TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

恒例行事

2021年03月27日 | インポート
春の異動の季節がやってきた。
内示は午後の3時頃。すでに打診をうけている職員も含め、正式に4月からの持ち場が決まるのである。
わたしはもう少し近い職場を希望していたのだが、希望先は、マイナンバー制度のシステムを利用した税金業務を行っているときく。最近では、なにもかもパソコンで行われるようになり、いつのまにか、新しいソフト(最近ではアプリという)を使った方法に強制的に移行され、全く経験が生かされない。むしろこうしたツールに違和感のない平成生れの新人さんのほうがが習得するのも早く、作業のスピードも速い。新しいパソコンの前でオタオタするたびに”老兵は去れ!”と言われているような気がする今日このごろであった。
そんなときにまた新たな職場に異動して、新たなシステムの前でオタオタして、慣れたころには定年(あと2,3年ほど)となるのは、自他ともに辛いだけかもしれない………などと思ってもいた。
が、ふたをあければ心配に及ばず。
今年度の人事異動は、コロナ対策優先という、どんな関係があるのかよくわからない事情で最小限に抑えられ、わたしにだけでなく、同じ課の職員(まあ彼らはまだ2年目だし)にも異動のお呼びがかからなかった。
それがわかったとたん、(気のせいかどうか)、周囲にシーンと沈んだ空気が流れる。
まわりはきっと、わたしが残留なのでがっかりしたのだろうな、残業もでき、機動力のある若き職員に来てほしかっただろうなと思うといたたまれない気がしたが、こればかりは人事の仕業なのでしかたない。わたしはわたしで、あの人、この人、どっちかでも異動してくれたら救われたのに、などと心底がっかりしたのでお互い様かもしれない。

来週の31日には、退職する職員2名への花束贈呈が行われる。ずっと昔には、タクシーでお見送りという豪勢な時代もあった。あるいは、みなさんで”ロンドン橋”のようなトンネルを作り、その下をくぐっていただくという、誰が考えたのかわからない送別の方法もあった。しかし今年はすべてコロナ禍のもと、花束と色紙の贈呈、ご本人からの挨拶だけだろう。(もちろん歓送迎会はない。保健所で会食クラスターって、しゃれにもならない)。

わたしが30代のころ、定年を翌年ぐらいに控えた職員が、
「みなさん、定年なんてあっというまですよ。自分にはまだまだ先の、関係のないことだと思っていらっしゃるかもしらないけど」とつぶやいていたのを思い出す。
また、同じ年ごろの職員が、かたくなに自分の流儀を守り通し、しょっちゅう課長とやりあっていたこともあった。組織に都合よい理屈だけが正しいわけではなく、自分なりにむだや理不尽に気付き始めると、素直に上司に、”はい”とうなずきたくなくなってくるという気持ちも、彼らとほぼ同じ年齢に達した今、想像できるようになった。周りの期待通りに動かなかったのは、わざとではなく、動きたくてもからだと頭が動かなかったのではないかと思う。
融通がきかなく、突発的な出来事には対処できないが、アルコール綿で机や電話を拭いたり、弁当を注文したりという、ルーティン化された当番に関しては、人一倍忠実なのも、今のわたしと同じ、身をもって共感できるのである。


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運転免許証の更新ー写真の悲哀ー

2021年03月13日 | インポート
運転免許証の更新手続きのために、警察署に出向く。

視力検査に備えてメガネも新調した。
ご案内のはがきには、6カ月以内に撮影した顔写真が必要と書いてある。が、手元には、5年前の更新の時に使った顔写真が1枚あるきり。街中のスピード写真ではなく、店構えをした写真屋さんにお願いしたせいか、そこそこ、こぎれいに撮れている。
そこで、横着で都合のいい考えが湧き上がる。
『5年前も今もたいして人相が変わっていないのではないか、ペーパードライバーなのだから身分証明書としてしか使わないのだし、第一、もったいないじゃないの。マイナンバーカードの写真なんて10年有効と聞くし等々……』。
そこで、くだんの写真を持参することにした。
受付に申請書と、現在の運転免許証と、例の写真をさりげなく窓口に出す。
係員が、運転免許証と写真を交互に、まじまじと、穴のあくように見ている。
「これ、前回のと同じですよね」
万事休す。さすが警察官。よーく見ていらっしゃる。
考えてみれば、現在の運転免許証が手元にあるのだから、ちょっと見比べれば誰にだって、同じ写真であることぐらい気づくわね。
「家にあったものをもってきました」とわたし。(ウソじゃないわよ)
「6カ月以内に撮ったものじゃないといけないんですよ」と係員。
「あ、そうなんですか」とまるで今知ったかのようにしゃあしゃあと言ってひきさがり、顔写真の撮り直しをするべく外に出る。

マスクの影響で普段はすっぴんなのだが、さすがに顔写真となると、むだとはわかっていても多少の小細工は必須である。いつのまにか増えたシミに最近、ぎょっとしたばかりである。少しでも隠したい。鞄の中には、こんなことになるかもしれないと、口紅とファンデーション、コンシーラーも抜かりなく完備。そこで、警察署の駐車場で、せっせせっせと塗りたくり作業にいそしむ。あのおばさん、なにやってんだろうというひと目も、もはや、はばかっている余裕もない。
そして近所の交通安全協会に出向いて顔写真を撮っていただく。
シミ隠し重視のあまり、こてこてに厚塗りしたせいか、顔全体が白い。しかし撮り直しをお願いするほどの勇気はない。なんたって写真は正直。何度撮ったって同じようなものだろう。(第一、3枚1,000円もするんだから)。
動揺を隠しつつ、再び警察署に引き返し、手続きを終え、優良者講習会(運転履歴がないので毎回、優良なのである。エヘン!)を受講して無事に終了。
ドッと疲れたのは、写真のせいばかりではないらしい。警察のかたと話す時って、力いっぱい、はきはきとお行儀がよくなってしまうのだ。

かくして手元には、今回ボツになった5年前の1枚と、本日撮った残りの2枚が残った。
5年前とたいして人相に変わり映えがしないと思っていたが、ところがどっこい、そうとう写真写りが違うのは、厚塗りのせいばかりではないのは明らか。5年の歳月は重く、残酷である。今日撮ったのだって、月日とともに、どんどん人相も変わり果て、使いみちがなくなっていくのだろう。

ニュース番組などで、罪を犯した人の顔写真が公表されることがあるが、中には、大昔に撮った学ラン姿の写真が使われていることがある。
そんなときは、直近6カ月に撮ったものなどとこだわる必要もないらしいから、もしも万が一そんな機会があったとしたら、これらのうち1枚(もちろん5年前のほう)を使ってもらうことにしよう。
そういう目で見たら、今日撮ったのって、いかにも悪さする人の顔つきと見えなくもない。


コメント (2)
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