時間を減らしてもらう」ということで話がまとまり、懸案のリハ専門のデイサービスは利用しないことになった。
母には、看護師さんが提案するぬり絵が、「幼稚っぽくて」御不満のようだ。
デイサービスに通っておしゃべりをすることにせよ、ぬり絵にせよ、認知機能を落とさないためというふれこみだが、本人が楽しめないのなら意味はないのかもしれない。
わたしたちは集団的でお仕着せの教育を何十年も受けてきた。
そして年を重ね、やっとそうしたものから解放されたというのに、再び、教育的に考え出されたプログラムを受けるべく集団に放り込まれるというのは、理不尽にも感じられる。

面接を終えて、ケアマネさんを送って外に出ると彼女曰く、「娘さん、実はわたし今年いっぱいで退職することになりまして」
わたしは、思いがけない話に思わず「え~ッ」と声をあげる。
両親が要支援要介護を受けてから2年弱、気さくで話しやすい彼女に馴染んでいたのに……。
「わたしも実は両親の介護をしていてね。訪問介護やヘルパーさんを使って、そしてこうした仕事をやっていけていたんだけど、段々わたしの体調が悪くなってしまったので‥‥」と彼女。
そういえば最近電話をしても不在のことが多かったのは、そういうことだったらしい。
「仕事も介護、プライベートも介護でしょ。あれ?今どっちの介護の話してたんだっけ、って混乱したりしてね」と笑いながら話す。
「さみしいです。きっと復帰してくださいね」とわたし。
先方は仕事でも、こちらにとってはプライベート。
こういう関係性の終焉は何度繰り返しても慣れない。
しかし慣れないなりに、彼女もまた1人の女性として娘として、これから介護をがんばっていくのだな、と思うことが、今後わたしの支えになればいいなと思う。
両親の支えになることが彼女の支えにもなり、それがわたしの支えとなるというような……。
ケアマネとしての彼女と接する機会はなくなるかもしれないが、同士としての彼女は健在だ。
スマホの着信が鳴るとドキッとしますよね、と明るく話してお別れした。
新しいケアマネさんへの引継ぎは後日となるらしい。

大事なもの―—。
人それぞれだが、現在の彼女にとっては、御自分の健康とご両親の介護であり、それをとりこぼさないための今回の選択だったのだろうな、と思う。
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