TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

よいお年をお迎えください

2021年12月28日 | インポート
年末になって公私ともになにやらざわざわとざわつき始め、実感のないまま仕事納めの日に突入いたしました。
明日から実家に帰省します。(といっても、30分ほどの距離なんですが^^;)

来年は、心穏やかに過ごせる日が1日でも多いといいなあと思っています。
年明けの感染者数も気になりますね。

長らくご無沙汰していたブログですが、どういうわけかコロナとともに復活して今にいたります。ご訪問いただいてありがとうございます。あたたかいコメント、気持玉に支えられました。

来年もどうぞよろしくお願いいたします。



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3日坊主で終わらないように……

2021年12月25日 | インポート
書店の日記コーナーを見て思い出した。
3年間使い続けた3年連用日記が、今年で終わるのである。
使い続けたといっても、毎日などとても書くに及ばず、虫食い的にポツポツ埋めてきた程度である。
さぼってしまい、まとめて3日分書くこともあった。
しかし、昨年、1昨年の今日は何をしていたかを思いだす手がかりとして、ずいぶんと参考になった。
読めば思い出すが、読まなければ、記憶の底に沈んでしまってそのままになってしまうような些細な事柄でも、それなりに懐かしい。
特に、2年前の今頃は、ちょうど武漢で最初のコロナウイルスがひっそりと確認されており、しかしそれがのちのちこんなに大ごとになるとは思いもよらなかった、今思えばのんきに思える日々を送っていたことがわかる。

日記のあるページに、DVDで観た映画『あん』で、樹木希林さんが言ったセリフ「わたしたちはこの世を見るために聞くために生まれてきた。だとすれば、何かになれなくてもわたしたちには生きる意味がある」が書き留めてあった。
身の回りでも、ニュースを見ても、本当にいつ何が起きるかわからない。
このセリフが、これから少しでも生きていく慰めと勇気になればいいと改めて思う。

 こういうことをひとつでもふたつでも書いていければいいなと思い、来年からの3年連用日記を買い求めた。


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家系図

2021年12月21日 | インポート
NHKの番組『ファミリーヒストリー』を観ることがある。
芸能人の家系を、何代にも遡って調べてくれる番組である。
ご先祖様の写真や、関わりのある方のインタビューも交えて番組はすすむ。
本人の知らない、両親の意外な一面を知って涙したり、思いがけないところにルーツがあって驚いたりと、当事者にとってはスリリングな展開である。
そこまで遡って調べてくるスタッフの苦労も大変なものだろう。

母方の家系図について、母から何度か教えてもらったが、非常に込み入っていて、何度聞いても、頭にはいらない。
昔は兄弟も多く、叔父叔母の類も当然増える。
それだけでなく、頻繁に養女養子縁組が行われている。
それも他人を養子にするのではなく、親せきとの縁組なので、兄弟であると同時に従弟でもある、などという複雑な関係性を結ぶことになる。伯母と呼ぶ相手が、実の母親であったりする。
若くして亡くなる方も今よりもずっと多かったので、再婚も多い。となれば、異父母兄弟の存在もある。
そうした複雑な関係性を、母は実によく覚えている。
出身学校名から、お互いの仲の良さ、性分など、細かい事情にまで精通しているので驚く。
もちろん、紙に記録したものではなく、彼女自身、親せきや親からの伝聞なので、事実と異なる部分もあるかもしれない。

そのあみだくじにも似た家系図が、父方からも母方からも迷路のように伸びていて、今、ここにいる自分に至る。
その間、ちょっとした偶然やきっかけによって、ボタンの掛け違いがひとつでも起きていれば、自分も含め、今ここにいる人間がここには存在せず、誕生するはずのなかった別の人間がここにいることになる。
紙に書けばただの名前の羅列に過ぎないが、そのひとりひとりの存在は奇跡のような偶然のたまものであり、赤ん坊のころから、亡くなるまでその人なりの物語が紡がれている。
番組を観ていると、彼らは最初っからご先祖さまだったわけではなく、わたしと同じ、今を生きてそして去っていったのだというあたりまえのことに考えがいたる。

