TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

朝ドラふたたび

2024年06月30日 | エッセイ
東京都知事選まであと1週間。
候補者50人以上、経歴紹介を見ているだけでも時間が延々と過ぎて、誰が誰だかとても覚えていられるものではない。
奇をてらった登場のしかたや主張も次から次へと続けば、もはや珍しくもない。
それでも、今度はどんな人が出てくるんだろう、と興味が湧いて、つい見てしまう。
しかしその中身たるや、都のボスを決めるものとはいいがたいものも多い。
たぶん、あのおふたりの戦いになるのだろうな、と予測しながら、彼女たちを盛り立てる余興のように思えてしまう。
「NHKにもの申す」の候補者たちも、当のNHKの政見放送のお世話になっているというおかしな具合になっている。

さてNHKといえば、朝ドラ『虎に翼』も折り返し地点にさしかかった。
毎回録画して見ているのだが、何度も繰り返して見てしまう場面がある。
寅子の学校時代の友人梅子が相続問題の席で突如笑い出し、「もうダメ、降参。白旗を振るわ!負けを認めると言っているの」と言い放ち、驚く周囲にもかまわず「わたしはすべて失敗した。結婚も子育ても家族の作り方も、息子たちの育てかたも」と続ける。
そして「わたしはすべて放棄します。ぜーんぶ捨ててここから出ていきます」ときっぱりと宣言。
民法の条文を滔々と暗唱し、「ごきげんよう!」と障子バシッと開け放ち出ていく姿にいたっては、見ているこちらも清々とするほど潔い。
今までずっと押し殺してきた感情がいっきに解き放たれたのだろう。
それを見たよねが、よく言った! とばかりに感極まったように微笑む表情も実にいい。
あのあと梅子はどこに住むのだろう……などとよけいなことを考えてしまうが、そこはドラマだ。
彼女だったら一から自分の足で歩いて行くのだろうなと思わせてくれる。
「お互い誰かのせいにしないで自分の人生を生きていきましょう」
彼女のセリフのすべてが深く染みる。
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値上げ

2024年06月14日 | エッセイ
郵便料金が10月より値上げするらしい。
単価は安いが、上げ幅はかなりなもの。
ハガキが85円とは、いっきに今までの封書並みである。
需要の落ち込みによるものだそうだが、これでは益々「郵便離れ」が進んで、かえって逆効果かもしれない。

年賀状もしかり。
数年前に年賀状仕舞いをしたものの、一部の親戚には送り続けていた。
しかしこうなってくるとそれもおぼつかなくなる。
あの人には出すか出すまいか、数枚の年賀状を前に、相手を値踏みしているような疚しい気分になりそうで、そして毎年来ていたものが来年度から急にこなくなると、相手からも値踏みされたような、ぎすぎすした心持になりそうでもある。

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映画

2024年06月07日 | エッセイ
退職したら好きな本を思い存分読んで、俳句の教本もまた初めから読み直して独学するぞ!といきまいていたものの、いざ時間ができても、目の力・集中力・持続力が気持ちに追いついていかない。
目薬をさし、目を休めながらでも午前中の3時間ほどがいいとこ。
かえって時間が限られているほうが、集中力が増すようでもある。

2時間もののDVDをぶっ続けで視聴するのも、かなりハードルが高くなってきた。
日本映画ならまだいい。
外国ものだと、登場人物(特に男性)の見分けがつかない。
名前の違いがわからない。
よって、初めの15分ほどは、わけがからないうちに過ぎてしまう。
ようやく話についていけるようになってくると、最初のあの場面に何か意味があったのだろうかと気になって巻き戻して観るものだから、時間がよけいにかかる。
最近では、それがわかるものだから、レンタルするのさえ億劫になってしまう。
メンドクサイ、と思ったらそれは老化への道―—というようなフレーズをよく耳にするが、
ホント、そうかもしれない。

あ、でも今から楽しみにしている映画はあるのです。
『緊急取調室』と『エンジェルフライト』。
前者は出演者の不祥事で上映が延期になった挙句、撮り直しとなり、再来年に上映予定だとか。
刑事物語だから出演者もその分年を取り、体力的にきついだろうな。
後者は、NHKのBSで近日中に放送されるそうだが、残念なことに、わたしの家には、BSがない。
おとなしくTSUTAYAでレンタル開始されるのを待つしかない。
本当に好きなものは、多少上映館やレンタルビデオ屋さんが遠くても、ちいともメンドーではないのです。
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閉店なり

2024年06月03日 | エッセイ
美容院に行く。
カラーをしながらスタッフさん、言いにくそうに小声で曰く「実は7月いっぱいで閉店することになりまして……」
本店のスタッフが足りなくなったので、ここを閉めてそちらに移るように要請があったそうだ。
彼女たちにしても、それを知ったのが5月の連休頃らしい。
「あまりに突然で……。お客さんにご挨拶のお知らせを送るのにてんやわんやなんですよお。こうしてお会いしてお知らせできてよかったです」と彼女。

行きつけの店というのは、これからもずっと続いていくものだと思っていた。
そこにはなんの根拠もない。
ないのだから、こうした突然のできごと(っておおげさだが)は当然起きる。
そして少なからず動揺する。
いつもそうだ。
美容院に限らず、かかりつけのクリニックや飲食店もしかり。

彼女に付いて本店に行くお客さんもいるらしい。
さて、どうするかな。
カラーの色、前髪の切り具合など、やっと憶えてもらったものを新しい店を探してまた最初から説明するのも億劫である。
もしお好みの長さより、切り過ぎちゃったとしても、そのうち髪は伸びるのだし……と思いつつも、やはり初めての店に足を踏み入れるのは緊張もし、最後まで油断ができない。
本店は、わたしの実家の近くだからタイミングを合わせてそちらに行くというテもあるのだが。

6年間。わたしが今の家に越してきてからお世話になった。
髪型の好みを敢えて説明しなくてもいい安心感はなによりにも代えがたいが、それでもカットしながらの雑談を通して、段々とこちらのことを見知られ始めている気の重さ、というのも感じていたので、「さようなら」のいい機会かもしれない。



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視野検査

2024年06月01日 | エッセイ
半年に1度の視野検査を受けた。
痛くもかゆくもないが、緊張する検査である。
1点を見つめたまま、周囲に白い光が見えたら手元のボタンを素早く押す、という理屈は簡単なものではある。
が、白い光につい焦点がひきずられてしまう。
なにより問題なのは、「あ、見えた」と思った瞬間、すぐさま手が動かずに押しそびれてしまうことがままあることだ。
そうした誤差も考えて作られている検査だそうだが、「さっき、見えてたのに……」という思いをひきずってしまい、つい、次の光に対する反応まで鈍くなる。もぐらたたき、あるいは瞬発力をみる検査のようにも感じられる。
聴力検査もしかり。
ぴ、ぴ、ぴ、という音が聞こえたら手元のボタンを押すのだが、「ん? 今のは」と思っているうちに音が途絶える。

結果は異常なし。
まあ、それがわかればひとまず安心だが、もう少し認知能力が衰えてきたら、見える見えない以前に、この検査に適応することができなくなるのではないかと危ぶんでいる。

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