TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

煙たい人びと

2018年05月31日 | インポート
 湘南地区にある職場にいたときの話である。

2年目にはいり、隣の席に配属されたのは、再任用職員のナカガワさんである。
再任用というのは、定年退職のあとも、役所に留まり続ける人のことである。
 彼のヘビースモーカーぶりは、来た当初から際立っていた。
少なく見積もっても、15分に一度は、外のガレージに一服しに出て行く。
ヘビースモーカーと横文字で呼べば聞こえがいいが、要するにニコチン依存症である。
昔から大酒飲みや酒豪と呼ばれる人は存在した。”飲ん兵衛”などと言うと愛嬌さえ感じられる。
タバコを吸う姿がキマッテいると、もてはやされることもある。
しかし、ひとたび○○依存症などという名称を与えられると、治療が必要な、ただの患者といった趣になる。
 出勤早々に一服、来客が立て込んだといっては一服、パソコン操作につまづいては一服、食前食後に一服ずつ、おやつに一服、帰り際にとどめの一服……。
嵐の日も、最高気温35度を超える日も厭わない。
そんなふうだから、彼の半径1メートル以内はいつもタバコくさい。
からだに染み付いているのだ。

神奈川県では、受動喫煙防止条例なるものが施行された。
 煙を嫌って顔を背ける白鳥と、プカリとやってはばからない象のイメージキャラクターが登場。
名づけてスワン象。どなたの発想か知らないが、和洋を掛け合わせ奇をてらったのだろうか。
さらに、男らしさの代表格のようなタレントを使って卒煙塾まで開講された。
それなのに県の機関にいる職員がこれだ。
しかもそこは保健所であった。

 30年近く前、民間の会社に勤めていたときのことである。
当時は、分煙などという言葉もなく、皆さん、自分の事務机でスパスパやっていた。
わたしは隣の席の男性がタバコを吸い始めると、あからさまに団扇でパタパタ扇いだ。
初対面のうちは遠慮があるが、だんだんと打ち解け彼に馴染んでいったからであろうか。
否、そうではなかった。むしろその逆である。
始めの頃は、一生懸命愛想よく応対し、相手との関係性を良好に保とうと必死である。だが、そのうち、どうしたって取り繕いきれなくなる。
 一日中顔を合わせていれば、段々あらが見え始め、化けの皮もはがれてくる。
演技が続かなくなるのだ。
利害関係のある職場ならなおのこと、そのうち、関係がぎくしゃくしてくる。
 そうなると、もう一巻の終わり、あとは坂道を転がり落ちるのみ。
敗者復活などありえない。
好印象を保ち続けられないと悟るや否や、いきなりこのような無礼な態度に出て、さらに関係を悪化させようと試みる。
それゆえ、タバコはほんのきっかけに過ぎず、彼が吸おうが吸うまいが、わたしが扇ごうが扇ぐまいが、険悪な雰囲気になるのは時間の問題であった。

 父はわたしが物心ついたときにはすでにヘビースモーカーだった。
60歳半ばに、腸に穴があくという大病をして以来、きっぱりとやめた。
タバコのせいでなった病気ではないが、周囲への影響よりも自分の健康に関わりがあるとなると、あっさりとやめられるものらしかった。
 子供の頃、玄関のドアをあけると、父がいるのがすぐにわかった。
タバコのにおいは、父の在宅を象徴するものだった。
当時、家の中の雰囲気を明るくするのも暗くするのも、わたしの振る舞いひとつにかかっていた。
ひとりっこであったからなおさらのこと。一挙手一投足が、母の機嫌に影響しているように感じられた。
 そんな時、父という人間がひとり加わるだけで、母子2人きりの閉塞感に風穴があく。
険悪な雰囲気も、父という第3者を前に紛れるように思われた。
 家には、その家特有のにおいがある。
ドアをあけると漂ってくるタバコのにおい。
子供の頃のわたしにとって、タバコのにおいは日曜日のにおい。
その日は、母との争いも休みになり緊張感から開放されるのだった。

 さて、くだんの隣人ナカガワ氏との関係はその後、どうなっただろうか。
20代の頃のあからさまな態度も、若気の至り、過去のものとなっただろうかと思いきや、さにあらず。
やっぱり扇いでいるのである。しかも、わたしの席と彼の席の車間距離ならぬ、”椅子間距離”を、これみよがしに目いっぱいあけて。そんな座り方をすると、足が机の脚に当たり、座りづらいことこの上ないのだが、迷惑なのだという思いをたっぷりアピールすることのほうが優先される。
そのためには、多少の不便はいとわない。
外でぷかぷかやっている間、仕事はほっぽり出しているということだ。
1回あたりの時間は短くとも、すべて足し揚げれば何時間になるだろう。
そんな時間、外をほっつき歩いていたら咎められるのに、煙草ならなぜ黙認されるのか。
有害物質を周囲にふりまくというおまけまでついているのに……。
「仕事もしないでおうちゃくするのだけは一人前なんだから。さすがもと管理職」などと、
嫌みと正論がこもっているだけにわたしの態度もあからさまで容赦のないものになるのだった。
 しかし、敵もさるもの。ひと回りも年下のおばちゃんにそんな扱いを受けても、ニコチンの誘いには、とうていかなわないらしい。それはがまた、わたしの逆鱗にふれた。
かくしてこの無益な争いは翌年の3月、彼が退職するまで虚しく続いたのである。

