TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

朝ドラ

2024年05月24日 | エッセイ
午前8時から放送しているNHKの朝ドラ「寅に翼」と午後から放送の「ちゅらさん」を録画して見るのが習慣となった。
いずれも途中からのエントリーだが、見ていると、それなりに筋が追えるようになってきた。

「寅に翼」の主人公、伊藤沙莉さんは、テレビドラマ「女王の教室」で小学生役として出演していた。
雰囲気やハスキーな声質は当時と変わらないが、あの時の小学生がもうこんなに大きくなったのね、と思う。
石田ゆり子さんもしかり。
はかなげな雰囲気はそのままに、お母さん役として登場するようになったことを思えば、こちらも年を取るはずである。
描く時代が時代なら避けて通れないが、ドラマの最中に太平洋戦争がはいると、とたんに悲劇じみてくる。
ある日突然、召集令状をもって玄関先に立つ男性。
そのあとは、皆が家の前に並んで「ばんざーい」と叫ぶ。
そういう光景が実際にあちらこちらで見られたのだろう。
生きて帰ってくるか戦死するか。
ヒロインがひとり奮闘する展開にするためには、お気の毒だが、御主人には戦死してもらうしかない、というところだろうか。

戦中戦後の展開で、印象深かった朝ドラは、「ごちそうさん」である。
ヒロインの夫が、なぜか生きた豚を引き連れて戦争からもどってきた。
出征前の約束が、無事生還したらおいしい豚肉料理を食べようね、というようなものだったかもしれない。
展開が唐突で強引だったが、とりあえず生きて戻ってきたことにホッとしたことも確かだ。

朝ドラの最終回は、白髪交じりのカツラをかぶって一気に年をとった出演者が登場して、その不自然さにどぎまぎさせられることも多い。
このたびの最終回は(まだまだ先だが)「はて?」、どんな結末になるだろうか。
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いざ鎌倉へ

2024年05月17日 | エッセイ
鎌倉へ行く。
何か用事があったわけではないのだが、敢えていえば散歩。
仕事にも慣れて、暖かくなったらいずれ……と思っていたらもうすでに夏も間近。
いつでも行けると思っていると、なかなか腰があがらないのである。
外の景色をぼおっと見ながら(時々考え事をしつつ)乗り物に乗るのが好きである。

今日は40分ほどのバスの旅。
着いたら、駅前すぐ左側にあるコーヒショップでモーニングセットを注文。
薄焼きのトーストがとてもおいしい。
トーストはシンプルだが(シンプル過ぎて)、これはおいしい!と思う店が意外に少ないように思う。

平日とあってバスは空いていたが、鎌倉の町は修学旅行生や外国人の旅行者でぎっしり。
修学旅行生をターゲットにしたと思われる食べ歩き専用の露店がそこかしこに出店している。
中には、ひとつ600円以上のおまんじゅうまである(スーパーで買えば150円ぐらいで買えそうである)。
きっと学生たちは、旅行に来る前にあらかじめ、ガイドブックで念入りに下調べをして、この店の〇〇を食べ歩きして、そのあと、ここでお土産を買って、そして〇〇で昼食を食べよう……と計画をたててきたのだろう。
計画してきた店が相場よりもずいぶんお高くて、地元の人は見向きもしない代物であっても、彼らにとっては一生に一度、来るか来ないかの機会である。
鎌倉の小町通でこれを食べた、これを買った、というのがいい思い出になるのかもしれない。
昼間近くなって、日照りが厳しくなってきた。
ハスの葉でぎっしり埋まった池周辺には、鳩や鯉、亀などが、旅行者の投げてくれるエサ目当てに集まっている。
鯉にいたっては、「芸」をすればエサがもらえると学習したのか、思い切りジャンプしてみせている。

帰りに、大イチョウの前を通った。
暴風で倒れたのは東日本大震災の前年だったように記憶している。
無残な断面はそのまま残されていたがその横に、小ぶりのイチョウの木が青々と葉をつけて揺れている。
通りかかった団体旅行のガイドさんの声に耳を澄ますと、大イチョウの子供なのだとか。
倒れてもしっかり子供を残したようだ。

