TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

力関係

2020年04月20日 | インポート
朝、テレビをつけると、何週間ぶりに、コロナ以外のニュースから始まった。
東北地方で地震があったという。
「災害」はこれまでいつも目に見えて、肌で感じるものだった。
百聞は一見に如かず、というが、津波で家が流され、大きな揺れで橋げたが落下すれば、誰にでもその被害の大きさが理解できた。突風で屋根がはがれ、川が氾濫して家の半分が埋まれば、水害の恐ろしさを実感する。
昨日のように、風雨が吹き荒れ、気温も低いとあれば、頼まれなくても外出を自粛する。
どなたかが、「今は戦時下です」とおっしゃっていたが、空を見上げても、弾ひとつふってくるわけでなく、外へ外へと誘われるような穏やかな晴天が広がっているばかり。
とあれば、どこに向かってどう戦っていけばいいのか、身を伏せていいのかわからない。
無力感を実感するばかりだ。

テレビでは、相変わらず、なかなか検査をしてもらえないというニュースが流れている。
もちろんそういう場合も多いとは思うが、一方では、たいしが症状もないのに、ひとりの人に対して、一週間のうちに2回も検査がおこなわれたという話も身近に聞く。
鶴の一声ではないが、管内の病院から、「検体とったので、検査よろしく」と言われれば、保健所の職員は、“陰性であることの確認”とはうすうすわかっていても、検査の手配をするしかない。医師の判断は絶対なのだ。
モンスターペイシェントということばがある。
馴染みの患者が不安感にかられてかかりつけのクリニックに駆け込めば、その勢いと圧力に屈して、医師もついつい、検査に応じてしまうということだってあるかもしれない。一般に言われている症状がなく、無症状でも陽性だったというケースもまれではないので、一概に大丈夫だと断言することもできない。
そこにはそこで、力関係が働いているかもしれない。
この先、感染者がふえて、限られた人工呼吸器をふりわけなくてはならなくなった時、その優先順位は果たして、純粋に、「重症度」によるものになるだろうか。
考えたくはないが、なんらかの力が働いて左右されることがあったらコワイことである。


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排除でもなく……

2020年04月12日 | インポート
新型コロナ以外の話題と関心事を見出すのがむずかしくなっている日々。
スタバもドトールも休業した。
ハンバーガーのチェーン店は、照明をおとして、ひっそりと営業している。
飲食店は生き残りをかけて、「テイクアウトあります」の看板を店頭に掲げている。
開店していると、大丈夫なんじゃないか、ちょっとなら……と葛藤が生まれるが、閉まっているとあきらめもつく。
唯一、外出を許された日用品の買い物だけが気分転換になるらしく、スーパーはいつもの休日よりも、家族連れの客が多い。レジには、客と店員との間を仕切る厚手のビニールがぶらさがる。
前の人と間隔をあけて並ぶようにと、店内放送が流れ、足元には目安のテープが張られている。その存在を知ってか知らずか、テープを超えて接近してくる人がいると、「この線が目にはいらぬか」と言わんばかりについそちらを”ガン見”してしまう。(殺伐としてきたものです)
買い物ひとつ行くのにも、なにやら決死の出陣という様相を帯びてきた。

毎日発表される感染者数も、あまりあてにならない。
検査件数が増えた分、その数が増えているのだ。駐車場が拡張されればされるほど、車で埋まっていくのと同じ理屈だ。検査されずにいる膨大な数がその背後に控えている。

ほんのふた月前までは、このウイルスをもたらしたと思われるお隣の国の人たちに対する嫌悪や差別、彼らと接してしまったという不安の言葉が職場にも押し寄せた。
しかし今や、同じ日本人どうしで同じようなことが起きている。県を超えた行き来をなるべくとどめようという動きとあいまって、感染者数の多い地域に住む人に対する排除と偏見だ。
現に、同じ職場にも、国内で一番感染者数が多いとされる地域からはるばる通っている職員がいる。在宅勤務できる職種ではないので、しかたないのだ。それでも、ちらりと不安がよぎる。「緊急事態宣言」が出た自治体同士なのに、ちょっと感染者数が多いというだけで、だいじょうぶなのかな、と思ってしまう。
電話相談を請け負ってくれている看護師さんいわく、「もう排除するんじゃなくて、共存していこうとしないとだめですよね。コロナに限らないけど」とおっしゃった。
東日本大震災が起きたとき、わたしたちは「放射能」という外からやってくる汚染物質におびえ、排除しようとやっきになった。10年近くたった今でも、その余韻が消えたとは思えない。かの地で生産された農作物や海産物に対する偏見はあとをひいている。
しかし今回は、外にあるものではなく、極端にいえば、わたしたちそのものが汚染物質である。
排除ではなく、共存――。
看護師さんの発言は重い。

コメント (2)
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空気の入れ替え

2020年04月02日 | インポート
新年度のはじまりです。

祝宴の自粛により、歓送迎会は行われず、退職する職員、異動する職員の紹介だけが地味に執り行われた。
宴会の苦手なわたしであるが、ないならないで、なにやら拍子抜けである。
今年度は、小さな事務所なりに、ずいぶんと大規模な人事異動が行われ、どちらを向いても新しい面々ばかり。おまけにほとんどの職員がマスクをつけているので、顔の認識が覚束ない。
最近では、”顔半分が白い布で覆われた姿”というのが人相の一部とさえなっているのだ。

わたし自身は異動もなく、昨年と同じ職場で同じ仕事をすることになった。
知らない人ばかりのところへこちらが赴くのは心細いが、自分の位置は変わらずに、周りだけが一新されるというのは、頭上の雲が吹き払われ、空気がいれかわったようですがすがしい。
同じ職場にいることのメリットは、しなければいけないことが年間を通してわかっているので、あらかじめ準備しておけることだ。なにも今やらなくてもいいのではないかというようなことも、しておこうとするために、周りと齟齬が生まれるのだが、いつ何時何がおこるかわからない現在のような状況だと、余裕をもたせておきたいと、その傾向に拍車がかかるのである。




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