 かくも、タバコを吸っている人に対する態度や印象は、そのときどきの状況と、こちらの心境に大きく左右されるものらしい。
 映画俳優が、オープンカフェで長い足を組み一服している姿などは大変絵になるものだ。
彼との間になんの関係性も、それに伴う個人的な感情も、利害の対立といったものもないからだろう。
なんといっても、スクリーンからは何のにおいも漂ってこない。

 かつて、カウンセリングを受けていた時期、セラピストは愛煙家であった。
スパー、スパー、と若干、上向き加減に煙を吐き出しつつ、
「それで?」
「ほお、それから?」
と、言葉を接ぐ彼が、なぜか高利貸しのように思え、大きな机の前に緊張して座っているわたしは、お金を借りに来ているような縮こまった気分になった。
 都合の悪いことは忘却の彼方へ―。
その時、診察室の話題がなんだったかすっかり忘れてしまったが、わたしの中に何かやましい気持ち、卑屈さが渦巻いていたのに違いない。


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そんなの変じゃん

2018年05月26日 | インポート
 10年ほど前に勤務していた事務所にこの春、再び異動になった。
ちょっと紙屑がたまるとすぐに動かなくなるキャパの乏しいシュレッダーは当時のまま。
アコーディオンカーテンだけで仕切られた洋式便所には、ごく最近鍵がつけられたそうで、
和式便所の床は昔ながらのタイルのまま。
来る日も来る日もおにぎりとトン汁を注文していた弁当屋は別の業者に取って代わっていて、
日替わり弁当は450円と安いのだがひと月ほどで飽きた。
同じような出来合い惣菜を詰めていた自称”手作り弁当”には飽きなかったのに不思議だ。

 そのお弁当だが、注文をとりまとめ、業者へ電話するのは各課持ち回りになっている。
それはいいのだが、担当課の職員が、弁当を注文した人に配って回るのが11時50分頃。
気分はともかく、まだ仕事中だ。机の上には書類がとっちらかっている。
そんなところへ、弁当掲げた職員に脇に立たれると、まるで「早く片付けろよ」とせかされているよう。
お忙しいところ配っていただいて……という気持ちがあるので、
こちらも、「あ。すいません」などと言って弁当を置く場所を手早く作るのだが、
あまりありがたくない気分だ。
自分の机に書類を広げているだけなのに、お詫びしなければいけないこの雰囲気ってなあに?
まだお昼前。デーンと目の前に鎮座した弁当容器ははっきり言って邪魔である。
 うっかり席なんかはずしていたりすると、その隙に(隙を狙ったわけではないのだけど)そこらの書類を勝手に押しのけて弁当容器が置かれていて、そうなるとありがたいというよりも、かちんときてしまう。
 わざわざ配っていただいているのだからと、そのもやもやとした気持ちは、そのたびに飲み込むことになる。
別の階からはるばる運んでくれるのだったら、確かにありがたいと思うだろうが、
たかだか職員数20人ほどの小さな職場である。
お弁当は一箇所にまとめておいて、お昼の鐘が鳴ったら自分で取りに行けばいいじゃん。
 それともなあに?注文したものとは別のものを持って行ってしまう人がいるとか?
どうか2,3時間前に自分で頼んだものぐらい覚えておいて欲しい。
配るほうだって、ホント、容器ぶちまけたい気分になるほど忙しいときだってあるのです。

 先日、職場で面接があった。職員の健康状態や家庭の事情、その他、
勤務上配慮して欲しいことなどの聞き取りのためのものである。
今回は、「職員の働き方に対する意識は実感として変わったと思うか」という質問がそれに加わった。
ワークライフバランスが浸透しているかどうかの調査のようだ。
見た感じ、30年ぐらい前と全然変わっていないように思う。
5時15分の終業の鐘とともに帰るのがはばかられる雰囲気は相変わらず。
もし帰るなら、聞かれもしないのに、医者に行くからなどとあらかじめ言い訳しておいたり、(どういうわけか、歯医者という理由は多い。まあ実際そうなのかもしれないけど)、早く帰るようにと上司に言われたからとか、
人のせいにしたりして、こそこそ帰る感じ。
 理由や用事がなければ定時に帰っちゃいけないのだろうか。
同じことは有給休暇にも言える。
「明日お休みしますのでよろしくお願いします」と同僚に挨拶するのは、礼儀としてもちろん必要。
でも、いちいち理由まで申告する必要はないと思う。(ま、旅行に行くのでなどと、自慢したい場合は別だが。)
 定時の帰宅と同じで、理由がなければ、休んじゃいけないわけ?