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倉庫整理

2024年05月10日 | エッセイ
近い将来、事務所が移転するということで、閉所に向けて少しずつ動き出している。
新しい事務所内の配置の打ち合わせや、市役所との調整、現在ある物品の整理などなど。
末端のわたしが受け持つのはもっぱら、不要物品や書物の廃棄である。
昭和や平成の時代に発行された資料や年報などが、誰にも顧みられないまま、ただ並べられて、書棚はほぼ満杯状態である。
昭和38年、40年発行などという年代ものもある。
横浜博覧会の実行委員会が作成した冊子はずっしりと持ち重りがする。
当時の写真や苦労話などが掲載されており、相当費用がかかったのだろうなあというような代物でもある。
平成、というとつい最近のような気がするが、元年はすでに30年以上も前である。

たまに、資料を職員に回覧した用紙がくっついたままになっていることがある。
そこには、わたしが20年前近く前、ここに常勤職員として在籍していた時の自分の押印とともに、当時同じ部署にいた面々の捺印もあって、懐かしい。
中には、この町の歴史を綴った個人寄贈の本などもあって、パラパラめくって読んでしまう。
家のアルバムなどの整理をしていると、ついその手を止めて見入ってしまい、なかなか作業が進まないことはよくあるが、全く同じである。
ひとり作業なので、なおのこと。椅子にゆっくりと腰かけて、ビニールひもを結ぶ作業の手を止めてしばし小休止。
「これはあとでゆっくり読もう」と、廃棄する束から除けておいたりする。
歴史的にずいぶんと価値があるのではないかというようなものもあり、それをこのようにむざむざ処分してしまうのは実にもったいない。
古本買い取り業者にきてもらったら高く売れるかもしれないのに、などと思いながら、誰もいない部屋の真ん中で作業にいそしんでいる。

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マスクの話題再び

2024年05月04日 | エッセイ
大型連休後半。
週3日勤務でもやはり休みはうれしい。
とはいえ、どこもかしこも込み合っているご様子。
近所に散歩に出てみると、ほとんどの人がマスク無しである。

職場でも、新年度からマスクが「任意」となった。
昨年度までは医療機関に準じるということで、マスクは必須アイテムだったのだ。
とはいえ、実際にマスクをはずしている職員は見かけない。
やはり皆さんが「一、二、の三」で足並み揃えてはずさないと、自分ひとりだけというのは、勇気がいるのだろう。
夏場になって暑くなればひとり、ふたりと増えていくだろうか。
わたしは今の職場にいる今年度はマスクをはずさないつもりである。
皆がはずすから敢えてはずさないのである。
ウイルスは消滅したわけではない。
なんだかキョーフ心と習慣が身についてしまった。
しゃれた型や色合いのマスクも増えた。
さらに、皺やシミ隠し、化粧の手抜きなど、マスクには感染症予防効果以外の役割もあるのだ。
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電話交換

2024年05月02日 | エッセイ
再就職してからひと月が経った。
むずかしい仕事はないが、簡単な仕事ほど体力を使うことがわかった。
コピーを取ったり、健康診断の希望項目を聞きに回ったり、福利厚生のパンフレットや郵便物を配ったりという、ひとつひとつの作業量はたいしたことではないものが、塵も積もればなんとやらで、1日の終わりにはちょっとした運動量になる。

電話交換のスタッフが休みの日には、その業務も受け持つのだが、わたしはこの電話交換業務が好きであることにも気づいた。
電話応対が好きなのではない。あくまでも「交換業務」。
電話は何を差し置いても優先される。
「〇〇さんお願いします」と受話器の向こうから声がする。
遠くのほうで同僚と話している〇〇さんが見える。
電話をつなぐ。すると〇〇さんは(当然のことながら)話をやめて電話に出てくれる。
その優先性がどういうわけか気に入っているのである。
加えて、重要(と思われる)な電話をつないで、相手の仕事を前に進めるために貢献したというプチ・達成感もこの業務のいいところである。
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