箕面の森の小さなできごと&四季の風景 *みのおハイキングガイド 

明治の森・箕面国定公園の散策日誌から
みのおの山々を歩き始めて三千余回、季節の小さな風景を綴ってます 頑爺<肇&K>

森の凡栽記・植物はE・T?

2007-03-10 | 箕面の森のあれこれ話し!

森の凡栽(ぼんさい)記 ・ 植物は E・T ・・!?

 

 

前回、ハゼノキの葉が私に話した・・・? なんて書いてみたものの・・・

漫才師が言うように 「そんなわけないやろが・・・」 と人に・・・言われ

そうだが・・・

呆けの始まり・・・? と、人に心配をかけさせる前にここは一つ、誤解解きを

かねて他の人の話も聞いてみたいと思うんであります。

  

かつて箕面在住の ミヤコ蝶々さんがTVやラジオ、本の中でも・・・ 

わてな・・・家の植物や畑の野菜にいつも声かけてやりまんねん! 

そしたらな・・・花はよう咲くし野菜はどんどん大きくなりすぎてな・・・

うまそうや・・・早よ、食べたいわ・・・言うとな、野菜が震えだして喜びまん

ねんで・・・」 と、あの大阪弁でまくし立てていましたが・・・

今から思うと毎日、私と同じように植物や葉と話しをしていたんですね。

 

植物には人の声どころか、人間の考えている事さえ理解して反応する

能力がある・・・」と言う実験結果があります・・・と言う 新井 昭廣さん 

(近畿大学の哲学教授)。  

新井さんは私もたまたま持っている本 「植物の神秘生活」(工作舎刊) 

ピータートプキンスとクリストファーバード著の訳者であるが、この600ページ

に及ぶ分厚い本には ビックリするような植物の神秘が科学的に実験され、

証明されたものから・・・まか不思議な生態まで詳細に書かれているのだ。

 

興味のある方は本を読んでもらうこととして、そのサワリだけ紹介して、

私の体験もまんざら 呆け症状でないことだけは理解してもらいたい・・・と

願うのです。

古くは1966年のこと、アメリカのウソ発見器検査官の第一人者、

C・バックスターが、退屈しのぎにいたずらをしていた時の事だった。

オフィスの観葉植物ウソ発見器の電極をつないで・・・ためしに、葉に熱い

コーヒーをかけてみたが、メーターは何の反応も示さなかった、

「コーヒーはダメか、じゃ葉に火でもつけてみるか・・・」と、心で思った瞬間、

メーターの針は劇的に大きな変化を見せたのだ。

仰天したバクスターは、それからいろんな野菜や植物についても同じ実験を

したところ結果は同じで、やはり心で思った時に針は異常に動いたのだった。

 

次に、IBMのコンピューター技術者M・ヴォーゲルは、ニレの木の葉を

3枚ベットの脇において、毎朝起きた時に眺める事にしていた。

3枚並べておいた両側の葉にはいつも愛情を込めて 「枯れるんじゃないよ

、どうか生き続けておくれ・・」 と 言ったが、真中の葉だけは常に無視

ておいた。

やがて一週間ほどたって、真中の葉は褐色に変わり、しなびてしまった。

しかし、両側の二枚の葉は相変わらず緑色で、健康だった。

しかも、葉を枝からもぎ取ったときにできた傷まで治りつつあった

 

植物が示すさまざまな不思議な 現象が発表される度に、科学者達は笑い

飛ばすけど・・・自分で実験してみるとそれが裏付けられてしまい・・・

笑い事ですまされない神秘を実感して戸惑ってしまうとのこと 。

 

私が先日、箕面の牛舎で牛にクラシック音楽を聴かせているところに

出会ってビックリした・・・と、ブログに書いたが・・・

調べてみるともうそれらは常識の世界のようだ。 

 

カナダ人牧師の E・カンビーは、自分の小麦畑でバッハ

ヴァイオリン・ソナタをいつも聴かせることで66%もの増収をあげ、

しかも他の畑よりも小麦が大粒重かった事や・・・、

 

イリノイ州の植物学者 G・スミスは とうもろこしと 大豆を同じ条件で 

2つの温室に分けて捲き、一方だけにガーシュインの名曲を流し続けた

ところ、生育も開花も早く、音楽の無い温室より20%以上の増収になった

・・・ とか。

 

