TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

ヤマシタさんの志

2012年04月16日 | インポート
 美容師のヤマシタさんが退職した。

 さては、より条件のいい店に引っこ抜かれたか?と思っていたら、さにあらず。
店長さんが説明してくれたところによると、介護の専門職を目指し、
資格のとれる学校に通うためなのだという。
 転職は転職でも、職種の大転身である。

「周りに相談したら全員反対したらしいけど、決意は固いみたいですよ」
と店長氏。
 失業保険を受けながら学校に通えば給付金が出るので、それにあわせて急遽、
3月いっぱいでの退職となったらしい。

 ヤマシタさんの母上は、ケアマネージャーをしているのだそうで、
そうした職場は、彼にとって、身近な世界だったのだろう。
 そういえば、彼の話には、同居しているおばあちゃんがよく登場した。
誕生日に、鉢植えを買って帰ってあげたこと、地震がくると仏壇の前に座る習性があるので、
あの震災の日、倒れた仏壇の前でぺちゃんこになっているかと思ったことなど。
 面白おかしく話すのだが、口ぶりに、おばあちゃん思いな人柄が伝わってきていた。
若い子(といっても30歳。まあ、わたしから見れば十分いまどきの若い子だが)
にしては、ずいぶんとおばあちゃんネタが多かった。

 低賃金、重労働と聞く福祉の世界。
人手不足のため、すぐに即戦力として就職先はあるだろうが、失業保険よりも、初任給のほうが安いのだそうだ。
「ど~も~。やっぱ、戻ってきちゃいましたあ~。とか言いながら、
半年後には、また美容師として復帰しているかもしれませんね」
などと店長さんと冗談めかして言ってみたものの、彼なら、適任かもしれない。
 いい意味で、かわいげのある、”お年寄りうけ”するタイプである。
外部からわざわざ美容師さんを呼ばなくても、入所者のヘアカットを
一手に引き受けることもできるだろうし。
美容師という客商売、人の話を聞くことにも慣れている。

 帰宅してから、母にその話をすると、
「あらあ、いいわねえ、そういう子がいてくれると、頼もしくて…」
と遠い目をしながら、心底うらやましげに言う。
そら、来た。
 以前、母の友人の娘が実家に戻って来たことを聞いた母、その娘さんは介護士だそうで、
その時も、しきりにうらやんでいた。
 どうせ出戻ってくるならば、福祉職に限るといった口ぶりであった。
 そもそも、外でそうした仕事をしている人間が、家の中でまで、福祉系の役割を負うだろうか?
まあ、専門知識を持っている人間が身近にいるというだけでも、心強いというのもわかるが。

 よわい74歳の母。
一方、昨年喜寿を迎え、日常生活に差し障りないものの、尿漏れパット付パンツをはいて
足元おぼつかない77歳の父。
 彼らの関心ごとの最たるものは、健康問題であることは容易に想像できる。

 お墓は買ったから、もう安心ね、などという話はわりと気軽に話題にのぼるが、
実はそこに至るまでが大変なのである。
ゴールは決まっていても、どういう道筋をたどるかわからないので、
親子の間でも(親子だからこそ)、話し合いづらいというのもある。
 あまりに生々しく、お互いに、自分の本音、相手の本性があからさまになるのが、怖いということもある。
 しかし、ひとこともこうした話題が出ないということ自体、お互い、意識しているということの表れでもある。

 日頃口にせずとも、両親の期待していることが、誰それさんの話題にかこつけた形で、
こんな時に、ちらりと垣間見える。

 娘としては、両親の老いを認めたくないものである……。
な~んて言うセリフは、ウソとは言わずとも、こういう場合、やはり「きれいごと」
に過ぎぬ。

 ヤマシタさんの志を高く評価しながらも、
敢えてそうした「圧力」に無頓着、気づかぬフリをしつつ、
「せ~っかく、美容師さんの仕事があるのにもったいないよねえええ」
「ああいう仕事は一億円もらっても、絶対、わたしには、ムリムリムリ。
自分の世話だけでも精一杯なのに」などと言い放ち、
思いつく限りの表現を使って、さりげなくけん制するのである。




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