個人が知ることのできる”ご先祖様”の範囲は、せいぜい曾祖父どまりだ。
残っているわずかな写真も、白黒で、ところどころはげかけていたりする。

一般の人向けにも、ルーツを調べてくれるというようなサービスがあればいいのに、と思う。


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淡い期待

2021年12月18日 | インポート
オミクロン株、という名前。初めはなかなか覚えられなかった。
アルファやデルタは、語数も短めで、同じ系列?なのでスッと頭に馴染んだ。
マカロンとかマクロンとか、何だかそんなような名前……という印象から始まった。
しかし、日々、これだけオミクロンオミクロンと連呼されれば、いやでも覚える。

宿泊施設が濃厚接触者で満員状態って、それじゃあ、感染者が出たら、宿泊施設には入所できないってことなのかしら。
昨年、水際対策が後手後手にまわったので、今回はやけに厳重で徹底的な感じがする。
厳重過ぎたために、(陽性者が少ないのに)保健所の仕事が再びひっぱくしてきた。
濃厚接触者であっても健康観察は毎日行わなくてはならないのだ。
連絡が取れない人のところには、直接出向かなくてはならない。
事情はあるだろうが、おとなしく隔離されていてくれるかたばかりではないのだ。

確かに、どこのどなたかわからないたったひとりから感染が広がるのだから、非効率で大がかりにならざるをえないのはわかるが、実務を担う職員は、くるくる変わる国の方針を忠実に守ろうとするから、振り回されるばかり。
今日のやり方が、次の日出勤すると、すでに変わっている。

デルタも結局、置き換わっていた。
もうそこらじゅうに、うようよいるんじゃないの、オミクロン。
それでも感染者数が増えないのは、ひょっとして、第5波やワクチンの広がりによって、自然免疫ができて、ただの風邪レベルになっているのじゃないかしら、などと期待を抱いてしまう。


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しのびよるもの

2021年12月15日 | インポート
父のMRI検査に付き添った。
この検査、わたしもずいぶん前に受けたが、密閉されたカプセルに閉じ込められ、両側からは工事現場のような音が響き、永久にふたがあかないのではないかと、閉所恐怖症でもないのに、かなり怖かった。
父も初めて受けるこの検査に、そうとう辟易して検査室から出てきた。

結果を聞くべく診察室にはいると、先生が「ん~、やっぱり脳に萎縮が見られますね。あと海馬にも」とさらりと言う。
やっぱり、というところを見ると、先日の診察で、ひとことふたこと父と会話をしただけである程度、ちぐはぐさがわかったのかもしれない。
歩きづらさについては、脳ではなく、腰に原因があるかもしれないということで、再び腰のMRI検査の予約をとる。
治療のためとはいえ、寒い中、高齢者を検査のために何度もひっぱりだすのが気の毒になってくる。

結果はある程度予想通りとはいえ、認めたくない気持ちは大きい。
本人を前にして、聞きづらかったこともあるが、病名は聞けなかった。
聞けなかったが、症状の進行を抑える薬の処方箋を見れば明らかである。

日頃母から、父との会話のかみ合わなさの愚痴を聞かされていても、それはもしかしたら母のまくしたてる会話についていけないだけではないか、年相応の衰えなのではないかと、楽観視しようとしてきた。
しかし、こうはっきりとデータで示されれば、認めざるをえない。
毎日父の相手をしている母のほうが、「そうだろうと思った。もうずっと前から変やもん。まあ、年寄りはこんなもんや」と淡々とこの事実を受け入れているように見える。
しかしわたしはまだまだ受け入れられない。
父の脳からどんどん流れ出ていってしまう記憶や思い出(忘れたいものもそうでないものもすべて)が、わたしの脳になだれこんでくるように思われる。
何を見ても、父親と関連づけて考えてしまう自分がいる。

ひとり住まいはそろそろ限界か―。
しかし、今後実家に軸足を置くにしても、ため息をついたり、ホッとひと息ついたり、泣きに帰ったりするスペースは確保しておきたい。
1Kの小さな自分の住まいに帰ると、何事もなかったかのような錯覚を抱くことができる。
わたしがこの部屋で、来る日も来る日も変わり映えのしない生活にこだわっているのは、そうしている限り、実家でもまた、変わらない日々が続くと思っているからなのではないか。
そういえば、このブログのタイトルも『いつもおんなじ』。望んでもあり得ないほど有り難い、祈りのようなもの―。
しかし現実は厳しく、時は容赦なくわたしたちに老いを運んでくる。


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