ある電気技師はソラマメを植えた鉢に 電流を流してみた所、普通、茎は

せいぜい60cmぐらいなのに 11倍の660cmもの高さに成長したとか・・・

日本の電力会社も電撃ショックを与えて 「キノコ」栽培 の収量拡大を

図っている事を新聞で読んだことがあるが・・・これらはちょっと私の趣とは

違うんだが・・・

こんな電撃なんて事例は植物への虐待のようで、 私は聞いていても 

余り良い気持ちにはなれないが、しかし、人間の声かけに反応したり、

いい音楽に反応したりなんてことはいいですね・・・。

 

このようなできごとは 日常茶飯事であるとの事だが、そうすると 植物は

人間より先にこの地球上に出現したわけなので、最初に飛来した 

E・T(地球外生物) と 言えるのかもしれないね。

人間と植物とが精神的な交流が出来るとしたら、それは 「地球」 と言う

生き物のいる唯一の天体 ?    として  是非いい形で 共存共栄していきたい

ものである・・・

 

今日は今年初めての雪 ? 

「今期、一度も降雪がなく、やむなくスキー場を閉鎖した翌日に雪・・・とは 」 と、

近くのスキー場の方が TVで嘆いておられたが、やはりこれも異常気象 ? 

地球がおかしくなってきている今こそ、先住の E・T ? 「植物」 との

精神交流を通して、何か私のこころにも ヒントをあたえてもらいたい・・・と

願うのです。

今も、モーツアルトが流れる私の書斎の机の前で 「森の凡栽」 達

話し掛けていたところです。

私が葉っぱと話し込んでいる姿を人に見つかったら・・・これは大変! と・・・

あわてて病院に電話でもされたら大変ですので今日はこの位で・・・

 

07-3 (完)

 


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森の凡栽記・葉が話す・・?

2007-03-10 | 箕面の森のあれこれ話し!

森の凡栽(ぼんさい)記・葉が話す・・・!?

 

 

数日前のことです。

夕食も終わり、私の 「森の凡栽」 を窓辺から、私の机の前の棚に置いて

しばしサン・サーンスのイヴニングコンサートを聴いていました。

静かなメロデイを愉しみながら・・・ ふっ! と 目の前の 「森の凡栽」 に

目をやり何気なく見ていたときのこと・・・

 

 数ある草木の中から 高さ15cmぐらいの細い 「ハゼノキ」だけが一本、

揺れているのです。

風~? 地震? でも 他の草木は何も揺れてもいないんです・・・

冬ですからもう枯葉となって落ち、枝に付いている葉は余り無いのですが、

この木の葉もほとんど無く・・・

しかし、家の中で置いているので、時々季節はずれに芽のでる草木もあるん

です・・・

このハゼノキからも数週間前から新芽が出て、それがもう立派な葉になって

いるんですが・・・その葉だけが動いているんですよ。 

うん?

 

私は初めて見るので・・・つい見とれてしまった。

その内、今度は木が揺れ始めたので・・・根元に虫でもいるのかな? と、

注意深く覗き込んでみていましたが根元は全く動かない・・・? 

それなのに細い幹と葉だけが揺れるんです。 私に向かってね?

何度も・・・何度も・・・

気持ち悪い・・・と言うより感動でしたね。

植物と会話したと言う感覚は初めてだったからね・・・ 

 

丁度、家の人が用があって書斎に入ってきたんでありますが、さすがにこの

事実は言えませんでした。

それでなくても最近はボケ待遇ですから、それこそこんな事を言い出すと

本気で呆けたの?・・」扱いに なりそうなのでやめておきました。

 

私は毎朝、起床して書斎に入り、まず 「森の凡栽」鉢を窓辺の朝陽の

当たる所へだしてやるんです。

温かい日差しが葉に当たると・・・それはそれは嬉しそうなんです。

水をやり、一本一本声をかけてやり調子を見るんです。 

山や野や里の小さな草木ばかりですが、みんな生き生きとしているんです。

 

朝食前に庭にでて、以前この書斎の 「森の凡栽」 の住人? いや、住木?

