TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

デイサービス体験

2024年09月29日 | エッセイ
通所介護施設のデイサービスを両親が体験利用した。
10時から15時半までの1日コースである。
わたしが午後から見学に行くとちょうど自由時間だった。
利用者数35人以上の大所帯の割には静かな空気が漂っており、スタッフが忙しそうに動き回っている。
利用者さんはいくつものテーブルに分かれて湯呑を片手に座っている。
主任スタッフ氏が、両親のいるテーブルまでわざわざ案内してくれたが、なんとなく照れくさい。
父は新聞を広げ、母は色鉛筆片手にぬり絵をしている。
たくさんの高齢者の中の両親、という身慣れない光景が新鮮で面食らう。
週に1度の訪問看護もぬり絵が多い。ぬり絵は介護サービスの「定番」らしい。

昼食はすでに終わっていた。
ちなみにメニューは鶏きのこのあんかけ、ちくわのきんぴら、なます、わかめたっぷりの味噌汁で、偏食の父には予想通り食べられないものが多かったが、おかずを交換しあってふたりで完食したそうだ。

自由時間が終わると、午後の体操の時間である。
モニターの前にスタッフさんが椅子を並べ、皆さんを誘導している。
合間を縫ってくだんの主任さんが、ここのデイサービスの様子を説明してくれたり、風呂などの設備を案内して回ってくれる。
体操が始まった。
モニターに映る体操のお兄さんの動きを真似て、利用者さんが椅子に座ったまま手足を動かしている。
背後には、ひばりの『川の流れのように』が流れている。
曲の選定は妥当だ。
が、手を垂直に上げて回す動作のときには「窓拭いて、窓拭いて」、水平に動かすときは「テーブル拭いて、テーブル拭いて」という歌詞がついており、後ろで見ていて思わず笑った。
その可笑しみを是非誰かと共有したくて、回りを見回したが、誰も気にも留めていない。
スタッフや利用者さんにとっては毎日のことなので、特段珍しくもないのだろう。

体操のあとはリクレーション。麻雀、ゲーム、カラオケ、朗読……とそれぞれのグループに分かれる。
両親はゲームを選択。
内容は日替わりなのだそうで、その日は、寿司桶に散らばった洗濯ばさみやピンピン玉を割りばしでつまんで手元の容器(ペットボトルの再利用)に落とし込む。その数を、向かい合わせに座った利用者さんと競うというもの。
「なんだ、こんなことさせやがって!」と言葉には出さないが、父がそう思いつつ、それでも緑内障で目が悪いのでもたもたしてしまう我が身にじれながらやっている様子が伝わってくる。
母のほうは、ことさらチャッチャッと素早くつまんでみせて、負けまいと奮闘しているのがわかる。
スタッフに「早い、早い、練習など必要ないですねえ」と褒められている。
中にはすぐに眠ってしまうかたもいて、半ば無理やり揺り起こされているのを見ると、そんなに無理に参加させなくてもいいのに……、でも家族からは、なるべく日中は起こしておいて欲しいとお願いされているのかも、などとあれこれ思う。
高齢になっても、学校のごとく”みんなご一緒に”の集団行動はついてまわるのだと思い知る。
カラオケグループからは、淡谷のり子や橋幸夫、島倉千代子などの親世代の曲から、ジュリーやジュディオングなどわたしたち世代の曲まで、いずれも昭和の歌が聞こえてくる。
自らマイクを取って歌うかたあり、モニターの曲に合わせて口ずさむかたあり……。

最後はおやつである。
お茶とカスタードケーキが配られる。
部外者のわたしにまでお茶を出してくれたが、父が自分のケーキを強引にこちらに押しやるので、わたしが欲しがっているように思われるのではないかと、いたたまれない。
午後3時半。
お誕生日を迎えた利用者さんのために皆さんで「ハッピバースデイツーユー♪」を合唱し、連絡帳と荷物が各自に配られて、送迎車を待つ。
本日は体験ということもあり、帰りの車は利用せず、わたしと3人、タクシーで帰ることにした。
くだんの主任さんが父に手を添えて玄関まで見送りに出てくれ、車が出るときに手を振ってくださった。
チェックアウトの朝、旅館仕立ての送迎バスで駅に向かうときのようである。

