TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

妬まれたい煩悩

2010年11月21日 | インポート
 職場の親睦会を先日、退会した。

 異動に伴って、自動的に入会が継続されるので、わざわざ申請しないと、
ずっと入会したままということになる。
 
この会、どこの職場にでもある類のもので、歓送迎会や、忘年会、
年末年始の食事会(と言っても仕出し弁当が配られるというものだが)などが行われる。
 現在の職場では、これに加えて、職員文化展や花火大会などもある。
任意の入会とはいえ、正職員のほぼ全員が入会している。

 年始の弁当以外、ほとんどの行事に参加しないわたしとしては、
段々と負担感ばかりが増してきたのである。
月々の会費だけでなく、年度初めに行われる幹事の改選。
 忙しいのは皆同じ、そこをやりくりして持ち回りで幹事職を引き受けるのだが、どうにも荷が重い。
断るのも気がひける。
日頃から、職場とのおつきあいは、時間内だけで勘弁してほしいなあ、というような思いがあるので、
各種行事への参加も見送ってきたのである。
 若い時は、やみくもに右に倣えをし、どうしても倣えない自分について、
それなりに悩んだりもしたが、別にどう思われてもいいのではないか?という開き直りもある。

 勇気がいったが、思い切って退会を幹事氏に申し出ると、
「いいのよ、任意だし。以前にも、入会していなかった人いるし」
と案外あっさりと手続きを取ってくれた。

 どこかのグループに属していると何となく安心である。
増してや、ほとんど全員が入会しているとあれば、抜けるのは不安である。
 本当は抜けたくとも、なんとなく入会していると言う人は多いのではないか?

 そこを敢えて退会して見せることで、そういう人たちに退会の勇気を与えたい……
な~んていう殊勝な意図は全くなく、
 むしろ、「えええっ、ずる~い。わたしたちだって、好きで入っているわけでもないのに」と、顰蹙をかってみたい。
はっきり言って、妬みをかいたい、うらやましがられたいという気持ちがあることも確かである。
ずいぶんと鼻持ちならない心境である。

 実際は、変わった人ね~と思われる程度のものなんだろうが、
そんなところが自意識過剰なのだろう。
 ひとりだけ違うことをすることで、わたしはここにいますよ!と自己顕示したいのかもしれない。

 さて、先日、息子の入居している学生マンションの管理者から、来年度の更新手続きのお知らせがきた。
念のため、息子に確認のメールをいれる。
すると、「3年になったら引っ越すかもしれない」などという呑気なメールが、返ってきた。
「は??何だって」
初耳である。
確かに、自分の呼吸で酸欠状態になりそうなあの狭い部屋に4年間というのは、
かなり大変だとは思うが、都心に住むんだからそのくらい耐えてよね、というこっち側の都合もある。
しかし、こうと言ったらテコでも動かない、頑なに意思を通す彼のこと。
一度引っ越すと決めたら、何がなんでも引っ越すだろう。
 それに伴うドタバタ。ひと騒動起こりそうな予感……。
20歳は過ぎていても、学生の身分。自分で好きにやってね~(^.^)/~~~と、丸投げできない微妙な立場。

 親睦会と、息子の引っ越しは全く関係がない。
しかし、面倒なできごとは、好むと好まざるとに関わらず、こんな風に、向こうからいきなりやってくる。
それならば、避けられること、やらなくてもいいことは、できるだけ取り除いておきたい。
 妬まれたいだの自己顕示欲だのと、随分と威勢のいいことを言ったもんだが、
なけなしの体力、知力、経済力は、ここぞと言う時のために、温存しておきたいという、
縮こまった思いがあることも事実なのである。


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気になる知らせ

2010年11月11日 | インポート
 向田邦子さんのエッセイに、父親の葬儀の次の日だったか、
いつも通りに新聞が届いて驚いたと書かれていた。
亡くなった方が、名の知れた方ならいざ知らず、
世の中の動きに影響があるわけでもないのは、頭では承知している。
 それでも家族の不幸は、一家にとっては一大事である。
そんな時に、世間では、いつもと変わらない時間が流れていることの不思議さを描いていた。