だった草木が大きくなりすぎて 庭へ移植した所へ見に行くんですが・・・でも、

庭へ移植すると余り元気が無いんですね。

枯れてしまったものも随分ありますし、庭に あると全く草そのものですし、

木といっても小さいですから、間違って抜かれてしまったりして、可哀想に

思うこともありますが仕方がありません。

 

ドングリの木など はっきりしているものは箕面の森へ行く時に持っていって、

太陽がよく当たる所へ植えてくるんです。

私の 「森の凡栽」 育ちのドングリの木がどんな成長を見せてくれるのか

今から楽しみにしているんですがね・・・。

 

家にいるときは私はほとんどの時間、クラシック音楽が流れています。

モーツアルトのCDも170枚になり毎日楽しんでいます。

気が向けば学生時代にはやった jazzや カントリーミュージックを聞いて

います。

この前、古本屋で探したCD、私の生まれた年より古い1940年代以前の曲が

あって、これに一時凝りましたね・・・いいですよ・・・おかしいですね? 

そんなわけでこの「森の凡栽」達も毎日いつも一緒に音楽を聴いている

はずです。 

 

前置きが長くなりましたが・・・

このハゼノキの動きは私への話し言葉?・・・ 嬉しいじゃありませんか! 

植物とも心が通じ合う事が出来る・・・E・T じゃありませんよ! 

これは同じ、箕面に住んでいた漫才師のミヤコ蝶々さんが昔、TVでよく

言って笑わせていたので知っている人もいるでしょうが・・・

 

「ワタイね! 家で花育てたり、野菜育てたりするの好きでんね・・・

毎日な声かけてまんねん・・

花咲いたらな 「よう咲いたな ごっついきれいやんか・・・」 

 野菜に実がなるとな 「どないや! もうちょっと大きなってや! 

がんばらなあかんで・・!」 

毎日 声をかけて 毎日誉めてやるとな 

花は何ぼでも咲くし、野菜の実は大きなんねんで・

そんでな  もう うまそうやから、はよ食べたいわ・・・言う と野菜はな・・・

喜んで ほんまに ふるえだすんやで・・・ほんまに !」  と。

 

昔から百姓は 畑に出たら肥料の前に 「かけ肥え」 をかけろ・・・と、

「声かけ」が大事な事を知っていたようですね。

植物は声どころか人間の考えている事まで理解し反応する能力がある」 

と言う学者の科学的証明があるとのこと・・・

本当ですか?  興味がありますね!

 

これはにしましよう・・・

とにかく年をとると世の中、今まで見えてなかったものがいっぱいあって・・・

面白いですね・・

 

07-3 (完)


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森の凡栽記・事始め・・!

2007-03-10 | 箕面の森のあれこれ話し!

森の凡栽(ぼんさい)記 ・ 事始め・・・

 

 

私の「森の盆栽」ならぬ「凡栽(ぼんさい)」は、初めて箕面の森の

四反田谷」・自然6号路)を歩いた時から始まった。

 

3月とはいえ、まだ春遠からじ、冬の寒空のもと、私は「清水谷」からの登りを

四反田谷から「expo‘90箕面の森」へ向かっていた。

何しろまだ箕面の森を歩き始めたばかりで興味あることばかり・・・

この日も一人で地図を片手に歩いていたのだが何分、体力が付いて

いかない・・・

また一休み中だった。

 

枯葉の落ちた樹木の間から温かい太陽が顔を出し、その木漏れ日の当たる

陽だまりで一休みしていた。

足が疲れ・・・どでん~と、お尻から座りお茶を飲みながらしばしボケ~として

鳥のさえずりに耳をすませていたが・・・

(この谷は”小鳥の村”・・・と言われるぐらい、いろんな鳥がいる)、

ふっ! と、目の前を見るとスイセンのような葉をした植物の群生を目に

した・・・

寒い冬の谷間に緑の群れが余計に目を引いたのだが・・・

前に行ってそれを触りながら・・・”きれいだね・・・! ” と。

そして自然と自分の口から ” 私のところへ来てくれないかい ?” と、

声をかけている自分がいた。 

不思議な出逢いだった。 

風がそよぎ ” いいよ・・” と、うなづいて言ってくれてるようだった。

 

私はそ~と手をのばし、ゆっくりとその群生地から目のあった数株を抜き、

土と共にハンカチに包んだ。

小さな球根があり、葉はスイセンのようで、高さは20cm位で青々としている。

(家に帰り昔の植物図鑑を調べてみたが・・・ヤブランでもなく、ツルボ? 

