新聞記事に、「させていただく」について、
次のように書かれていました。
言っている本人は、かしこまり、へりくだっているつもりかも
しれないが、卑屈さと、高慢さがにじみ出ている。
そう、感じる人は少なくない。
また、責任逃れや、保身をはかる処世術の
においをかぎとる人もいた。
本来は、自分の行為を、許可してもらい、そのことで恩恵を
受ける際に使う「 謙譲 」の表現である。
そんな状況でないのに、乱発すれば、逆効果になるということだろう。
また、この言い方は、近江商人が、仏さまへの崇敬を込めて
日常的に使ったのが、ルーツである。と
昔から使われていたことは、間違いない。
*** 朝日新聞・窓より ***
たとえば、 「私が司会をさせていただきます」
これは「することを許す」表現である。と
「〇〇させていただきます」と、普段何気なく使っている言葉でしたが
謙譲表現でも「許可」が伴っている、言葉でした。
この言葉を使うのに、見えない許可を得ていたのだったと、考えますと
言葉の使い方の、難しさを感じます。
また、「させていただきます」は、有無を言わせない感じも受けてしまう
私ですが、この記事は、自分でも使っていた言葉を、深く考えさせられ
た思いと共に、間違った使い方をしている言葉は、沢山有るのでは
ないでしょうかと、思った次第です。
↑ 秋を感じる栗です。
まだ、早いようです。
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ウオーキング~30分=3,700歩