先日、母から誕生日のお祝いが届いた。
財布である。
年末に顔をあわせたおり、財布が壊れたので、境の部分をホッチキスで留めて使っているというわたしの話を覚えていたのである。しかしその時、未使用のいただきものの財布をふたつ、もらって帰ったことは忘れている。
かくして、手元の財布は3つになった。こんな時思うのである。入れ物よりも、中身をいただいたほうが嬉しかったな、などと。
同じようなことはまだある。
母からNHKテキスト『きょうの料理』が届いた。一筆箋が添えられている。「同じ本を2冊も買ってしまいました。よかったら参考に見てください」。見覚えのある、イトミミズのように頼りなげな文字である。年齢とともに筆力が衰えているのが見てとれる。
わたしが食べるものといったら、ほぼ毎日、出来合いのおかずと、手作りらしきものといえば山盛サラダと汁物ぐらいである。料理の本を見ながらひとりぶんの料理を作るのが、ことさら、億劫に感じられる。しかし、せっかく送ってくれたのだから、何か一品でもこの本を参考に作ってみなくては申し訳ないようで、とたんに気が重くなる。
料理の本よりも、料理そのもの(缶詰でもレトルト食品でもよいのだが)を送ってくれたほうがありがたい、と思ってしまう瞬間である。
財布である。
年末に顔をあわせたおり、財布が壊れたので、境の部分をホッチキスで留めて使っているというわたしの話を覚えていたのである。しかしその時、未使用のいただきものの財布をふたつ、もらって帰ったことは忘れている。
かくして、手元の財布は3つになった。こんな時思うのである。入れ物よりも、中身をいただいたほうが嬉しかったな、などと。
同じようなことはまだある。
母からNHKテキスト『きょうの料理』が届いた。一筆箋が添えられている。「同じ本を2冊も買ってしまいました。よかったら参考に見てください」。見覚えのある、イトミミズのように頼りなげな文字である。年齢とともに筆力が衰えているのが見てとれる。
わたしが食べるものといったら、ほぼ毎日、出来合いのおかずと、手作りらしきものといえば山盛サラダと汁物ぐらいである。料理の本を見ながらひとりぶんの料理を作るのが、ことさら、億劫に感じられる。しかし、せっかく送ってくれたのだから、何か一品でもこの本を参考に作ってみなくては申し訳ないようで、とたんに気が重くなる。
料理の本よりも、料理そのもの(缶詰でもレトルト食品でもよいのだが)を送ってくれたほうがありがたい、と思ってしまう瞬間である。