タマスダレ? ヤマスイセン?でもなく いまだに不明・・・野草にもいろんな

種類があるのには驚いたが・・・)

 

私は早速、空いていた 20x30cmぐらいの深鉢に土を入れてそれを植えて

みた・・・  なかなかいい・・・

” 美人だね・・・君は! とても綺麗だよ!” と、一人で葉っぱだけの

植物を眺めて喜んでいた・・・

何もなくて 殺風景な私の狭い書斎に まさに花が咲いたような雰囲気に

なり・・・  もし、扉越しに家人がそれを聞いていたら、どんな女(ひと)を

連れ込んだのかと思うだろうな・・・と、ほくそ笑む。

 

それから しばしこの狭い鉢を埋める為に私は森を歩く度に、5cm位の

ヒノキ、松山つつじ、もみじの葉をつけた3cm位のもの・・・

小さな木々はどれも生まれたばかりだが太陽が当たらないのですぐダメに

なる・・・

名も無い野草コケ、シダなど各々一種類毎に植えてみた。

見る見るいっぱいになり、私はこの鉢に森の盆栽ならぬ 「森の凡栽」と 

名付けてみた。

 

狭い鉢はまさに森の縮図のような雰囲気を漂わせ私を喜ばせてくれた。

春が来て、それらはみんな生き生きとし、中には新芽を出し、葉を大きく

させてきた。夏になると更にぐんぐん伸びて来てビックリするぐらいだった。

やがて秋が来ると落葉するもの、枯れるものありで寂しくなってきた、でも

そのまま変わらないものなどもあるが凡栽にも変化が出てきた・・・

私は山で拾ってきたドングリや唐松などを上におき秋の風情を愉しんだ・・・

 

冬が来て・・・なんと、冬なのにあの最初のスイセンもどきが、なんと新芽

出してきて、静かな森の凡栽が一気に賑やかになった。

再び春の訪れと共に、更に驚きはあの秋に置いておいただけの 

ドングリからが出てきた・・・

置物程度に置いていただけなのに生きていたのだ・・

このさまざまな四季のドラマは書ききれないほどいっぱいあるが、どれも私の

心をどれだけ癒し、喜びと感動を与えてくれたか分からない。

 

私の机の前に置いた「森の凡栽」とは毎朝、私との 

” おはよう! よく眠れたか・元気か!” などの会話から始まる。

毎朝、私が聴いているクラシック音楽がゆっくりと流れる中を 鉢をもって、

朝陽が差し込む書斎の窓辺に移してやる・・・

葉が太陽に当たリ始めると、嬉しそうにより輝き始めるのが分かるんだ。

水をやり、枯葉を拾い,一つ一つをめがねをはずしてよく観察する・・・

いつの間にか狭い中に10数種の植物がひしめき合っている。

名も無き野草が多いのだが・・・

 

ある日、書斎机の上にゴマを更に小粒にしたような物が沢山落ちていた・・・

何かな?  

よく見ると凡栽鉢から溢れるように咲いていた草花がいつしか枯れて実となり

、その種がはじけていたのだった。

残っているさやを触ると 急にはじけて種が飛び散るさまにはビックリした

ものだ。

ユキノシタの小さな苗が、やがて大きくなり 鉢の中でぐんぐん勢力を

張り出した時は、さすが我が家の庭に引っ越してもらった。

あのドングリから芽を出した木々たちも森へ行った時、日当たりのよい

森の中へ植えてきた。

秋に美味しかったの種を鉢の中へ突っ込んでおいたら、これも春に芽が

出て、やがて大きくなり今は我が家の庭に移し変えたが・・・

(みんな移し変えると余り上手くいかない・・・)

 

どうやら私の「 森の凡栽」 鉢 の中ではみんな居心地がいいと見えて

元気がいいんだが、これ以上大きく育つと移植も止む終えないのが残念

なのだ・・・

あらからもう6年が経った・・・

今日もあの時からの スイセンもどき向かって、おしゃべりをしていた所です。 

” 今年は温かいな!・・・それにしても君はこの狭い鉢の中で70cmもの葉を

伸ばすなよ・・・すこしは遠慮しろ・・・ ” とね。

 

 

07-3 (完)


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