TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

老いは、ゆるりと

2012年02月28日 | インポート
 父方の叔母が亡くなり、両親がそろって通夜に出かけた。

 父は5人兄弟、母は4人兄弟。それぞれ次男次女である。
これまでひとりも欠けず、一番上は、90歳近い。
祖母の妹も、100歳近いが、ひとりで暮らしている。
両方とも、長生きの家系なのだろうか、高齢化社会をしっかり支えている。
 そのためか、母は、「一番先に逝くのは何だかイヤだわ」
と言っていた。
 長けりゃいいってもんでもないが、気持ちもわからんでもない。

 叔母が末期がんで、1月末までもつかどうかという連絡がはいったのは、昨年の末である。
香典袋がさりげなく用意され、どうやらしばらく持ちそうだということで、いつのまにか見舞いの
のし袋に変わった。
 姉とはいえ、母にとっては、義理の関係である。しかも小姑。
決して仲が悪かったわけではないが、こうした人の生き死にに関わるようなできごとは、
どこか、人を高揚させる。
 「こんなこと、したくないけど」
と言いつつ、久しぶりにはく黒いハイヒールの足慣らしと称して、部屋の中で、
元気に足踏みをしていた。
 冠婚葬祭でもないと、お洒落をしてどこかへ出かける機会がないのである。

 わたしの祖父母は、すでに亡いが、物心ついた時には、すでに「おじいさん」「おばあさん」
であった彼らの死は、必然であり、遠いできごとでもあった。
 お迎えの順番が、いよいよ、伯父や叔母の代にまわってくると、
両親や身近な人、そして自分自身に対しても、身に迫るものに感じられる。

 日々の変化はわかりづらい。
同じような時刻に帰宅すると、テレビでは、”いつもの”アナウンサーがニュースを読んでおり、
その前で、座イスに腰かけた父が、ダイレクトメールに隅々まで目を通し、
傍らで、母がテレビを見ながら、登場人物に茶々をいれている。
 アタリマエの日常が有り難いとわかったというセリフは、絆という言葉同様、震災後、
使い古されてきた。
 その実感が薄れてきたのは、月日がたったからではなく、
本当に大事なものを失っていないからなのではないか。

 2週間も前にひいた風邪がいつまでも治らないらしく、咳込んでいる母を見る時、
或いは、検査とはいえ、入院する間隔が縮まってきた父を見る時、何とも言えない心細い思いがする。

 それならば、優しく思いやりに満ちた娘であるかと言えば、思春期よろしくつんけんそっけない
態度をとってしまい、後味の悪い思いをする。

 かく言うわたしも、物を落っことしたり、床に置いたリモコンを蹴飛ばすことが多くなった。
握力が萎えてきたのか、足があがりにくくなったのか…。
 先日そのことを友人に話すと、
「それだったら、リモコンを床に置かずに、上に置けばいいじゃないの」と、
あっさり言われた。
 確かにそうなのだ。
そうなのだけれど、それではなんだか年齢に負けたようで、頑固にも未だに床に
置き続けている。

 失ったものを、あるいは失いつつあるものを、まだまだ認めたくないのである。

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ハイ、ひねくれてますが、それが何か?

2012年02月17日 | インポート
 近所のドーナツカフェは、主婦の社交の場である。

そう頻繁に行くわけではないが、行くたびに、声高く、誰それの噂話や、近況報告で盛りあがっている。
携帯片手に、
「今、ミスドにいるから、おいでよー」
といったようなメールを本人に直接打てるようになったのが、
集まりやすくなった所以である。

 米粉ドーナツの試食券が広告にはいっていたので、早速出向く。
隣に座った二人組。
仮にAさんとBさん。

 Aさんは、別の友人Cさんに、ご立腹の様子である。
太ってる割には神経質だと、しつこく言われたのが、そうとう気に食わぬらしい。
向かいに座ったBさんに、何度も言い募っては、うっぷんを晴らしている。
「太ってる、太ってる」と、あまりにも連呼するので、
どれどれ、とわたしは隣から、彼女の体型を、盗み見る。
 まあ、丸顔ではあるが、痩せてはいない。
はっきりと太っていれば、むしろ人はその話題を避けるものだ。
 そういう意味では、からかいやすい微妙なレベルとも言える。

 その後、過去のあの事、この事、具体的なj事例をあげて、結果、
「Cさんたら、自分のことは棚に挙げて、他人の悪口ばかり言うホントにいやな奴」
と言う結論に達した模様である。
 そういうあんたたちが、今、盛り上がっているのは、ほかでもない、他人の悪口じゃないのか??
と隣から、突っ込みを入れたくて仕方がなくなってくる。