帰る理由は、5時15分だから。
休む理由は、休みたいから。
それじゃいけないんだろうか。

 60歳の定年後に再び雇用される再任用の職員の方たちは、”鐘とともに去りぬ型”が非常に多い。
彼らは退職金も一度いただいており、この先昇給もなく、つまり評価の対象外。
現役時代の縛りやしがらみがはずれたとたん、あまりにも露骨だが、これが率直な態度という気もするのである。


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縮緬(ちりめん)じわ

2018年05月21日 | インポート
母が電車で席を譲られて嘆いた。
帽子を目深にかぶりマスクで顔を覆っても、おばあさんであることがばれてしまうのだと。
確かに彼女は、足が痛いと言いつつ、背中もしゃんと伸びているし、声に張りもある。
80歳には見えないかもしれない。
 しかし先日、わたしの家を訪れた母の顔になにげなく目をやると、縮緬(ちりめん)じわが顔いっぱいに刻まれているではないか。
これには驚いたね。え!いつのまに。
(もちろん指摘はしなかったが)。
年齢を考えればあってしかるべきなのだが、見た目はやはり人並みに老いてきていたのだった。
日ごろから矢継ぎ早に話すので、その勢いにごまかされていたのか。
それともわたしが彼女の老いを見ようとしてこなかっただけなのか。

 83歳の父のほうはというと、こちらはますます耳が遠くなり、足元もよちよちとおぼつかない。
布団の上で脱水症状を起こしてころがったまま、そのたびに水分補給だなんだと大騒ぎになる。
どこから見ても後期高齢者である。
青信号の間に横断歩道を渡り切ることができるか、見ていてハラハラする。
そのくせ歩道のまんなかを堂々と歩いて歩行者の邪魔になっている。
通りすがりの人に、「杖をついたら楽ですよ」とアドバイスされたそうだが、まだまだ2本足でいけると思うのか、
それとも杖がいかにも年寄りくさくて嫌なのか、いっこうに聞く耳を持たない。
父方の祖母は脳梗塞で倒れたとき、人目をはばかってリハビリをこばんだということだが、同じ血の
流れを感じるのである。



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おかえりなさい

2018年05月12日 | インポート
 高校時代からの友人と近くのコーヒーショップで会う。
炭火アイスコーヒーとトーストのおいしい店である。
 実家に住んでいる時にはよくひとりで訪れていたのだが、
湘南地方に異動して転居したことで、すっかりご無沙汰していた。
今回また舞い戻ってきたので、ほぼ5年ぶりである。
席に着くや否や、「もしかして前によく来られていませんでしたか?」
と女性スタッフに話しかけられた。以前からいらした方である。
仕事柄、お客の顔はよく覚えているとみえる。
 転勤して引っ越したことで、しばらくこの街を離れていたことを話すと、
「おかえりなさい」と笑顔でひとこと。
たったそれだけなのだが、なんだかうれしい。
そうだ。帰ってきたのよね、わたし。と今さらながら実感がわく。
 異動が決まってから引っ越しまで、するべきことのラッシュで、頭が飽和状態。
戻ってきたことをしみじみと実感することができないでいたらしい。

 湘南地方でもそれなりにシングルライフを味わっていたつもりだが、
そこの学校に通ったり、子育てをしたりということを通した地域との結びつきが
ほとんどなく、5年間住んでも、気分はずっと「お客さん」だった。
 40年以上も過ごした街というのは、学校時代の友人の存在ひとつとっても、
自分自身の歴史を映し出してくれるという意味で大きい。

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再び引っ越し

2018年05月06日 | インポート
 ずいぶんと長い間のほったらかしブログ。
書き始めるとはずみがついて続くのだが、ほったらかしが続くと何年もそのまま。
大きなできごとがあると、いっときまた重い腰があがる。
 例えば、10年連用日記のように、5,6行ほど書くことにすれば続くかな?
気取って構えるから書けない。

 さて4月1日づけで異動した。5年振りである。
実家の両親も高齢になり、近くに住んだほうがお互い都合がいいのではと考え
申請した結果、湘南地方から、再び三浦半島への異動になったのである。

 3月末に内示があってからがまあ大変。
 ネットで見つけた空き家情報をひっさげて不動産屋さんへ駆けつけてみれば、
すでにお入学の決まった大学生によって、部屋は埋まり、妥協して部屋が決まると、
お次は引っ越し業者の見積もり合わせ。急いでいると足元見られたのか、
値段を吊り上げられ、ムッとするまもなく、荷物の整理と大家さんへの連絡。
ガス、水道などのライフラインの手続き、職場や金融機関、郵便局への住所変更。
2度目の引っ越しで、するべきことがわかっているとだけに、頭の中に次から次へと
手続きが押し寄せる。
 こんなふうになると、かえって考えがまとまらなくなるのね。

 あれからひと月。
なんとか連休にこぎつけた。
仕事の流れも覚え落ち着いた今、ぽっかりとあいた時間にとまどっている。

次回の更新は次の引っ越しか否か。


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