雨の日の森のコンサート・・・
今日は朝からどんよりとした雨模様です・・・
暖冬の為の雪不足で早々と今年のスキー場を閉鎖した・・・
とのニュースが 流れています。
熊が温かい為に冬眠に入れず里に出てきている・・・ とのニュースも
ありました。
それでどうしたの・・・? と、 さらに聞いてみると麻酔銃で眠らせ、
森に運び、熊穴を探してそこへ沢山のドングリなど食料を置いて寝か
せてきた・・・ とか。
里の人間様も大変だが・・・どこかおかしい? と思いつつ箕面の森へ
と出かけました。
今日は、箕面の 「カルフール・ヴソラ」 に車を置き、「大宮寺池」を通り
「医王岩」から「二十二曲がり」を登って医王山の森に入っていきました。
お天気に合わせたわけではありませんが、何となく自分の心も暗くなって
いて・・・ いろいろあるもんな~・・・ と
考え事をしたりして余り景色を愉しんだり、いつもの森の散策を愉しむ・・
といった余裕もないまま黙々と登っていました。
雨が降り始めたこともしばらく気が付かないほどで、何となく暗いムード
を引きずったままでした。
雨は止みそうもなく しとしと・・と降り注いでいたのに 私はふっ! と
我に返り、自分が雨にぬれたままになっている事に気が付いて
あわてて近くの大木の 枝の下に雨宿りをする事にしました。
ここに積もった枯れ葉には まだ雨がかかっておらず濡れていなかった。
枯れ葉の上に浸り小椅子を出して腰を下ろす(こんな雨の日は小椅子
があると余計に有り難い)、リュックからいつものコーヒーポットを取り
出して温かいコーヒータイムです。
手袋をはずし、冷え切った両手をそのコーヒーの温かさで暖めつつ・・・
ほのかなコーヒーの良い香りを嗅ぎながら 森で飲むコーヒーにいつも
ささやかな幸せ感を覚え、その余韻に浸るのですが・・・
今日はまだ何かいつもの愉しさ・・・になれず、 世俗の問題を抱えて
悶々とした状態が続いていました。
しばらくして雨は大粒になり、時には雪混じりの 霰(あられ)になり、
それはやがて大粒になって落ち枯葉の上にバリバリとすごい音を立て
始めました。
これは大変! このまま続けば山の上にも,下にも行けない・・・
立ち往生だ!どうしよう・・・・ ?
空はますます暗くなり初めて体験する異様な空です。
こんなとき一人で森の中にいると不安が募り、だんだんとそれが増幅し
てきます。
そのときだった・・・・あれほどバリバリと大きな音を立てていて、恐怖
さえ感じていた枯れ葉にあたる雨音、霰(あられ)の音が・・・
”音楽”に 変わっていた・・・!
私は深呼吸をして、いつしかいつものように森の浸りモードに入って
いった・・・
それは心静かに、目を閉じて、耳を清ますと聴こえてきたんだ・・・
枯れ葉を打つ雨音・・・それは強い音もあり,弱い音もあり、大きな枯れ葉
小さな枯れ葉に落ちるときの音は違うんだ・・・ それに頭上の常緑樹の
葉に当たる音も違うし、葉と枝に当たる音も違う・・・
枝も大きなものと小枝にあたる雨音とはまた違う音色が聴こえる・・・
すごい! 「森のコンサート」が始まった・・・
この舞台はとても想像ができないくらいすごいんだ・・・
雨量の変化、 時には大粒の白く硬い霰・・・ 森の沢山のさまざまな
植物が共演し、演出している・・・向かいの山並みには白く霧がか
かっている・・・
それに観客は何と私一人・・・
それはそれはものすごい感動で聴き入ってしまった・・・
いいな! 幸せだな!
森のコンサートはどのぐらい続いたのだろうか・・・?
頭上で鳥の鳴き声が大きく響き渡った・・・
気がついて我に返ったときにはもう雨が上がり、コンサートは終演して
いた。
私の心はすでにニュートラルになっていた。
心にいろんな事をもっていても、いつも森は私の心を ”無” にして
くれる・・・ 不思議な森である。
私は帰宅してから、こんな言葉をどこかの本で読んだな~と思い、書棚
を探したが見当たらなかったので うろ覚えの中で書いてみますが・・・
「幸せだと感じられる人だけが幸せになりす。
例え世界中の富を手に入れても幸せだと感じる心がなければ幸せでは
ありません。
人間には平等に幸せの分量が与えられています。
それに気が付くだけでいいのです。
幸せは向こうからやってくるのではなく・・・
幸せを選ぶのは貴方がそれをどう感じるか・・・だけなのです。・・・」 と。
人の幸、不幸はその人の価値観のみの世界だという事ですね。
森はいろんな事を私に学ばせてくれます。
今日も心癒される いい森の 一日でした。
それにしても冬眠できないでいる熊との遭遇がなくてなにより・・・
くわばら! くわばら! です・・・ (笑)
06-1 (完)