 こういう社交の場面に交わっていなくてよかったと思いつつ、ガラス越しに日差しを浴びて、
ぽかぽかと身体も温まったので、店を出る。

 
 先日、職場で、『副所長と運転手さんを囲む会のお知らせ』
が回覧されてきた。
 ふたりとも、3月いっぱいで、定年退職されるのである。
出席なら○、欠席なら×。
 わたしは管理課の親睦会に入っていないということもあって、当然×をつけた。
しかも、待ってましたとばかりに、ボールペンでくっきりと。

 同じ欠席でも、遠慮勝ちに小さく鉛筆で、×を書いて、その横に、
残念ですが、とか、どうしても抜けられない用事があって…などと言い訳がましく、
あ、イヤ、礼儀正しく書かれる方もいるようだが、
むろん、そんなことは、書かない。

 それで、何となく自己主張的になっているつもりになっている自分が可笑しい。
一体何を自己主張したいのか、わからない。
 「価値観の問題なんです。自分が価値をおかないことに、
無駄なエネルギーと時間を注ぎたくないので。
他にもそう思っている方、多いと思いますよ」
などと、聞かれもしないのに、そう宣言している自分を想像して、いい気になっている。
 言っていることはもっともらしいが、何だか不遜極まりない。 

 みんなが慣れ親しみ始めると、おいてけぼりを食ったように感じ、
段々他人と距離を置き始める傾向が、わたしにある。
 関係性づくりが他人と逆行しているのである。
それを思えば、自己主張だの、価値観だなんて大層なことではなく、
単に、人と馴染めないことをヒガンでいるだけじゃないの、という考え方もある。

 ともあれ、 ○の行列の中の、たったひとつの大きなバッテン。
 寂しさと引き換えではあるが、スッキリしたのは事実である。


 今から想像できる場面がある。
場所は、老人ホーム。
縁あって入居したとする。

 そこでは、お決まりのリクリエーションとして、ボール投げがある。
みんなで輪になり、歌に合わせてボールをパスしあう。
散切り頭のお爺さんや、お婆さんが、無表情で、飛んできたボールに手を伸ばす。
 合間に、やたらに元気な施設職員の掛け声と褒めのセリフが響く。
落っことしたって、誰も、咎めたりしない。
 そもそも、落ちようが続こうが、どうだっていいのだ。

 離れたところに、ポツネンとわたし。
 加わっていなくても、目は、輪の中にいる、お気に入りの職員に注がれている。
わたしゃ、しないね、子供じゃないんだから。
一体何が面白くてあんなこと、してるんだか。
自由参加だろ?それなら、別にいいじゃん。
(年寄りが、語尾に”じゃん”ってつけるのって違和感あるけど、多分お国訛りとして、
一生治らないんだろう)
カチカンの問題ですよ。
 誘われもしないのに、お断りする場面を、何度も何度も
頭の中で反芻する。
 誘ってくるのは、もちろんお気に入りの職員である。

 それで、自分はほかの人とは違うんだわい、と主張したつもりになっている。
でも、実際には、どこからどう見ても、だたの散切り婆さんに過ぎない。
 そもそも、ドーナツのタダ券持っていそいそとお店に行くようでは、
俗世から離れることなど、できないのである。
 慰問で配られるおやつも、関心ないフリして、車いすの爺さん婆さん押しのけ蹴散らし、
実は一番に駆けつけていたりするんだろう。

 なんて小憎らしい。
そうと、わかっていても、かわいげのあるお婆さんには、なれそうにない。

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ウツの治療

2012年02月13日 | インポート
12日のNHKスペシャルは、ウツの最新治療の紹介であった。
1か月でまるで別人に…などという、NHKらしからぬ副題に魅かれて見た。

ウツ病を扱った書籍は多い。
その中に、この病気の増加は、製薬会社の陰謀であるとする説がある。
苦労して良い薬を開発できれば、是非とも試したくなるのが、人情というものである。
それで熱心に医師に売り込む。
医師の方も、目の前に苦しんでいる患者がいれば、そして手持ちの薬の効用が期待できそうとあれば、
処方してみたくなる、というのも、自然な流れである。
一方には、こころの病そのものに対する抵抗感が薄れ、例え無意識にせよ、
「疾病利得」を得ようと、ウツと診断されたがる人々がいるとあれば、話は簡単。
ここに、需要と供給はマッチする。
皮肉なことに、いい薬ができればできるほど、ウツ病患者は増えるのだそうだ。

今回、番組では、ウツを客観的に診断する機械が紹介されていた。
これが一般化されれば、誤診を防げるばかりでなく、いわゆる、自称ウツ、なんちゃってウツ、
新薬お試し版ウツだのが減るだろう。
もしかして、若い人に増えてきた新型ウツそのものが激減するのではないだろうか。

