実家では、宅食便で食料を調達している。
1週間先のお届けになっているせいか、「頼まないものが届いた」という母の発言が増えた。
注文時と受取時の気が変わるのだろうか。
加えて、単位がケース単位であるのを確認しないものだから、麦茶が1ケース、ドーンと届いてあたふたすることになる。
そのたびに返品をしていたらたまらない。
そこでわたしが電話で注文をして、〇日に届く商品の名前を書いて冷蔵庫に貼っておくことにした。
自分で注文する楽しみを奪ってしまったようで気の毒でもあるが、しかたがない。
こんなふうに、もの忘れを補うために、壁や冷蔵庫に大きな字で貼っておくメモが最近増えた。
父に付き添って眼科に行くと、眼底・眼圧検査、網膜検査の結果、かなり視野が狭まってほとんど「真っ黒」だと言われた。
出せる目薬はすでに処方済み、緑内障に加えて視神経の老化も影響しているらしい。
「視野検査をしてもいいんですが、結局「見えてませんね」となるだけなんですよね。それでもやりますか?」と医師に聞かれた。
やっても無駄だよ、と言うニュアンスなのは明らかだ。
視野検査は瞬発力もかなり必要なので、認知機能からいってもかなりの難関だ。
それでも「結構です」とは言えなかった。
内視鏡検査のように危険な検査でなければ、つい「する」方を選んでしまう。
結果は推して知るべし。
医師も多くを語らず。
今までと同じ種類の目薬を同量処方してもらって、クリニックを出た。
毎日同じような風景に見えるが、こうやって徐々に衰退に向かって行くのを目の当たりにしたり実感したりするのは忍びない。
目をそらしたい。
気がつかないふりをしたい。
眼科のあとに、食事に行った。
家には車がないので、いちいちタクシーを呼ぶ。
こういう時にわたしがペーパードライバーなのをふがいなく思うが、そのおかげで誰にもけがをさせず、自分もこうやって健在であるとも言える(って負け惜しみのようだが)。
食事処は土曜日の午後とあって、にぎやかである。
こうした場所に身を置くと、両親の体調やら気がかりなことからいっとき気を紛らわせることができる。
おぼつかないとはいえ、今はまだ車からこうして自力で降りて、靴を脱いで、ゆっくりとした足取りで席まで歩いてたどりつくこがきる。
そんなふうに、できていることをなるべくありがたく思おうとするのだが、回りを見るとそれはかなり努力のいることだ。
どうしても若いグループや元気な家族連れに目がいってしまう。
表面的なことを見てうらやんでしまうわたしの悪い癖である。
食事が終わって靴をはいたところで、ちょうど玄関先で家族とともに外に出ようとしていた見知らぬ女性が、父の靴がちゃんとはけていないのに気がついて、わざわざ自分の手指をさし込んで、はかせてくださった。
身内のわたしがタクシーに気をとられ、ホイホイ先に外に出てしまった不備を補ってくださったのだ。
介護サービスだけでなく、こうやって他人の手を煩わせることが増えていくのかもしれない。
夜は、例によって昔話をする。
日々の暮らしをまわしていく上では、父母のペースや記憶が互いにかみ合わず、不穏になったりするが、昔の話に関しては、その真偽について確かめる余地もないせいか、穏やかに時間の流れが展開する。
時間を前に進めることは苦手だが、過去に遡るのは、比較的楽なようだ。
母曰く「嫌なことは全部忘れていくものなのよ」。
勘違いによるストーリーも、記憶のすり替えなんかも、彼らにとっては今現在の事実なのである。
翌朝、わたしはなかなか進まない自分の終活に手をつけた。
昔々からの手紙整理だ。
幼稚園の頃通っていたヤマハ音楽教室の先生や小中学校の先生からの年賀状なんかもあって驚く。
もう、うすらぼんやりしか思い出せない級友からの年賀状もある。
今もお付き合いのある友人からの手紙は、相変わらず優しい。
暗黒の大学時代だと思っていたのに、意外にも、同じクラブだった友人たちから誕生日祝いもいただいている。
育児雑誌のペンパル募集欄つながりの手紙もある(これなどはすぐに立ち消えになったが)。
もちろん思い出したくない時期の手紙も山とある。
若気の至りでは済まされないような、取り返しのつかない不義理のオンパレードである。
大事なことをすっ飛ばして生きてきてしまったような気でいるが、それなりに自分の人生を自分なりに刻んできたと認められる日がくるだろうか。
こういう作業は、ついつい読みふけってしまって、なかなか進まない。
メールの時代にはいってからは、ほとんど手紙を書かなくなったが、若い時代、手紙のやりとりをすることができてよかったと思う。
都合の悪いことを忘れる、とまでいかずとも、すべてひっくるめて、穏やかな気持ちで過去の話ができるようになればいいなと思う。