 父方の祖母は、生前、朝刊が届くと、まずは3面記事の訃報欄に目を通すと言っていた。
誰がどんな病気で、何歳で亡くなったのか、
当時70歳を超えていた彼女にとって、ひとことではなかったのだろう。
 祖母は夫を60代で亡くしていた。
比較的若くして亡くなった著名人を見つけることで、わずかに慰められることもあったのかもしれない。

 人の生き死にに関しては、普段、わたしたちは、なるべく見ないよう、
深く思い詰めないよう、意識の外へ追いやって生きている。
 押し込めて生きている分だけ、その思いは、何かの機会に、ふいと行動となって現れる。

 職場には、ひとり一台ノートパソコンがあてがわれている。

そこにネットワークシステムがはられていて、全庁的な情報を閲覧することができる。
停電の予告や、研修、健康診断のお知らせ、または、
どこそこのファックスがただいま故障中ですといった、リアルタイムなことなどが、時間を追って更新される。

 その中に、職員の訃報情報というのがある。
画面下の方、目立たない場所である
 大抵は、高齢を迎えたご家族の御不幸である。

 わたしは、これを毎朝チェックするのが習慣になっている。
ずいぶん暗い習慣だが、1日1回見ないと、なんとなく落ち着かない。
 かつての同僚の名前があったなら、弔意のひとつでも、
というような律儀な気持を持っているというわけでもない。
事務所のどこそこから、
「まだ若いのに」などという会話が聞こえてくるので、クリックしてみると、
職員御本人の、葬儀の知らせだったりする。

 おおっぴらに話題にするような情報ではないにせよ、大なり小なり、気にして目を通している人は多いのではないか。
 70歳を過ぎ、毎朝新聞に目を通していた祖母は祖母なりに、
高齢の両親を抱えた人はその人なりに、
安堵したり、覚悟を持ったり、心構えをしたりと、それぞれの事情にあった使い方をしているのかもしれない。


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年女は思う

2010年11月05日 | インポート
 年賀状を買う。
最近は、郵便局の臨時出張所ができて、駅構内でも買えるようになったのは便利である。

 来年は年女である。
店頭で見かけた雪うさぎのスタンプを記念にと手に取ってみたものの、
次に使うのは12年後だなあ、と思ったら、何だか心もとないような気分になったので、戻す。

 さて、ひと回り前の年女はもちろん、ふた回り前の年女の時期も、わたしにもそれなりに、あった。

20代の頃は、根気も体力もあって、よかったなどと、むやみにうらやましがってしまいがちだが、
果たしてその当時、華やかなりし日々をを送っていたかというと、そういうわけでは決してない。

 24歳の頃、わたしは焦っていた。

 今や死語となったが、クリスマスケーキなどいう言葉が出回っていた。
女性を値踏みするような言葉である。
24歳までに片付かないと、一気に女性としての価値が下がってしまうような言われ方に、
煽られていたのだ。

 学校を出たら、2,3年働いて(これを腰かけと呼ぶ)、そしてウエディングベル。
もちろん違うコースを歩む人もたくさんいたに違いないが、そうした選択肢は、
一部の才能ある人に与えられた特権のように思われた。
 この唯一と思われるコースからはずれたり、出遅れたりすることに、恐怖していたのだ。
腰かけにふさわしい、「お茶くみ、コピー取り」などという言葉も、ご丁寧なことにあった。

 その頃の、OL生活の目標は、寿退職であった。

 タイムリミットは、職場で、「女の子」と呼ばれることに違和感を覚えるようになる前まで。
廊下に並んだ同期たちの愛想笑いの中、花束を受け取り、ほほえましく退職するという構図。
両脇に居並ぶ同世代が、ひとり欠け、ふたり欠け、果てはだ~れもいなくなってしまうその前に、
是非とも、実行させなくてはならないと、強迫的でさえあった。
 そのためだけに、日々、同期との関係を大切に、ランチを供にしてきたとも言える。