そして翌朝。
ひと晩経つと、体調や感想も変化する。
父母曰く、「ずーっと座りっぱなしだったから、お尻が痛かった」。
彼らとも痩せ過ぎたために尾てい骨が飛び出して、長く座っていると骨が刺さるようなのだとか。
「もっと体を動かしたかったわ」
「お茶ばかり何度も出てきた」
人数が多過ぎて、なにかするのにも、順番が回ってくるまでの待ち時間が長過ぎたようだ。
確かに、なるべくからだを動かさずに済むように、いたれりつくせりの対応だったが、例えば自分で読んだ新聞ぐらいは、自分でもとに戻す、ぐらいの体を動かす機会があったほうがいいのに、とわたしも感じた。
しかし、利用者の体調レベルはさまざまだ。
むやみに動かして転倒でもしたら大変だ。
少ないスタッフで安全第一にとなれば、慎重にならざるをえないのだろう。
散歩重視、栄養のバランス重視、と当節提供するサービスも事業所ごとにいろいろだ。
ケアマネさんにお願いして半日コースを再体験させてもらうことにしたが、選択肢があることはありがたくもあり、悩ましくもあり、である。
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百閒さん

2024年09月26日 | エッセイ
内田百閒の日記帖を読み始めてずいぶん経つ。
毎日毎日実に詳しく、今日の天気や起きた時間、何をしたかどこへ誰と行ったか、何時に就寝したかを綴っている。
とりたてて代わり映えがしない日常だが、読んでいて飽きない。
百閒さん30代前半の頃の話だが、士官学校と機関学校の先生を委託されており、人並み以上の収入を得ていながら、妻や子供たち、祖母、母を養うのにそうとうお金の算段に苦労している様子が、伝わってくる。
あっちから借りたお金を返すために、こっちから借りようと奔走の毎日を過ごす日々。
写真を見ると、いかにも孤高を保った風貌だが、実際にはそうではない。
毎日連れ立って飲み歩く友達、お金を貸してくれる知人が何人かいる。
そして借りる相手も、自分と同じく貧乏だ。
同類ならば、こちらの気持ちがわかってくれるだろうということだろうか。
知り合いからだけは借金をしたくないと思うのが一般的だと思うのだが、そうも言っていられないのだろう。
そして、ひとまず手元にお金がはいるとホッとひと安心、まっすぐに家に帰ると思いきや、途中でレストランに寄って食事をとり、酒を飲んでしまう。
そこが百閒さんの百閒さんたる所以だ。
子供の頃裕福な家で過ごし、金銭的に困ったことがない人は、節約とは無縁、長じてもどこか楽観的で、好きなものを我慢するということは思いつかないのかもしれない。
悲惨な生活なのに、悲壮ではない。

日記の中では、〇〇の家や職場に行ってみたら留守だったという文面が多い。
スマホがあったら、こういうすれ違いも起こらず、時間も無駄にならなかったのにねえ、と百閒さんのために残念に思う。
遠い昔の(大正時代の)人なのに、彼と一緒にがっかりしたり、ホッとしたりしている自分に気がつく。
居なくなってしまった飼い猫を待ち続ける『ノラや』も、ずいぶんと感情移入して読んだことを思い出した。
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気のせい!?