1か月でまるで別人になったという治療法については、ドリルで脳天に穴を開けて、
電極を通すという方法や、外側から電磁を当てる方法があるという。
いずれも、薬に頼らないというか、薬が効かない場合の治療方法ということだ。

こういう治療法が開発されたり、脳の血流を調べることができたり、
感情を司る脳の部分が解明されたりしてくると、こころ、こころと言ったって、
所詮は脳神経の電気刺激反応であるということがわかる。
わかっているものの、そう簡単に割り切ってしまうのも何だか味気ない。
番組の締めくくりに紹介されていたのは、言葉による治療、つまりカウンセリングである。
ここに、脳という物質ではなく、こころというものの存在を見るような気がするのである。


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ひとり豆まき

2012年02月05日 | インポート
 帰宅する途中、通りかかった家の中から若い元気なお父さんの声がする。
「鬼は~ソト、福はああ~ウチ」
それに続いて子供が声をはりあげる。
「鬼は~ソト、福はああ~ウチ」
 この語尾の伸ばし方は、どの地方に行っても、共通なのだろうか。

 7月には、窓に七夕の短冊飾りがあった家だ。
保育園か幼稚園に通う子供がいるのだろう。

 1月も終わりに近づくと、バレンタインデー商戦に切り替わるほんの短い期間、
コンビ二やスーパーに行くと、鬼のお面と豆がセットで登場する。
 ちょっと奮発して、升もいっしょになったものもある。
豆の種類もいろいろあるようで、白やピンクの砂糖をまぶしたのが混ざっていたりする。
 
 家でも、わたしが子供のころ、そして息子が小さい頃、豆まきをしていた。
どうせ外にまいてしまうのだからと、実用主義、甘みのない大豆の炒り豆であった。
 「あとで掃除するのが大変だから、家の中にばかりまかないでちょうだい」
と、まくそばから、母がモップで掃いてまわるのが、何となく興ざめであった。

 豆まきのあとには、年の数だけ食べることができる。
甘いものに慣れた舌にも、新鮮であった。
 わたしの場合は、年の数だけ食べられると言われ、律儀にそれを守っていたように思うが、
孫に対しては甘くなったのか、息子は、豆をまくのもそっちのけで、床に散らばったのを、
あっちに飛び跳ね、こっちに跳びのきながら、ぼりぼりとむさぼり食ってたいた。

 この一大イベントが終わると、せかせかと、モップや箒で豆が庭に掃き出された。
せっかく家に招き入れられた福も、この一撃で一気に外の鬼と一緒にされるのである。

 その息子も、小学校も高学年ぐらいになると、恥ずかしがって付き合ってはくれなくなった。
その点、男の子のほうが、あっさりしているのではないか。
 食事を終えるとさっさと自分の部屋に引き揚げていた。
そうなると、わたしもやはりご勘弁願いたくなる。

 それでも、父は母に豆を、用意させていた。
節分の2,3日前になり、鬼の絵柄のついた袋が買い置かれているのを見ると、
気が重くなった。
 当日、夕食を終え、テレビを見ていた父が、
「そうだ。今日は豆まきやないか」
と、まるで今思いついたかのように立ち上がる。
 そして、窓を大きく明け放し、
「鬼はソト、福は~ウチ」
とやり始める。
 山の中の一軒家ならともかく、住宅地である。
両隣り、真向かい、はす向かい、ぎっしり家が立ち並んでいる。
そんなに大きな声を出さないでくれ、早く終わってくれればいのにと思いながら、
いたたまれない心持がした。

 初老の父がひとり淡々と豆まきをするその姿は、滑稽であり、今風に言うと、
「イタイ」のであった。
明け放した窓からは、冷たい風が吹き込み、部屋の中が、たちまち冷えてくる。
寒い部屋の中の、まさにサブい光景なのである。
 それでも、早々に自分の部屋に引き揚げてしまうのも、なんだか薄情な気がして、
わたしは、もじもじとその場に居座っていた。
 一年に一度ぐらい付き合ってあげられないのか?
と言えなくもないが、“豆を一心不乱にまき続ける自分の姿”を外から眺める自分が、参加を拒むのであった。

 四季折々の行事は、大抵、年齢に関わりなく違和感がないが、
この節分行事だけは、鬼のお面をかぶって盛り上がるような小さい子供がいる
家庭でないと、こっぱずかしいことこの上ない。

 この、ひとり豆まきは、どのくらい続いただろうか。
気付けば父も、喜寿を超え、豆まきは卒業したようである。

 何カ月もたってから、モップをかけた部屋の隅からコロコロところがり出てくる“福”にお目にかかることはもうないだろう。


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