1週間先のお届けになっているせいか、「頼まないものが届いた」という母の発言が増えた。
注文時と受取時の気が変わるのだろうか。
加えて、単位がケース単位であるのを確認しないものだから、麦茶が1ケース、ドーンと届いてあたふたすることになる。
そのたびに返品をしていたらたまらない。
そこでわたしが電話で注文をして、〇日に届く商品の名前を書いて冷蔵庫に貼っておくことにした。
自分で注文する楽しみを奪ってしまったようで気の毒でもあるが、しかたがない。
こんなふうに、もの忘れを補うために、壁や冷蔵庫に大きな字で貼っておくメモが最近増えた。
父に付き添って眼科に行くと、眼底・眼圧検査、網膜検査の結果、かなり視野が狭まってほとんど「真っ黒」だと言われた。
出せる目薬はすでに処方済み、緑内障に加えて視神経の老化も影響しているらしい。
「視野検査をしてもいいんですが、結局「見えてませんね」となるだけなんですよね。それでもやりますか?」と医師に聞かれた。
やっても無駄だよ、と言うニュアンスなのは明らかだ。
視野検査は瞬発力もかなり必要なので、認知機能からいってもかなりの難関だ。
それでも「結構です」とは言えなかった。
内視鏡検査のように危険な検査でなければ、つい「する」方を選んでしまう。
結果は推して知るべし。
医師も多くを語らず。
今までと同じ種類の目薬を同量処方してもらって、クリニックを出た。
毎日同じような風景に見えるが、こうやって徐々に衰退に向かって行くのを目の当たりにしたり実感したりするのは忍びない。
目をそらしたい。
気がつかないふりをしたい。
眼科のあとに、食事に行った。
家には車がないので、いちいちタクシーを呼ぶ。
こういう時にわたしがペーパードライバーなのをふがいなく思うが、そのおかげで誰にもけがをさせず、自分もこうやって健在であるとも言える(って負け惜しみのようだが)。
食事処は土曜日の午後とあって、にぎやかである。
こうした場所に身を置くと、両親の体調やら気がかりなことからいっとき気を紛らわせることができる。
おぼつかないとはいえ、今はまだ車からこうして自力で降りて、靴を脱いで、ゆっくりとした足取りで席まで歩いてたどりつくこがきる。
そんなふうに、できていることをなるべくありがたく思おうとするのだが、回りを見るとそれはかなり努力のいることだ。
どうしても若いグループや元気な家族連れに目がいってしまう。
表面的なことを見てうらやんでしまうわたしの悪い癖である。
食事が終わって靴をはいたところで、ちょうど玄関先で家族とともに外に出ようとしていた見知らぬ女性が、父の靴がちゃんとはけていないのに気がついて、わざわざ自分の手指をさし込んで、はかせてくださった。
身内のわたしがタクシーに気をとられ、ホイホイ先に外に出てしまった不備を補ってくださったのだ。
介護サービスだけでなく、こうやって他人の手を煩わせることが増えていくのかもしれない。
夜は、例によって昔話をする。
日々の暮らしをまわしていく上では、父母のペースや記憶が互いにかみ合わず、不穏になったりするが、昔の話に関しては、その真偽について確かめる余地もないせいか、穏やかに時間の流れが展開する。
時間を前に進めることは苦手だが、過去に遡るのは、比較的楽なようだ。
母曰く「嫌なことは全部忘れていくものなのよ」。
勘違いによるストーリーも、記憶のすり替えなんかも、彼らにとっては今現在の事実なのである。
翌朝、わたしはなかなか進まない自分の終活に手をつけた。
昔々からの手紙整理だ。
幼稚園の頃通っていたヤマハ音楽教室の先生や小中学校の先生からの年賀状なんかもあって驚く。
もう、うすらぼんやりしか思い出せない級友からの年賀状もある。
今もお付き合いのある友人からの手紙は、相変わらず優しい。
暗黒の大学時代だと思っていたのに、意外にも、同じクラブだった友人たちから誕生日祝いもいただいている。
育児雑誌のペンパル募集欄つながりの手紙もある(これなどはすぐに立ち消えになったが)。
もちろん思い出したくない時期の手紙も山とある。
若気の至りでは済まされないような、取り返しのつかない不義理のオンパレードである。
大事なことをすっ飛ばして生きてきてしまったような気でいるが、それなりに自分の人生を自分なりに刻んできたと認められる日がくるだろうか。
こういう作業は、ついつい読みふけってしまって、なかなか進まない。
メールの時代にはいってからは、ほとんど手紙を書かなくなったが、若い時代、手紙のやりとりをすることができてよかったと思う。
都合の悪いことを忘れる、とまでいかずとも、すべてひっくるめて、穏やかな気持ちで過去の話ができるようになればいいなと思う。