2024年09月20日 | エッセイ
長年お世話になっている医師のグループカウンセリングに参加した。
7月の個人面接以来、2か月ぶりである。
気がかりなことがなにひとつ解決しないうちに、次の気がかりが発生する。

集まったのは10人ばかり。
それぞれ抱える問題や課題を順繰りに話す。
それらに対して先生がコメントをする。参加者は原則、言いっぱなし聞きっぱなしである。
つきあいが長いと自然、顔見知りができる。
そのために、顔ぶれによっては、話しづらいなあと感じることもある。
どういうわけかそう思っている相手とは偶然隣同士の席になることも多い。

今回のわたしのテーマは腰痛。
整形外科の集まりではないが、夏樹静子さんの『椅子がこわい』という本ひとつとってみても、腰の痛みは、心理的なこととは無縁ではないという説も多い。
自分でもおおいに心当たりがある。
「自転車や電車に乗っているときや、丸まって本を読んでいるとき、自分の家の椅子に座っているときは、痛くないんです」とわたし。
すると先生曰く「それはいいじゃないですか」と肯定的な場面を拾ってくれる。
続けて、「ネット上で、これが効く、あのストレッチが良いという情報はたくさんあるけど、皆さん、あくまでも、自分にとって良かったからアップしてるだけです。じっくり話を聞いてくれる治療者を探しあてると、その人の顔を見ただけで治ったりすることもあるんですよ。長く生きていれば、腰椎のひとつやふたつ、ずれていてあたりまえです」。
なるほど。
確かに、レントゲン所見はあるのは事実だが、腰椎がずれているすべての人が痛い症状に悩んでいるわけではない。
そういえば、かかりつけの整形外科医も、「ストレッチがいいというのは、気のせいですよ」と言っていた。
MRIもとってくれないのを不審に思っていたが、ずれ具合が大きくないからかもしれない。
そして痛みが出る場面の話になる。
「実家」とわたしが答えると、すかさず「お母さんの話を聞いていると痛くなるんだろ」と先生。
「そうそう、そうなんです」とわたしが答えると、周囲から笑いが起きる。
「尽きることのない話を聞いていると、(腰が)じくじくしてきます」。
別居している負い目もどこかにあり、実家に帰ったときには、今生の別れとばかりに、がっぷり四つに組んで、彼女の言葉をひとことも聞き漏らすまいと緊張して座っていたことを思い出した。

グループカウンセリングは約2時間半。
その間、硬い椅子に座っていたので、多少腰とお尻が痛んできた。
「これはやばいかも――」。
が、終わって外に出て歩き出すと、腰がウソのように軽くなっており、チクリともしない。
「え、うそ」と思わず声に出してしまう。
これって心理効果???
久しぶりにどこも痛くない腰と足の感覚を味わってスキップしたい気分になった。
が、一方では、これっていつまで続くのかな、と半信半疑。

電車で家の最寄り駅に着くと、まさかの土砂降りである。
雷鳴と稲光がすさまじい。
濡れるだけならいいが、こんな中、自転車に乗っていては雷に打たれそうだ。
小降りになるまで時間をつぶそうと、併設のスーパーで買い物をする。
豆腐2丁と大振りなリンゴ1個、野菜ジュース2本。
さらに実家に電話。
その間、段々と腰がじくじくとしてきた。
気を良くして油断したか。
元の木阿弥である。

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マイナカードの憂うつ

2024年09月17日 | エッセイ
医療機関や薬局の窓口で「マイナンバーカードはお持ちですか?」と聞かれることが多くなった。
マイナンバーカードを保険証として利用するための準備が着々と進んでいる。
職場からも、おススメの通知が届いた。
カード1枚あれば、情報が一元化されて便利になるのだそうだが、そのありがたみがよくわからない。
ネットで調べてみたら、あれも便利、これもできる、といいとこばかりが記載されているが、その裏で起こるであろう不具合や不便さについては不明だ。
誰にとっての便利さなのかがピンとこない。
保険証を出して診察を受けたり、薬を受け取ったりするのに、これまで全く不便を感じなかったのである。
ゆくゆくは運転免許証もこのカードと一体化するらしい。
転居による住所変更が警察署に行かなくても可能であること、更新手数料が「マイナ免許証」のほうがお安いということはわかったが(それは大事)、手間暇を考えたとき、これらがペーパードライバーにとってどのくらいのメリットあるものなのかが想像がつかない。