 こうして、時代は流れ、時は過ぎた。

 役所だからかもしれないが、今や、結婚したからと言って、退職する人は見かけない。
その一方では、どうやら休職しているらしいという噂を風の便りに聞き、
そのうち職員録から忽然と姿を消すということも多い。粘れるだけ粘り、
もらえるものは、もらえるだけもらって、やっと退職という新たなコースも、珍しくなくなった。
 長い間働き続けていると、それはそれで、いろんな意味で疲弊してくるものらしい。

 それはともかく、この業界に就職し、何が驚いたと言って、
上司自らが、コピーをとっているのを見かけた時である。
そうした仕事は、(少なくともわたしのいた会社では)、女性の仕事だったのである。

 クリスマスケーキなどと脅し文句のように言われ、年齢制限付きで、
ひとつの選択肢を付きつけられることは、さすがになくなった。
 生き方の多様性も認められ、選択肢も増えたように見える。

 しかし、一見、可能性が増したようでも、実際のところ、
自分に合った行き方は、それほど増えたわけではないのではないか。
 それなのに、無限に開かれているような幻想ばかりが増えるので、
いくつになっても、心中穏やかではいられない。

 右へ行くべきか、左へ行くべきか。
「隣の芝生は青い」などというのがあったが、今や、比較対象は、お隣さんどころではなくなった。
こっちを選んでみたものの、どうやらあっちの料理の方が、おいしそう。
 ああ、あんな生き方もあったんだ、ちょっと頑張れば、わたしにだってできるかもしれない……。
あれも、これもと、人の欲求は果てしない。

 背負い投げばかりしている人生に飽き足らず、「先生」になった方もいる。
オリンピックでも金、ママでも金、金を追求し過ぎて、とうとうお金の疑惑にからむ某政治家の、
イメージ払拭キャラクターとして利用されるようになったというのもまた、人生の醍醐味、
畳の上だけでは味わえなかった展開である。

 「先生」といえば、48歳にして初出産に挑む方も登場した。
同じ立場の人に勇気を与えたというポジティブな意見から、
経済的に余裕があるからできるのよね、という冷めたまなざしまで、さまざまなようである。

「なんだかんだ言っても、結局、自分のお腹を痛めるということにこだわってるよね」
などと、わたしのようにひねくれた見方をする人もいる。
 個人の生き方なのだから、他人がとやかく言える筋合いのことではないのだが、
必ずしも血のつながりだけが大事ではないとか、
子供は地域みんなの宝物などという政治で使われるようなキャッチフレーズが、
案の定建前だったような気がして、鼻白むのである。
 出産ということさえも、自己実現のひとつ、多くのものを手に入れたように見える人でさえ、
というか、だからこそ、可能性があるのならば、あきらめきれないというところかもしれない。

 明治から昭和にかけて、随筆や日記で、食事について書いている作家は多い。

 使われる食材は、そら豆だの、豆腐だの、茄子だの、特別なものではなく、そこらへんにあるものである。
描写する力にもよるのだろうが、それらが一様においしそうである。
 ああ、食べてみたい、真似してみたい、そんな気持ちにさせられることもある。

 彼らの生きた時代、太ったタレントが、高価な料理を美味しそうにがっつくのを
テレビ画面越しに見せつけられることもなく、
ネットでどんなに遠くのものでも自由にお取り寄せができるわけでもない。
 到来物というのは、普段口にできないものを食べられる特別な機会であった。

 手に入る食材も、情報も限られている分、目移りすることもなく、惑わされることもなく、
目の前にある食材をいかに工夫して美味しく食べるか、
それだけを考えていられたというのは、幸せである。


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