この夏、両親のもとへ届いた後期高齢者の医療保険証にも、マイナンバーカードのお知らせが同封されていた。
75歳を大きく超えた彼らに、こうした紙がペラッとはいっていたってなんの理解も得られない。
カードを持っていない場合の選択肢として”スマホで申請”と書いてあるが、そもそもスマホで通話もできない人も多い世代なのに、それは無理やろ、と思う。

とまあ、文句を言っていても始まらない。
新しい制度は、そんな声に無頓着で、どんどん始まっていくんだろうから。
紙の保険証は有効期限までは使えるらしいが、もしもこれを紛失したら12月以降は再発行されないというから、今のうちからマイナ保険証にむけて心構えと準備は必要かもしれない。
ずいぶん前に作った彼らのカードは、有効期限が大きく過ぎている。
区役所に電話をすると、「ここは住民票の係なんですよねえ~」と言いつつも、電話口の職員が丁寧に手順を教えてくれた。
マイナンバーカードについては意見や苦情の電話も多いだろうから、”たらいまわし”にしないように配慮しているのだろうか。
彼曰く、「カードの期限は切れていても、データの有効期限は切れていないはずですから、まずはご両親様のカードと、代理のかたのカードをお持ちになってこちらで仮登録をしてください。そしたら書類をご両親様のお宅に送りますので、それとカードをお持ちになってもう1度こちらにいらしてください。ずいぶん前に作られたようですから、この更新手続きのあとに、また新たに作り直す必要もあるかもしれません」。

物腰も丁寧に教えてくれたが、話を聞きながら早くも、モヤモヤモヤ……。
カードの期限は切れているのに、データが有効ってどういうこと????
更新したあとにまた申請が必要ってどういうこと???
それなら、今慌てて更新しなくてもいいのかしら???
電話を切ったあとに、むくむくと疑問がわきあがってきた。
しかし現物を持っていかないと、話にならないのは明白だ。
マイナンバーカードの性質上、住所や氏名を伝えても、「ご両親様の場合はこうですよ」などと個人情報にまつわることを電話口で教えてくれないだろう。
早くも不便!!
役所の窓口で段々声が荒くなる人の気持ちがわかる。
それ以外に説明のしようがない窓口側の立場もわかる。
で結局、わたしはふたり分のカードを預かって、区役所の窓口に行くのだろうな。
ネットだのメールだの電話だのというよりも、やはり「対面」対応がなによりも安心なのだ。

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明治から令和へ

2024年09月16日 | エッセイ
大相撲中継を見ていたら、マスクをしている人はほんのわずかだ。
あの騒ぎはなんだったのだろうという感じだ。
かといって消滅したわけでもなく、この時期は、熱中症との区別がつかず、診断に手間取るのだとか。
電車の前の座席にずらりと居並ぶ面々も、ほとんどがマスク無しである。
この暑さの中、感染予防のためのマスクで熱中症になっては元も子もない。
皆さん、下を向いてスマホを凝視している。これはコロナ禍前から変わらない。

今、明治生まれの作家の書いた日記を読んでいる。
当時もインフルエンザ、いわゆるスペイン風邪が大流行して、日々、その心配をしながら暮らしていた様子がわかる。
家族が発熱すると、医者を呼びに走ったり、毎日熱をはかったり、脈をとったりと、落ち着かなく過ごしていたようだ。
情報も限られていただろうから、近所の町医者と、患者の体力と、そして運頼みだっただろう。

そうした日常が、毎日毎日手書きで書かれている。
ワープロもパソコンもない時代、これだけの大量の日記を手書きで詳しく書き続けるのは根気がいったことだろう。
携帯もないので、知り合いとの待ち合わせひとつとっても、すれ違いがしょっちゅう起きる。
ここでスマホがあれば、間に合ったのになあ、トラブルも起きなかったのに、とひとごとながらじれったく思う。
今は、何時何分発の電車に乗れば、何時に到着するというのが、スマホで瞬時に調べられる。
便利だが、それだけに、遅刻が許されないような、かえって時間に縛られるような窮屈さもまた感じることがある。
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